あのお役者小僧の金太は、森田屋から二十両の礼金を手に致しましたが、内藤紀伊守を狂言に掛けた事で、河内山からきつく釘を刺されまして、暫く江戸を離れておりました。
其れが、冬眠から覚めた蛙の様に、五月の末、梅雨が明けて夏が始まる、其の頃に江戸表へと、ぶらり帰って参ります。
此の当時、菅(スゲ)の一文字の笠を被り、更にその上から日傘を差して往来すると言うのが、当時流行っておりまして、
漢なのに中性的な魅力、肌の色が白いのを、お役者で売る金太には、是は好都合な流行で御座います。
そして着物を見てやれば、薩摩の単衣に八反の二重廻り、帯は鼠縮緬のヘコ帯で、ばら緒の雪駄と言う拵えで、湯島天神下の『梅の湯』と言う銭湯へと入ります。
湯銭を番台に、ピシャリと置くと、笠と雪駄を持って、勢い良くトン!トン!トン!と、二階へと上がって行きます。
女中「おやぁ!金さん、久しぶりです。暫く、お顔を拝見していませんが?どうして、居なすったんですか?」
金太「すっかり、ご無沙汰して。。。暑いとつい井戸端の行水で済ませて、湯屋へ足が向かない日が続く。今日は本郷まで此の昼日中、行って来たから、汗びっしょりで、
こんだけ汗をビッショリかくと、暑い風呂が一番だから、此処へ久しぶりに寄らせて貰いました。流石に、今頃は空いているねぇ?」
女中「もう此の運気だ、昼間の湯屋なんて、閑古鳥が鳴いておりますよ。金さんが、仰る通りで、皆さん井戸端で行水なさっています。」
金太「ドレ、一ッ風呂浴びて来ます。」
裸になって風呂場へ降りて参りますと、真夏の銭湯の洗い場くらい安くて涼しい所は、なかなか御座いません。
金太「あぁ〜、いい湯でした。」
と、金太が湯船を出て、再び二階へと戻りますと、女中が乾いた手拭いを持って到着を待っております。
女中「金さん!お背中をお拭きしましょう。其れにしても、金さんの彫り物は、いつ見ても綺麗、朱色や紅が実に冴えゞしいワぁ。ハイ、すっかり拭き上がりました。」
金太「あぁ〜、生き返る様な、いい湯でした。麦湯が有ったら、姐さん!一杯、おくんねぇ〜。」
五十文の銭を女中に渡して、麦湯を啜って居りますと、丸髷に襟足が色っぽい、歳の頃は二十二、三の年増で御座います。
其れが、女伊達らに格子を音をさせて入って参ります。頭には、粒の揃った八分から一寸の珊瑚の簪と、
上の髻には、拓殖の大きな横櫛を差して、今流行りの竺仙好み(ちくぜんこのみ)の浴衣を涼しげに凛と着ております。
そして、此れを見た金太が、風呂屋の女中に尋ねます。
金太「おい!姐さんやぁ、あの年増のご新造は何者だい?芸者上がりにしては艶っぽいし、どー見ても素人じゃねぇ〜。何者だい?!」
女中「どのごご新造ですか?ちょっと見せて下さいなぁ。」
そう言って、女中がハシゴの隙間から、下の様子を覗いてから答えます。
女中「あれは、此のご近所で評判の『目覚まし女』さんですよ。」
金太「何だぁ!?その目覚まし女たぁ?」
女中「此処の近所、中坂下に江戸表に来た時だけ使うお屋敷を持つ、田舎のお大尽が囲っている妾ですよ。」
金太「其れが、なぜ、目覚まし女なんだ?」
女中「殿方がうとうとした時に、あの年増を見ると、目がシャキッと!眠気が飛んじまうから、目覚まし女なんですよ、金さん。」
金太「成る程。目覚まし女かぁ〜。元は何者だい、その目覚まし女。」
女中「元は吉原のお職で、唐(モロコシ)花魁とか?」
金太「元は吉原の入り山形に二つ星かぁ〜。通りで目が覚める訳だ。」
女中「続きをご覧になりますか?」
金太「そうだなぁ、久しぶりだし、続きを『中』で楽しもう!!」
女中「五十文です。」
金太は、女中に五十文渡して、戸棚へ入って女湯を覗きます。この時代には、この様な、出歯亀を放任する悪しき仕組が御座いました。
戸棚の竹の格子に穴が空けてあり、そこから女湯の脱衣所が覗く事ができる。暫く金太が、穴を覗いていると、先の目覚まし女が現れて、服を脱ぎ始めた。
金命
と、吉原時代の間夫の名前なのか?女は、二の腕に、男の名前を彫り込んでおります。『金は、金太の金だから分かるし、女郎が「いのち」と彫るのも知っちゃぁ〜いるが。。。』田舎のお大尽ではなさそうだぁ。なぜ、なら明らかに、素人が木綿針で彫ったと分かる『金命』。
金太「姐さん!花茣蓙(はなごさ)を敷いてくれぇ、少し昼寝させて貰おう。」
女中「ハイ!ごゆっくり。」
どの位寝たのか?夏の湯上がり、急に寒気を感じて目が覚めた金太。追加の茶代と茣蓙代を更に三十文払い、目覚まし女の事が気になって仕方がない気持ちを引き摺りながら、梅の湯を出て家路に着きました。
翌日、四ツ過ぎの昼前時。金太は、湯島の切り通しの坂下から『目覚まし女』が、囲われている屋敷を探します。
金太「すいません、一寸!お尋ね申しますが、この辺りに『目覚まし女』と呼ばれている、囲われ者の妾が居ませんでしょうか?」
女「お静さんの事かい?!」
金太「名前までは、知らないんですが、最近、吉原から引かれた元お職の女郎です。」
女「其れなら、久喜萬字の唐花魁。お静さんだよ。此の路地を真っ直ぐ行った三軒目、松の枝が塀から出ている家だよ。行って見てご覧?!」
金太「親切に、ありがとう御座います。」
教えられた道を進むと、黒板塀から松がニョッキり飛び出した、妾の住まいに相応しい立派な屋敷が在りました。
金太が、目覚まし女への思いを巡らします。『金命』と彫った元女郎だが、今の旦那は、おそらく関係ないだろう。
妾と言う女は、当て推量だが、女中の婆と猫一匹の二人と一匹暮らしで男手は無いに違いない。
ならば、出し抜けに、『俺が路地番の金の字だ!』と、逢いに行けば取り付く島が出来よう!と、勝手な思いを巡らします。
万一、言い争いや喧嘩になったとしても、勝ち目は此方に有ると、勝手な想像で、『目覚まし女』に興味本位で金太が逢いに参ります。
金太「えぇ〜、御免下さいまし!!」
女中「ハーイ。何方ですか?」
金太「吉原の路地番で金太と申します。ご新造さんは在宅でしょうか?少しばかり用が有ってめぇりました。お取り継下さい。」
女中「ご内儀は、いらっしゃいますが。。。路地番の金太さん?!少しお待ち下さい。」
女中が、お静に金太の様子と、吉原の路地番だと言って来て、用が有ると申していると告げると、見る見る嫌な表情に変わり、女中に申し付けます。
お静「飛んだ奴が現れたモンだねぇ〜。知らないよ、タアシゃ、路地番なんざぁ。大方、『唐/モロコシ』って源氏名に、カマ掛けて、銭にでもしようってケチな三品だろう?!
久喜萬字の唐花魁は、路地番なんぞに用は無い!って、塩を撒いてやんなぁ、お清!!」
玄関先まで聞こえる大きな声で、お静が言いますから、女中のお清が取り継ぐまでもなく、金太の耳に届きます。
女中が、止め様とするのを、お構い無しに、金太は奥の座敷へ、雪駄を脱いで飛び込んで行き、江戸っ子らしい啖呵を披露致します。
金太「久喜萬字の花魁に、路地番なんぞと言って名乗り出たがぁ、ちーとばかり役不足だったかぁ?!
其れにしても、ヤイ!唐(モロコシ)、銭が目当てで来た見たいな言い掛かりをタレやがって、この金太様を、貫目の低い、料簡無し見てぇ〜に言いなさるが、其奴は、ちーとばかり残無かろうぜぇ〜!!」
と、お役者小僧の面目躍如!そんな自分の啖呵に、やや酔いしれて顔を上げて、金太の方が、びっくり致します。
飛び込んだ座敷の真ん中には、デッぷりと太ったツルツル頭の海坊主みたいな五十がらみの強そうな男が、脇に妾のお静を座らせ、榛原の立派な団扇で風を送らせながら酌をさせて、茶碗酒を煽っております。
悪い所に飛び込んで来た!と、思いましたが、もう後の祭り。金太はグルり一廻り廻ってその場にえい!と、座り、もう破れ被れで、更に啖呵を続けます。
金太「オイ!お静。路地番なんぞたぁ〜、情けねぇー事を言ってくれるじゃねぇ〜かぁ。お前が、こんな立派な旦那に身請けされて、こう言う身体になった事は、ある意味、結構な事だと俺も思うんだが、
其れには、お前の口から『金さん!こうこうこう言う訳だから、アチキの門出だと、是までの事は、夢だったと諦めてお呉れ!』と、云やぁ、
俺だって分からねぇ〜、事はねぇ。
其れなのに、お内儀さんだ!ご新造さんだと、挨拶も無しに、他人行儀にされちゃぁ、文句の一つも言いたくなるぜ!!
論より証拠
お静!お前さんの其の二の腕に彫られた『金命』の刺青、そいつは紛れもねぇ〜、俺が彫ったもんだ。
どうせ俺は路地番だがよぉ!!お前は久喜萬字の花魁、入り山形に二つ星、松の位の太夫職だ。そりゃぁ、身分が違うが、
汝(てめぇ)の方から俺の姿に惚れて、一晩買ってみてぇ〜と、仲の町の桐屋から、まさか路地番を久喜萬字には送り込めねぇからと、
唐桟拵えの若旦那に仕立てて、汝の所へ化け込んだ。確かに、頭の先から爪先まで全部汝の散財だがよぉ!
好いとか悪いとか言った事は、もう忘れやがって。。。何でぇ〜、ありゃぁ、昼遊すびん時だった。汝にせがまれて彫ったんだぜ!『金命』って。
手拭いを口に咥えて、汝があんまり痛そうにしていたから、俺が止めようか?って尋ねると、涙を流して、『我慢するから、彫って下さい!貴方の名前を!』って言った癖に。」
お静「お前さん!何モンだい?!よくもまぁ、作り噺が、パーパー出るねぇ。狂人(キチガイ)かい?!講釈師かい?!」
さて、此処からどうなりますやら。。。金太の運命や如何に?!
つづく