そんなお浪が黒門町の実家に帰り着いた頃。松江候が、ハッとある事に気付いてしまいます。あの道海と名乗る使僧、どっかで見た顔だと思っていたら。。。
殿様「誰か!誰かある!」
小姓「ご主人様、如何なされました?」
殿様「浪路は、まだ居るか?」
小姓「浪路殿は、今しがた八ツ半過ぎにお方様やご老女様に送られて、宿下り致しました。」
殿様「糞ッ!帰したかぁ、惜しい事を致した。では、東叡山の使僧、道海とか申す坊主は、アレはもう帰ったか?」
小姓「いえ、まだ高木様たち留守居役の者十名が、今、正に送り出さんと玄関に集まっておりますが。」
殿様「あの坊主を帰すな!門を閉めて留め置け。そして、御城役の小林大膳を、すぐに来るように呼んで参れ!今、直ぐじゃ、急げ!!」
大膳「殿、お呼びでしょうか?小林大膳、まかり越して御座います。」
殿様「その方は御城役なれば、本丸西ノ丸の奥坊主の顔は殆ど分かるであろう?」
大膳「御意に御座います。千人以上居る城坊主全体と言われますと、半分も知らぬと思いますが、こと奥坊主ならば、殆ど分かりまする。」
殿様「その奥坊主の中に、時計の間に勤めている河内山宗俊と言う奴が居るだろう?奴を知りおるか?」
大膳「河内山ですか、勿論、存じております。と、申しますか、城坊主の中でも、河内山宗俊は有名で、御城役であの悪坊主を知らぬ者は、まず、居りません。」
殿様「予も、確か登城の折、奴に三度、身の回りの世話と場内の案内を頼んだ事がある。奴の左側の眉に、小豆半分くらいの黒子が有るだろう?
今回、参った東叡山の使僧が、同じく左側の眉に黒子が有った。あの顔は、間違いなく、河内山宗俊だ!
其処でだ、大膳。あの偽使僧、道海と名乗る河内山を捉えて、見せしめに、寺社奉行に突き出してやれ!!
よいか?もう、玄関でお見送りが始まっている急いで行って、彼奴を捉えて、浪路を逃した仕返しをするのじゃ!!行け、大膳。」
押取刀で脱兎の如く駆け出した小林大膳。玄関へと叫びながら、向かいます。『使僧は偽者だ!!止めろ!!帰すなぁ〜』
そして、待たせてあった輿に、道海が履物を脱ぎ片足入れた、次の瞬間、小林大膳が、玄関の雲竜の衝立から飛び出して来て、声を掛けた。
大膳「東叡山の使僧、道海とやらぁー。暫く、暫く、待てい!!待てい!!」
小林大膳、お見送りの侍や腰元を掻き分けて、輿の前まで、飛び出して来た。しかし、道海は、此れに全く動揺する様子もなく、ゆっくりと語り掛けた。
道海「無礼な人もあるものかな?黒衣無官の僧とは申せ、畏多くも一品親王輪王寺宮のご下命を被り、当家に御使いとして参った道海に対して、無事御用住んで退出する際に、『道海、待て!!』とは、どういう事ですか?
これは、失敬の一言。足下は当家の何役で、何というお名前で、どの様な地位にあらせられる方なは、知らねども、無礼でしょう?!
出家の事なれば、一度は許しますが、重ねて無礼の有る時は、そのままに捨て置きませんぞ!」
道海の側に来た大膳は、殿様から聞いた『左側の眉の黒子』を確かめるべく、怒る道海を無視してその顔を凝視し、黒子を見付けると、ニッコリ笑って言葉を返した。
大膳「返すゞも、大胆不敵な物言いをする奴よのぉー。東叡山の使僧道海とは、真っ赤な偽り!!貴様は、江戸城本丸、時計の間に勤める奥坊主、河内山宗俊である事は、知れておるぞ!!」
道海「なぁーにぃー!?」×クールポコ風
大膳「拙者、当家の御城役で、小林大膳と申す。貴様は殿をまんまと騙し、あの浪路を逃し、当家留守居役を盲目にさせて、騙し通してこのまま帰り、恐らくは、上州屋から報酬を得ようと企んでいるに相違ない!!
このまま、めくらにされた留守居役の方々は騙せても、この小林大膳の目は誤魔化せないぞ、悪坊主、河内山宗俊!!」
そう言って小林大膳、道海の着物の袖と帯をしっかり掴んで、玄関先から中へと連れ戻そうと致します。
一方、道海の方はと見てやれば、城内で顔の見覚えが在るにも関わらず、一切、狼狽する気配はなく、顔色一つ変えずに堂々と反論を始めます。
道海「此れは、実にけしからん事を承るものかな?!斯くの如き無礼を受けるは、拙僧の身の不運、不幸せ。此の身の恥辱と成る故に、そうそう我慢して受けても居られまい。
この道海が、その河内山なる坊主に似て居ると言われても、拙僧はその河内山を知り申さぬ。定めし悪行三昧の御仁である故、道海をその河内山では?と、お疑いかと存ずるが、
拙僧は、上野内山に住む道海と申す輪王寺宮の使僧二十八人の一人。畏多くも上御内々の御使いは、拙僧に仰せ付かるのが習い。
此の度は、徳川家筋二十萬石のご当家の瑕瑾に関わる話と言う事で、拙僧が使僧として参り、ご当家太守とご面会致し、その旨を言上致した所、
太守はいたく、宮様の思し召しを有り難く受け入れて頂き、此れにてご当家は波風なく安泰に治めるべく運んでいたら、
足下、此の道海を捕まえて、河内山だ!宗俊だ!と、思いもよらぬ事を申されるゞは、何分不審が晴れ申さん。
其れは、恐らく他人の空似。人違いであろう。心得違い、勘違いは誰にでも在る事だから、今回は大目に見るが、小林大膳殿、粗忽が些か過ぎますぞ!気を付けられよ。」
大膳「盗っ人猛々しいとは、正に、汝の事。貴様は口に締まりが無く、何でも直ぐにパーパー喋り出すが、此の大膳は、そんな口車には乗らぬぞ!!
貴様が、正直に河内山宗俊と認めぬうちは、此処から一寸も動かさせはしないので、覚悟しろ。
そして、貴様をこの場で捉えて『輪王寺宮の使僧を騙る大罪人』として、寺社奉行へ突き出してやるから、覚悟するんだなぁ!!」
道海「此れは、迷惑千万な事であるも、寺社奉行だろうと、たとえ老中・大目付方の前であろうと、いやいや次第によっては徳川家将軍様の御前にでも、道海出ろ!と、言われるならば、喜んで引き出されもするが、
言われ無き人違いをされて、河内山宗俊とか言う坊主の汚名を着せられたまんま、其れらに引き出されるは迷惑至極、道海!御免被りたい。」
大膳「フフフぅ、芝居掛かった道海ごっこは、いい加減、止めて貰おうかぁ?!貴様が河内山宗俊である、確たる証拠が有ってこっちは言っているんだぞ!!」
道海「証拠?!」
大膳「そうだ、貴様が河内山宗俊である事は、その左の眉に在る小豆半分くらいの黒子が、何よりの証拠だ!!化けの皮が剥がれたぞ、道海、いやぁ、河内山宗俊!!」
此れまで、堂々と振る舞っていた道海が、一瞬、小林大膳の意外な指摘に、明らかに狼狽した様な『しまった!』が、その顔の表情からも見て取れます。
また、道海を見送りに出ていた、留守居役と腰元、合わせて十数人の松江候の家来達も、始めは小林大膳が乱心して暴れていると見ていたが、
次第に二人の問答に引き込まれて、遂には、小林大膳が、道海は上野の宮様の使僧ではない事を証明してしまう段になり、互いに顔を見合わせて驚き、玄関先が俄かにザワザワと、ざわつき出すので御座います。
直ぐに、道海こと河内山宗俊は、気を取り直して、高らかに笑った後、小林大膳に切り返します。
宗俊「ハッハッハー!妙な所に目を付けたなぁ。隠そうとしても現れるゞ、変装泣かせの此の黒子。
人相書きのお尋ね者となったからは、もう、仕方あんめぇー。先程来の窮屈な物言いは止めて、普段の河内山で、此処からはやらせて貰うぜ。
やい、小林大膳。俺様の化けの皮を剥いで、勝ち誇った様に、得意げな顔をしてなさるが、この河内山!寺社奉行へ引き出されても、堂々と出て行く覚悟を決めたよ。
その代わり、そっちもそれ相応の覚悟をして貰わんといけないぜ。なぜなら、俺は引き出された先で、松江藩二十萬石の殿様が、こんなご乱行をしておりますと、
上州屋彦右衛門の娘、浪を、許婚の良人が在るにも関わらず、座敷牢に閉じ込めて、折檻するわ、出してやるから妾に成れと透かすわして、
不良の長脇差や、街道の雲助野郎が行う盗賊追い剥ぎ同様の所業で、何人も盗んで来たような妾を抱えておりますと、在る事無い事、全部白状するからそう思え!!
此の河内山、立派に松江二十萬石と差し違えて、この初花の如く散ってやる!!お前たち、全員が道連れだ。藩が取り潰されて路頭に迷うがいい。」
この河内山の啖呵を聞いて、高木小左衛門以下、お出迎えの衆が驚いた。此のまま、小林大膳に偽道海を、奉行所へ突き出させてはまずい!!と、咄嗟に判断致します。
高木「小林氏が、乱心だ!輪王寺宮の御使僧に無礼を働いておる。捕らえて奥へ連れて行け!!
道海様、小林が誠にご無礼を働き、悪口雑言申しましたが、拙者、高木の顔に免じてお許し下され。
そして、此方が、今日のお土産に御座います。お口に合いますか?長命寺の桜餅に御座います。二十八人の使僧のお仲間と頂いて下さい。
また、些少ですが、この金子はお詫びの印と御車代で御座います。くれぐれも、宮様には宜しくお伝え願います。では、失礼します。」
道海「あい分かった、ご苦労。」
桜餅と御車代の二十五両を手にして、練塀小路の自宅へ帰った河内山。翌日、直ぐに下谷黒門町の上州屋へと参りますと、
お浪が戻りましたと、彦右衛門以下奉公人全員が満面の笑みでお出迎え、先の親戚筋と許婚の定次郎も来ておりまして、其れはゞ、宗俊を下へも置かないおもてなしで御座います。
帰りには、後金の二百両に、信用貸の五十両を付けて番頭の源兵衛が渡してくれました。この噂が江戸市中を駆け巡り、河内山宗俊の名前が轟き渡る事になるのですが、
この噂を聞き付けて、「何が河内山だ!」と、不満と嫉妬を抱いておりますのが、御家人片岡直次郎で御座います。さて、この続きはどうなりますやら、次回のお楽しみです。
つづく