二人の岡っ引に両脇の袖を取られて会所へと向かう片岡直次郎。この当時の吉原の会所は、廓内で起きた全ての事件が、極々些細な事から、非常に凶悪なものまで全て持ち込まれます。
そして、一度、訴えが会所へ持ち込まれますと、町奉行所より『廓掛』と呼ばれる役人が出張ります。
この日も廓掛の小出道之助が、手下の岡っ引惣兵衛庄吉からの連絡を受けて、既に、会所へ到着しております。
この小出道之助、非常に正義感が強く、役人風を吹かす様な振る舞いも無く、公平に間に入って柔軟に事件を裁いてくれるので、
廓内では頭取、町役からだけでなく、店の亭主・奉公人、女郎からも、『小出の旦那!小出の旦那!』と、尊敬される氏神様のような存在で御座います。
そんな小出が待つ会所へ、大口楼から届出のあった三千歳花魁の足抜け失踪の一件で、最重要容疑者・片岡直次郎を、惣兵衛庄吉の両人が袖を取って連れて参ります。
また、物見高いは江戸の常。更に噂の駆け巡るのが滅法速い廓ですから、会所の周りは既に野次馬たちで黒山の人集りです。
そんな中、直侍が岡っ引に両袖を取られて、同心小出道之助が居る会所へと入って行きます。そして、小出の前に来た惣兵衛と庄吉は、丁寧に手を付いて報告を述べます。
庄吉「旦那!態々のお運びご苦労様です。只今、虎屋より片岡直次郎を同道致しました。どうか宜しくお調べの程願い致します。」
小出「貴様が、片岡直次郎か?」
直侍「いかにも、拙者が片岡直次郎だ。」
小出「御家人と言うが、どんな役まわりだ。」
直侍「身分は軽いが、役目は随分重い事も致す。」
小出「では、住所は何処だ?!」
直侍「住まいは、本郷大根畑にある拝領地だ。」
小出「ふぅーん、何歳にあいなる?」
直侍「二十七だ」
小出「片岡直次郎、吟味中であるによって、言葉を改めるから、そのつもりで聞きなさい。その方は、当廓内、江戸町二丁目大口楼の抱え三千歳と申す女に随分馴染んで居たと申す事。
然るに右三千歳が、去る十日、廓を抜け出し、今持って行方が知れん、右は大口楼主人病気につき、金蔵という者を持って訴え出たが、
即ち、其処に居るのが大口楼代若い者、金蔵と申す者だ、其の方、見知りおるよなぁ?!
然るに、其の方に不審が掛かったと言うは、今朝方、其の方が着用していた衣類、天鵞絨の翁格子の廣袖、俗にドテラと呼ばれる衣類、その他にも腕守と名付ける物、此れ等は全て三千歳が所有していた物であるとの事。
是等を持って、其の方が手引きを致し、三千歳を逃し、何れかに此れを匿っておるに相違ない!!この不審を其の方はどう晴らす?!
其の方も直参ならば、此処は一つ、潔く有り体に全てを白状致し、一日も早く三千歳を大口楼へ返して欲しい。
片岡直次郎!強情を張っても仕方が無いぞ、漢らしく、全てを正直に話しなさい。拙者、悪い様にはせぬ。」
直侍「へゞゞゞゞ、拙者、何の嫌疑でこの様な所へ引かれて来たかと思えば、それぢゃぁ、何ですかい?小出の旦那。
大口の女郎三千歳を、この直が連れ出して、何処かへ隠したと仰っしゃるんですかい?!そんだけの嫌疑を掛けるからにゃぁ、
どんなにか動かぬ証拠が有るのかと思いきや、ドテラと腕守が三千歳の物だからと、長脇差の因縁みたいな事を仰います。
お前さん、仮にも町奉行所の同心でしょう?日頃から旦那!旦那!と、呼ばれてそっくり返って威張り腐っているんでしょうが、
大小差した武士の端くれならば、こんな訳の解らない嫌疑を証拠に、直参を会所にしょっ引く何て真似をしちゃぁ、後で痛い目を見ますよ!!」
小出「黙れ!貴様が着ているドテラは、三千歳が逃げた晩に、風邪ぎみで熱があると申して、客も取らずに寝ていた時、部屋で羽織っていた物と全く同じだ。そんな偶然が在るかぁ?!
此れが動かぬ証拠だ!よって貴様が、三千歳をあの晩逃して、何処かへ隠して居るに相違ない。此れだけの証拠が有るんだ、もう、言い逃れはできぬ。早く白状して楽になれ!!」
直侍「カツ丼でもご馳走しますか?旦那。小出の旦那、よーく考えてご覧んなさいましよ。このドテラの生地、此れは何処で織られたか知っていますか?
そう京都の西陣ですよぉ。同じ柄、同じ色の反物が何反織られていると思うんですか?三千歳はその反物を買い求めドテラにしたが、中には羽織にした人もあるでしょう。
其れを、アッシが三千歳と同じドテラを作ったとて、何の不思議も無いし、日本全国六十余州を探したら、同じ天鵞絨のドテラなんて何枚も見付かりますよ。
また、腕守は、一つ造りますか?こんなもんは男女の好き同士が対で造って身に付けるもんです。俺と三千歳も、神田鍛冶町の袋物屋『志摩屋』に頼んで、互いの紋を比翼にして造りましたよ。
其れにね旦那、アッシは大口の二階から堰かれてて二ヶ月あまり三千歳とは、逢引は勿論、口も聞いちゃいませんぜ。
其れで、どうやって示し合わせて、逃したり隠したり出来るんです?いい加減にして下さいよ。
今朝、金蔵の奴から初めて聞いたんですから、三千歳が足抜けしたって。俺を堰く前に堰かなきゃいけない客は他に居たんじゃねぇーかと、
本に尺に触ると怒ったんですから。
其れなのに、頓珍漢な証拠で、俺が三千歳を逃したみたいに言われて、悔しいですよ、アッシは。
小出さん!あんた達は、天下の直参片岡直次郎を、こんな所に、役目の威光で呼び出して、其の上無実の罪を着せるつもりですか?!」
小出「えい、黙れ!黙れ!此方が調べをしているのだ!貴様の方で、勝手な謎解きなどせんで宜いワぁ!」
直侍「まんまり的外れな推理と証拠で、白状しろ!と、迫るから教えてやっただけだ。もう良いだろう?俺は大根畑へ帰るぜ。」
直侍が立って帰ろうとすると、惣兵衛と庄吉の両人が袖を掴んで逃がさない構えだ。怒った直侍が、二人の方に火種の点いた煙草盆を蹴り付けた。すると、待ってましたとばかりに、小出道之助が、手下に下知を飛ばします。
小出「片岡!狼藉を働きおって、火を足蹴にするとは言語道断!!役所での放火未遂の罪だ、惣兵衛、庄吉、片岡直次郎に本縄を射て、場所を奉行所に移して本格的に取り調べる!!」
直侍「止めろ!イタイ、イタイ!もっと丁寧にやれよ、タコ。小出!俺は煙草盆をひっくり返しただけだ。
その俺様を、高手小手に縛りやがって。天下の直参を町奉行所の役人が、こんな事をすると、どうなるか?思い知らせてやるから、覚悟してやがれ!
貴様、腹を斬るハメになるかも知れねぇーからなぁ、今日家に帰ったら、女房を死ぬ程可愛いがってやれ!首を洗って待ってろよぉ!この木端役人!!」
縄付となった片岡直次郎。さて、どうなりますやら、次回のお楽しみ。
つづく