金太が、唐花魁のお静に向かって、有る事無い事どころか、全く無い噺をでっち上げて語りますと、
突然!海坊主が立ち上がり、長襦袢一枚の其の格好で、背後の衣紋掛けの方へと歩き出します。
是を見た金太がビビった!ビビった!衣紋掛けの後ろに長脇差を隠しているのなら、ギラッと抜いた瞬間に、庭へと逃げるつもり満吉くんで雪駄を履こうと構えております。
ところが?!
海坊主の野郎は、自身の着物の袂を弄り、大きな革製の胴巻を持ち出しますと、その中から五十両包を取り出して、金太の前に置きます。
海坊主「私は、武州川越南町で呉服商を営みます、大崎屋宇右衛門と申す商人に御座います。上野広小路にも、出店で大崎屋幸兵衛と言うのを出して番頭にやらせ、月に一、二度は江戸表へ商用で参ります。
また、縁が御座いまして、此のお静、元久喜萬字の花魁・唐を三ヶ月程前に身請けして、ここ湯島に囲って居ります。
以前より、お静の二の腕にある刺青(ほりもの)『金命』には、私も気に成っておりまして、どう言ういわく付きの刺青なんだ?と、
本人を問い質した事も有りましたが、若気の至りで彫りました。と、言うばかりで、男の素性は一切語りません。
私は喉に魚の骨が刺さったまんまの様な、晴れ無い妙な心持ちだったのですが、金太さん!貴方の噺で、その魚の骨が今取れました!!」
お静「旦那!違います、って。この野郎は大嘘付きの、タダの語り野郎ですって!!」
宇右衛門「黙りなさい!お静。私はお前を責めるつもりは有りません。金太さん、此処に五十両、御座います。是で、お静とは他人に成ると、この場でお誓い下さい。お願いします。」
思わぬ展開で、早とちりの海坊主が金太に、『お静との縁を切ってくれ!』と、深々と頭を下げて懇願致します。
金太「大崎屋の旦那!頭を上げて下さい。其れに、俺は銭が欲しくて、お静に啖呵を切った訳じゃねぇーですからぁ。その銭は納めて下さい。」
宇右衛門「金太さん!商人は金子でしかけじめが着かない稼業で御座います。お静との縁を、此の五十両で切ると、お誓い願えませんか?!どうか?!重ねてお願い申します。」
金太「あぁ〜、旦那が、其処まで仰って出された物を、無碍に突き返すのも、江戸っ子らしくねぇーんで、では、此奴はアッシが頂戴致します。」
と、金太、まんまと大崎屋宇右衛門から五十両の銭を手に入れます。是を脇で見ていた、お静も、既に完全に呆れて顔に成って居ります。
アさて、お役者小僧の金太。懐が急に暖かくなったもんで、久しぶりに練塀小路の河内山邸で開かれている博打でもと、顔を出してみます。
元手には大崎屋から貰った様な五十両ですから、無くなっても構わないと、妙に開き直って度胸の据わった強気の勝負をしますから、珍しく儲かってしまう金太。
五十両の元手が倍の百両に成ります。十五両を河内山宗俊に寺銭とは別に祝儀として切り、又五両は酒と寿司でもと、その場に居る若衆に振る舞います。
そして、金太自身は八十両を再び懐に仕舞い、練塀小路の河内山邸を後にします。日付が変わった翌日昼の九ツ過ぎに、軽く神田須田町で蕎麦を手繰り、其処から日本橋をフラッカ!フラッカ!歩いて居りますと、
『越後屋』の看板が目に飛び込んで来ますから、直ぐに欲しかった唐桟の単衣と、上布の帷子を一枚ずつ買って、次は『帯源』で此れに合う博多の角帯を求めます。
更に、小間物屋へ入ると、椿のいい根付が目に飛び込み、是と鮮やかな緑色の化粧紐を購入。その場で持って居る莨入れに、この根付をつけて貰って、自慢そうに腰からブラ下げます。
此処で博打の儲け三十両を、ほぼ欲しかった物に変えた金太は、懐の五十両が、何となく怖くなり始めます。
もしかしてお静が、大崎屋宇右衛門を説得して、昨日のうちに番屋に五十両取られたと、訴えて出ているのでは?と、思い始めるのです。
金太と言う小悪党は、お役者小僧!と呼ばれては居りますが、極々気の小さなビビりです。
だから、一度疑心暗鬼に成りますと、岡っ引が自分を探しているのでは?!と、往来を大手を振って歩く事も出来ません、
其れならば、一層今から、此の五十両を大崎屋宇右衛門に返して仕舞えば、岡っ引に召し捕られても、言い訳が立って、二十叩き位の軽い刑で済むに違いない。そんな深読みが始まります。
唐桟と帷子、更に角帯と根付が、二十叩きで手に入ったと思えば大儲けだ!!と、思いますから、五十両は、取り敢えず『目覚まし女』に返しに行こう!と思い立ちます。
三十両の残り三両二分で、根付を買った小間物屋で、粋な菅の横櫛を購入して、此れを手土産に湯島のお静の家を、又今日も訪ねます。
金太「御免下さい。昨日、お世話になった金太で御座います。ご新造、じゃなくて、お静さんはいらっしゃいますか?」
女中「ハイ、いらっしゃいます。お内儀!昨日、見えた刺青の金太さんが、今日もいらっしゃいました。」
お静「ハぁッ?あの語り野郎が、なぜ、又、来たりするんだい?本当に狂人かい?!」
金太「アッ!お静さん、お怒りご最もですが、まぁ、聞いておくんなさぇ〜。昨日は、ふざけた座興をお見せして、五十両の大金を、旦那を騙す形で頂きまして。。。ごめんなさい。
家に帰ってからは、猛反省ですよ。十両盗んだならば首が飛ぶご時世に、悪る巫山戯(わるふざけ)が過ぎました。
お静さん!誠に、申し訳無いと、此の金子は大崎屋の旦那に、返しておくんなさい。そして、金太の馬鹿が、謝りに来たと必ずお伝え願います。
そして、此れは実に詰まらない物ですが、お静さんへの、謝罪とお骨折りの心付で御座います。」
と、言って金太が、昨日、小間物屋で求めた横櫛を渡しますと、お静は、此れまで金太を好意的な相手とは見て居りませんでしたが、
初めて好意の目で見てやれば、目は切れ長で鼻筋は通る色男。しかも、色白で背は高く、江戸っ子らしい竹を割った様な料簡で御座います。
ビビッ!!
と、来てしまいます。
お静「金さん!この櫛は有り難く頂戴致しますが、五十両は、旦那が一度出した物ですから、返す必要はありません。是は貴方の懐へ、再びお納め下さい。勿論、公儀に訴えたりは致しませんから。」
金太「さいですかぁ?!お静さん、ならば、お言葉に甘えて。。。では、長居は野暮になりますから、アッシはこの辺で、失礼!致します。」
お静「おやぁ!!何を江戸っ子が、用が済んだからって帰ろうと、しているんだい?御用聞きの小僧じゃあるまえし。。。
たとえ仇に対してでも、舌を濡らさせずに帰すような真似は絶対にしないアタシだよ!金さん、是非、一杯飲んで行って下さいなぁ。」
金太「其処まで言われて、据え膳喰わぬは、江戸っ子じゃねぇ〜。姐さん、ではご相伴に預かります。」
お静「そう来なくっちゃぁ!!お清、鰻の出前を頼んで頂戴。金さん、うちは女世帯で、旦那は月に五日も居ないから、是非、是からも、用心棒で来て下さい。」
嘘から出た誠
瓢箪から駒
そんな言葉通りに、急速に二人の間は接近して、夫婦同然の関係へと相成ります。女中のお清さえ、鼻薬をタップリ嗅がせて置けば、大崎屋の旦那に知れはしないと、思うのが間夫している二人の常の様です。
お静は、七歳の時に禿として久喜萬字に買い取られておりますから、芝居、寄席、講釈などには、全く生で触れて来ておりません。
其れも有って、芝居馬鹿の金太に連れられて、浅草猿若町の芝居小屋から、芝居茶屋、そして最後は出会茶屋と言う、お決まりのデートコースを巡りまして、観るもの全てが物珍しく飽きる事が有りません。
しかし一方の川越を本拠と致しております大崎屋宇右衛門の方は、『金命』の主が、金太だと思っていますから、自身が江戸表に不在の時が、何やら遽に具体的な脅威を感じ始めます。
『金命』が謎のミスターXの時代は、ぼんやりした不安でしたが、具体的に金太を見てしまうと、悋気の炎の熱さ加減が違います。
そしてある日の事です。お静が雇っているお清が、既に、大年増では御座いますが、生まれ故郷の方で縁談が纏まり、お静の家を、近日、寿退職すると言う噂を耳に致します。
そして宇右衛門が、何の予告無しにお静の家へと、その日は四ツ過ぎに訪問致します。お静は不在で、玄関の下足箱を覗くと見知らぬ雪駄が在るのを見付ましたから、『間夫してやがるなぁ?!』と懐疑心がムクムクと起き上がります。
宇右衛門「お清!お静は、居ないのか?」
お清「お内儀は、最近習い始められた、清元の師匠の所で御座います。」
宇右衛門「清元?!お静は芝居を観る様になったのか?」
お清「ハテ?どうなんでしょうか?」
宇右衛門「そんな事より、お清。お前には、おめでたが有ると聞いたぞ!嫁に行くそうではないか?」
お清「ハイ、お陰様で。。。老いた両親に生きて居るうちに、孫の顔が見せてやれそうです。」
宇右衛門「そうかぁ!?ならば、ワシからも祝いを何か贈ってやろう。遠慮は要らん、桐の箪笥でも、丸帯でも、欲しい物を言いなさい。
其の代わりと言っては、何だが、私の留守に、お静に虫が付いて居るハズだ!今も、下足箱に、ワシの見掛けぬ雪駄が有る。
浅草猿若町界隈の料理屋で、評判を聞くと、お静はあの金太とか申すチンピラと、相引きを重ねておるそうではないかぁ?!
お清!お前が喋ったなどとは、決して申さぬ。だから、お静と金太が間夫しておるか?見たままを、ワシに教えてくれ。必ず、箪笥か丸帯を買ってやる!!」
お清「でわぁ、箪笥は父親が用意しますから、丸帯を。。。」
お清は、直接の主人お静を裏切る事と、口止めされている事を思い、些か、躊躇いはしましたが、丸帯欲しさと、どうせ暇を貰うのだからと、
金太が連日、お静を連れて芝居や、寄席に連れ出して、夫婦同然の関係で、間夫している事を白状します。
そして、此の日も、七ツ半には金太が現れて、二人で夜を過ごす約束が在る事を、宇右衛門にお清は密告します。」
其れは『不埒千万!!』と、五十両の手切れ金を払った宇右衛門は、二人の間夫現場を押さえて、重ねて四つにしてやろう!!と、
お静宅で一番大きな戸棚へ、段平を抜身にして持ってまま其処に隠れます。そして二人の帰りを、七ツ前から待って居りました。
其処へ、芝居を観た帰りの二人が、まさかの坂を下り現れます。
お静「お清!今、帰りました。熱いのを付けておくれぇ。金さんと一緒だから、すぐ着替えますから、浴衣を二人前、お願いします。」
お清「ハイ、お内儀様。浴衣で御座います。」
と、お清が着替えの浴衣を出す。二人が着物を脱いで浴衣に袖を通そうとした、その瞬間。戸棚を勢いよく開けて、宇右衛門が段平を構えて叫びます。
間夫!見付けた、覚悟致せ!!
ビックリしたお静は、盗賊と間違えて金切り声を上げて、根性無しの金太は、慌てて、庭へと下帯(ふんどし)一丁の姿のまま飛び出します。
其の金太を、『成敗!成敗!』と叫びながら宇右衛門が追い掛けて行きます。
が!!
庭に飛び降りた拍子に足を滑らせて転倒。頭を庭石にぶつけて、口から泡を吹き白目を剥いて、ピクリ!とも動かなくなります。
逃げ様としていた金太は、是をみて、呆然として糞詰まりの狆の様に、伸びている宇右衛門の周りをグルグル廻るばかりです。
一方、お静の方はと見てやれば、此方は開き直って落ち着き払い、『間抜けな死に方だねぇ〜』『殺した訳じゃなし、早く届け出ましょう。』『そしたら、晴れて夫婦よ!金さん!』ってな調子です。
お清に、広小路の番頭幸兵衛と、主治医とは名ばかりの幇間医者の幻斎先生を呼びにやります。
その間に、宇右衛門の手から刀だけを取り上げて、庭に出たら、突然苦しみ出して。。。と、幻斎に説明しますと、
脈を取っていた藪の幻斎が、『脳卒中ですなぁ〜、ご臨終です。』と、死を宣告致します。ところが。。。
天網恢恢疎にして漏らさず
「何だぁ?!幻斎先生、アレ?幸兵衛まで。。。」と、宇右衛門が意識を取り戻し、起き上がりますから、お静と金太は、驚き桃の木山椒の木!!
その場を、着の身着のまま、逃げ出して、其れ以来、どうなったやら?行方は要として知れません。
そんな事件の後は、お待たせ!金子市のその後の話へと物語は戻り、いよいよ大団円を迎えます。
つづく