此れからは、暫く、『天保六花撰』のお噺でお付き合いを願いたく存じます。
此の河内山宗俊と言う男、元は時計の間の坊主を勤めておりましたが、如何せん、素行が悪い。それで、御錠口外のお数寄屋坊主とあい成りました。
と、六代目貞山先生の時代なら、此れで聴き手に十分通じたのでしょうが、『御錠口』が何なのか?分からないと、意味不明でしょうから、少し解説を入れます。
勿論、江戸城もそうなのですが、大奥の様な男子禁制の『奥』が存在し、その奥と表との通用口を、『御錠口』と呼びます。
つまり、河内山宗俊は、最初は関係者・奥坊主として、男子禁制の部屋へ出入り出来たけど、素行不良で、奥へは入れなくされてしまいました、と、言っておるのです。
因みに、お数寄屋坊主とは、忠臣蔵で「アッ!と驚く茶坊主がぁー」のアレです。数寄屋頭と言う役職が江戸城には有って、此れが城内の茶道全般を差配しておりました。
江戸城には、幕閣は勿論、参勤中の諸大名、時令で京より下って来た公家・皇室が出入りしますから、茶会・茶席は、大切な接待行事でした。勿論、それだけでなく、身の回りの世話全般を此の坊主達が行います。
小満ん師匠の『河内山宗俊』で、聞いたと記憶しますが、奥坊主は無地の羽織を着て、表坊主はそれでは失礼と、紋付の羽織が義務付けられていたそうです。また、坊主全体で江戸城には千五百人が勤めて居たそうです。
此の河内山、極悪人かと見てやれば、そんな事は御座いません。義に厚く仁を尊ぶ幾分侠客気風は御座いますが、派手好みなだけで、僅か三十表二人扶持の身分なれど、
本宅は下谷練塀小路に在り、なかなか立派な居を構えております。更に数寄屋町に妾宅を置いて、此処でも贅沢三昧。衣食住、いずれも最高を求める御仁で御座います。
そんな河内山が、まだ、奥坊主を務めていたある夏のお話で御座います。相変わらず勤めにも出ず。頭は坊主なのに、五分程度の短い髪の毛が生えた状態/五分月代で、盛場をぶらぶらしております。
流石に、そろそろ登城せねば、上役の小言くらいでは済まないと、そう思いましたか?頭を綺麗に剃りまして、上布の帷子に博多の帯をやや胸高く締めて、黒い無地の羽織を着込みます。
それに、九寸五分の短刀を飾りに差して、八丈の縞笠を被り、履物は日勤履きの雪駄で御座います。
この姿で、珍しく二十日程、真面目にお伴の中元源助を連れて勤めを続けております。そんな或る朝、とのえの明番、五ツの太鼓を聴いて本丸を退いて、練塀小路の本宅へと帰る途中、
ちょうど、神田橋の中程に差し掛かった辺りで、彼方(むこう)から来た乞食態の汚い野郎が、単の木綿物に三尺帯、ちびた草履を履いて豆絞りの煮染めた様な手拭いで頬冠をしております。
其奴が袂で、今橋を渡って参ります宗俊を、ジロリっと嫌な目付きで見ますから、宗俊も立ち止まり振り返りますと、互いの顔と顔が向き相います。
宗俊「誰かと思ったら、貴様は!山崎町の丑松ぢねぇーかぁ?」と、声を掛けると、汚な手拭いを取りまして、愛想笑いを致します。
丑松「へェ、河内山の旦那で御座いますか?こんな態(なり)で、お声を掛けてはと思いまして、躊躇っておりましたが、気付いて頂けて良かった!
この態ですから、練塀小路のお宅へ伺うのは失礼かと存じ、御遠慮致しまして、此処でお退けを待っておりました。
六ツ半からお通りになるのをお待ちして、旦那が橋に掛かるのを見届けは致しましたが、態が余りにご立派なもんで、つい声を掛けそびれて居たら、旦那の方から気付いて頂き誠に有難う存じます。」
宗俊「此れゞ、何が有難てぇーんだ。そんな汚い態で。最初(ハナ)は乞食かと思ったぞ。その態で俺に寄って来ると、往来の人が目を注(つ)けていけねぇ」
丑松「ナぁに、構やぁ致しません。」
宗俊「貴様は構わねぇーだろうが、俺の方では困る。全態なんの用だ?!」
丑松「エぇ、ちっとばかり、貴方様にお願ぇーが御座いますが、申しても宜しいでしょうか?」
宗俊「何だ?!」
丑松「何だ!と、改まって聞かれちゃぁ、申し上げ難い話なんですが。。。ご苦労人の河内山の旦那ですから、お察し願いとう御座います。」
宗俊「若い娘に『お察し下さい』と言われりゃ嬉しいが、貴様を察したくないが。。。どうせ貴様の事だ、大方、金の頼みだなぁ?!」
丑松「ヘェ、ご察しの通りで、実は一寸、入用が御座いまして、是非算段頂いて十両ばかり、都合を付けて頂けないでしょうか?」
宗俊「ウーん。十両かぁ。持ち合わせが有れば、この場で渡すのだが、分かった!十両を捻り出す工夫をしてやろう。おい!源助。」
源助「ハイ、御膳様、何ぞご用で?!」
宗俊「お前は、此処でもうよい、先に帰って家人には、旦那様はご友人と神田橋でお会いになり、一寸寄る所が出来たから、お帰りは夕刻になると伝えてくれ。
其れでなぁ、家人が心配するといかんから、こんな汚い態の乞食に会って居たとは、決して言うなぁ、人品宜しいお方でしたと伝えるのだ、よいなぁ!源助。」
此れを脇で聞いていた丑松がニヤニヤして
丑松「エー、お供さん、ご新造さんやお妾さんが心配なさるといけませんから、もし尋ねられたら、金をたんまり持ってそうな立派なお殿様だったとお伝え下さい。」
宗俊「脇から余計な口出しするな!丑松。源助、余計な事は喋らんでいい。」
源助「畏まりまして御座います。」
と、源助は練塀小路の河内山邸へと帰って行きます。そして跡に残った河内山宗俊と闇(くらやみ)の丑松。
宗俊「丑松、少し離れろ!!半間ばかり離れて付いて来い。」
丑松「旦那、何方へ参るおつもりです?」
宗俊「貴様の話を、詳しく聞きたいと思うのだが、この往来で立話も具合が悪い。昼飯時には早いから、此処らの店はまだ開いてねぇーと来た。
そこで、本町河岸の『曙』あすこなら、静かに一杯やりながら貴様の話が聞ける。だが、貴様と並んで歩くと外聞が悪い!半間背後から付いて来い。」
丑松「承知しやした。」
そう言って河内山、早足になりまして、鎌倉河岸を抜けて本町河岸。其処に在る『曙』というこじんまりした會席茶屋へと入ります。
この店は、河内山が明番の際は時々利用しておりまして、朝から一杯やって湯に浸かり仮眠を取ってから帰宅する事も御座います。
ですから、店の者は河内山をよく存じており、「御免!」と言って入る河内山に、亭主が声を掛けて参ります。
亭主「此れは、御膳様、いらっしゃいませ。おーい、練塀小路の御膳様がお越しだ。履物と笠をお預かりして!!」
女中「ハーイ」
直ぐに女中が、出て参りまして、河内山の傘と履物を預かります。
女中「河内山様、ようこそ、いらっしゃいませ。今朝ほどはお明番に御座いますか?」
宗俊「そうだ、明番の帰りだ。」
女中「お供さんは?」
宗俊「伴は先に返した。今日はゆっくりやろうと思うてなぁ。河岸はもう帰ったか?」
女中「ハイ、先程戻りました。では、お二階へご案内申します。」
宗俊「狭くて良いから、静かな部屋を頼む。」
女中「畏まりました、奥の紅葉の間へご案内致します。」
河内山、奥の座敷「紅葉の間」に入ると、先の女中がお茶と煙草盆を持って参ります。やや遅れて丑松が、例の汚な姿で『曙』へと入ろうと致しますから、出前持ちの若衆と一悶着在ります。
若衆「おい、兄ぃ!!」
丑松「何だ、小僧。」
若衆「何だじゃねぇーよ。何しに来た?!其処は玄関だ、人ん家でお貰いする時は裏口から入って来なぁ。」
丑松「この野郎!人の態が汚いからって乞食扱いすんじゃねぇー!!こちとら客だ!客が玄関から入れねぇー料理茶屋があるのか?!
それに、何しに来ただ?不思議な料理茶屋だなぁ、お前ん店(ち)は、飲み食い以外に何か気持ち良い事、させてくれるのかい?!」
大きな声で言い争いが始まりますから、慌てて亭主が奥から出て参ります。
亭主「モシゞ、お前様。態、拵えが汚いからって若衆が咎めた訳じゃねぇーが、客なら客らしくして昇って下さいよ、旦那。」
丑松「何だとぉ〜、貴様が此処の亭主か?!客なら客らしく昇がれだぁ?!お前は何様だ、こちとらタダで食わせろって言ってんじゃねぇーぞ!お足を払って飲み食いする客だ!
ふざけた事ぬかすと、火付けて燃しちまうぞ?!おぃ!亭主、此処に、お城坊主の河内山宗俊が来てるだろう?」
亭主「横柄な物言いはよしなさい。河内山の御膳は確かに来ていらしゃるが、それがどうした?」
丑松「俺は、其の宗俊の兄弟分で、山崎町の、人呼んで闇の丑松という金箔附の町人様だぁー。
人を態が汚いからって馬鹿にしゃがって、確かに汚ねぇー態だが、腹ん中には錦を纏って居るんだ!よーく覚えとけ!!」
亭主「エぇー!其れじゃ貴方様は、河内山の御膳の兄弟分でぇ?!」
丑松「そうよ!!」
亭主「知らぬ事とは申せ、其れは大変失礼致しました。さぁ、どうぞお昇がり下さい。」
曙の亭主は、呆気に取られて煙に巻かれた様子の処へ、丑松が捨て科白でトドメを刺す。
丑松「様ぁー見ろ、昇がるなと言われても、昇がるけどなぁ、当然だ!!」
丑松はけたたましく梯子を上がり、畳障りも荒々しく奥の座敷「紅葉の間」へと飛び込みます。
丑松「旦那!お待っとうさんです。」
宗俊「今、下で派手に啖呵切っていたのは、丑松!貴様かぁ。」
丑松「いやぁねぇ、態が汚ねぇーからって、木戸突く様な真似しやがるから、俺は河内山宗俊の兄弟分で、闇の丑松だ!!って威張ってやったんですよ。」
宗俊「みっともねぇー奴だなぁ、そんな事を言いやがって!」
丑松「仕方ねぇー、係合いで御座います。」
宗俊「まぁ、座れ。」
丑松「有難う御座います。」
宗俊「まぁ、飲め。肴も色々とある。キスの天ぷら旬で美味いぞ。」
暫く、ヤったりとったりの応酬があり、酒と肴で腹が満たされた頃、河内山が尋ねます。
宗俊「時に、丑松、何があったんだ?」
丑松「ハイ、博打の借金とか、女で揉めてなら、手前(てめえ)の事なら、河内山の旦那にお願いしたりは致しません、が、
今日の八ツ過ぎの船で、佐渡に十人島流しが送り出されやす。その内三人が、アッシの兄弟分でして、
佐渡に流されたら、まず、生きては帰れません。此れが今生の別れになるなら、せめて三人に十両、ツルを持たせて島へ行かせたいと思いまして、
其れで、勝手なお願いは百も承知ですが、河内山の旦那にすがるしか無く、神田橋でお待ちしていたって理由(わけ)なんです。
勿論、最初(はな)は、手前で十両作るつもりで、押込みか?土蔵破りか?とも思いましたが、今は何処も閉まりが厳重で。
一層、堅気になって、小商いでもしてみるか?とも考えましたが、元手が無く十両稼ぐ小商いなんて有りません。
昨日の夜まで、悩みに悩んで、十両、どうにか捻り出せないか?結局、河内山の旦那にお携りするしか無いと思いまして、参りました。」
じっと目を閉じて丑松の話を聞く河内山。何とかしてやりたい!と、知恵を絞ります。
宗俊「丑松、貴様は拙者には、よく尽くし汚れ仕事を文句も言わず引き受けてくれた。此方も貴様には、其れ相応の礼は尽くしたつもりだが、
この今日の昼までに、十両拵えるというのは、如何せん刻が無い。仕様が無いと諦めたら、其れ迄なので、河内山!何とか知恵を絞る故、暫し待て!!」
同じ坊主でも、一休さんではありませんから、つるつる頭を指で円を描いて回しても、知恵が浮かぶ河内山では御座いません。
其れでも、必死に十両の金策法を考えます。そして四ツの鐘を聞いた頃、河内山、目を見開き、ニヤリと笑います。
宗俊「丑松、こっちに来い。耳を貸せ。壁に耳在り障子に目在り。此れ又、徳利には口が在ると言う。何処で誰に聞かれておるやもしれん、丑松!耳を貸せ。」
丑松「成る程。。。成る程。。。成る程ザ・ワールド。。。アッシは、紙屑やに化けるんですかぁ、ドジ拵えだなぁ。。フムフム。。。成る程。。。フムフム麦踏む。。。そう成りますかぁ〜。
やっぱり、違う!河内山の旦那は。悪事を考えさせたら日本一!アッシの様な小悪党には、思い付きっこ有りません。屑やの役が関の山。」
宗俊「そんな事より、しっかり支度せぇーよ。」
丑松「支度たって、紙屑やに成るんですよ。着物はまんまなんだから。鉄砲笊と真魚箸のデカいのが有れば、あとは汚い古い笠を探すくらいだから、大事です。四ツ半の仕掛けの刻には間に合います。」
宗俊「ならば、景気付けに、此処にある徳利の酒を一気に飲み干して、支度に掛かるぞ!」
丑松「ガッテン!!」
つづく