畔倉重四郎が、藤沢の旅籠『大津屋』へ婿入りして、二代大津屋段右衛門と成った頃、幸手宿時代の博打仲間の杉田三五郎は、
鎌倉屋金兵衛を畔倉重四郎が殺して奪った五百両の分前の百両を、ほぼ使い果たして、女房のお文と伴に幸手へと帰って来ておりました。
お文「あんた!どうするつもりだい?此れから。博打で儲かった!と、言って百両を私に見せくれたのが、もう二年半前。
下野から上野の温泉場を旅して、田舎芝居と博打三昧!!仕事もせずに、宿から宿へと渡り歩いて、結局、一文無しじゃないかぁ。」
三五郎「一文無しじゃねぇよ。一分と二朱残ってるから。」
お文「百両の金子が、一分と二朱しか残していないのを、一文無し!って言うの。そんな事より此れからどうすんのさぁ?!」
三五郎「取り敢えず、昔の博打仲間ん所に行って、銭の算段して来るから、この二朱で、前住んでた家を、大家に頭下げて借りとけ!!」
お文「嫌だよ。あの因業大家が、二年半前に家賃踏み倒して逃げた私達に、あの借家を二朱で貸すハズないだろう?あたしゃ、嫌だよ。」
三五郎「そんな事言うなぁよ。俺が行くよりは、幾らかマシだって。頼むよ。住む所さえ確保できたら、跡は俺が何とかするって。」
お文「本当に、何とかして頂戴よ?!」
旦那を送り出したお文は、直ぐに大家に掛け合い、何とか二朱で踏み倒して逃げた時の店賃を、今月纏めて払う事で、どうにか元の借家を再度借りる事が出来ました。
鍋釜などは、そのまんま残されていましたから、家ん中を掃除して、夕飯の支度を済ませて、亭主三五郎の帰りを待っておりますと、三五郎が何やら嬉しそうな顔をして戻ります。
三五郎「今、帰った。オッ!飯だなぁ?大家は何か言ってやがったか?」
お文「二朱を差し出して、踏み倒した家賃と、今月分を合わせて、六百文、二朱と百払えって言われたよ。」
三五郎「四百文踏み倒して、利息に二朱・五百文取りやがるかぁ〜。なかなか因業やのぉー。其れよりなぁ、いい儲け話を手に入れて来た。」
お文「何ですか?儲け話って。」
三五郎「船人足の徳兵衛知ってるやろう、お前も?!」
お文「ハイ、川越で船荷の人足をしている徳兵衛さんでしょう?!何度か会った事が有りますよ。その徳兵衛さんが、何か?」
三五郎「去年の暮れに川崎の船着場に、荷揚げの応援人足として出稼ぎに行って、その船着場で、あの重四に会ったと言うのさぁ!!」
お文「重四って、畔倉様ですか?畔倉様は、筑後の久留米に行かれたのでは?」
三五郎「それが、そうじゃねぇーらしいんだ。徳兵衛が言うには、藤沢の大津屋とか言う旅籠の主人に成って、名前も二代大津屋段右衛門と名乗っているらしい。」
お文「あらまぁー、それで?何が金儲けになるんだい?」
三五郎「いい成りしていたから、徳兵衛が声掛けたら、一両渡して口止めされたってよ。幸手の浪人、畔倉重四郎が、今は婿入りして、二代大津屋段右衛門に成った事は、内緒にしろ!!と言われたそうだ。
徳兵衛が一両だぞ!!俺が行けば、五十両六十両の銭は簡単に都合してくれるハズだから、明日、早速、江戸表を抜けて、藤沢へと行って来るぜ!!」
お文「畔倉様が、出世なすったからって、金子を貸してくれるかは、分からないじゃないかさぁ。ぬか喜びさせないでおくれよ。」
三五郎「重四が、俺からの借金を断れる訳ねぇーよ。幸手では、散々、二人で悪さぁして来た仲なんだからよぉ!!」
お文「だからって、畔倉様が、お前に何で五十両六十両の金子を貸すのさぁ?!」
三五郎「そりゃぁ、互いに弱みを十二分に知り合う仲だからさぁ。お前に、話して無かったか?穀屋の一件。」
お文「穀屋って、殺されなすった平兵衛さんの事かい?杉戸屋の旦那が下手人で、しょっ引かれた?!」
三五郎「アレは杉戸屋富右衛門が下手人じゃねぇーんだ。お前も知ってるだろう?例の重四が、一分で俺から買って行った煙草入れ!!
アレを上手く使って細工しやがって、重四が穀屋平兵衛を殺して罪を杉戸屋に擦り付けやがったのさぁ!!」
お文「。。。」
三五郎「其れから、実はこないだの百両も、博打のあぶく銭じゃねぇ。出所は重四だ。アレは鎌倉屋金兵衛を重四が殺して、あの野郎!!俺のこの扇子を現場に残しやがって。。。
子分三人を、消すのを俺が加勢したから、貰った百両なんだ。だから、アイツは俺が頼んだら嫌とは言えねぇーんだ。」
お文「お前さん!本当に、大丈夫かい?畔倉さんの逆鱗に触れて。。。お前さんまで、仏になったりしないかい?!」
三五郎「馬鹿言え、俺は、そんなヘマはしねぇーよ。其れに、俺と重四の仲だ!纏まった銭を持って帰ったら、今度は、お前に店を持たせてやるよ!!小料理屋かぁ?!幸手の目抜きに店出させてやるから、待ってろ!!」
そんな夫婦のやり取りが有りまして、三五郎は藤沢の大津屋へと参ります。
番頭「何方様でしょうか?」
三五郎「此方の新しい旦那さん、その古い友人で、幸手の浪人仲間の、杉田三五郎が参っておると、旦那にお取り継ぎ願います。」
番頭「此れは!!お見それ致しました。旦那様のご友人でしたかぁ、申し訳有りませんが、其方の方で、お待ち願います。旦那様をお呼び致しますから。」
通された部屋で、丸火鉢に当たりながら、三五郎が待っておりますと、足音が近付いて参ります。
重四郎「おぉ!三五。久しぶりだなぁ〜。よくここが分かったなぁ?!」
三五郎「お前が、藤沢の大津屋って旅籠の主人に成っていると、幸手の博打場で聞いたもんでなぁ。此れは、挨拶をしておかないとと、そう思って訪ねたのよ。」
重四郎「そうかぁ、本当によく来てくれた。取り敢えず、旅の垢を落としてくれ!風呂から出たら、ゆっくり、女房にも紹介するんで、一杯やって行ってくれぇ。」
三五郎「有り難い。積もる話もあるし、其れに相談したい件も有るんで、先ずは、風呂を借りようかぁ。」
まだこの時、重四郎は、遠方より旧友が訪ねて来た喜びが強く、酒と肴を用意して、三五郎をもてなして、女房のお勇にも紹介した。
重四郎「ささぁ、三五。此れが女房のお勇だ。拙者、今ではこのお勇の入婿となり、大津屋段右衛門を名乗っておる。
お勇、三五。。。三五郎さんに酌をしなさい。此方は、拙者が幸手で道場主をしていた頃の浪人仲間で、杉田三五郎殿だ。」
お勇「段右衛門の妻のお勇、と、申します。わざわざ本日は幸手宿から主人を訪ねて来て頂き、本に有り難とう御座います。ささぁ、お一つ御酒を!!」
三五郎「忝い。拙者は杉田三五郎に御座います。以後、お見知り置き下さい。重四。。。ではなく、段右衛門殿、ご内儀とは何処で知り合われた?」
重四郎「拙者が、筑後の久留米へ向かう途中、江ノ島詣に出掛けた折、女房が芸者たちに連れられて来ており知り合い申した。お前さんのご内儀も元気にしておられますかな?」
三五郎「うちのお文も、幸手で元気にしておる。お主、結局、久留米の叔父上の所へは行かず仕舞いなのか?」
重四郎「あぁ。お勇と、出逢うて仕舞うたからなぁ。久留米へは行けなくなり、武士は捨て申した。」
三五郎「ご内儀、お勇殿!重四の何処が良かったのですか?」
お勇「優しくて、包容力がお有りで、後家に成って不安な私を、導いて下さいました。」
三五郎「そうですか?!ご馳走様です。ところで、お勇殿も、艶書を重四から貰いましたか?深草少将の?!」
お勇「艶書???」
重四郎「古い話を持ち出すな!!三五。」
三五郎「冗談は、さて置き、お前に折り入って相談したい事がある。お内儀、重四と二人で話がしたいので、少しの間だけ、席を外して下さい。」
お勇が席を外すと、三五郎が重四郎に、幸手に居る女房お文に小料理屋を持たせてやりたいからと、五十両の金子を無心します。
重四郎は、この時、つい鈴ヶ森で十七屋の常飛脚を殺して奪った五百両の事にも触れて、その中からだと、五十両の金子を三五郎に渡します。
その日は、大津屋に三五郎は泊まりましたが、翌日になると、折角来たから、鎌倉、江ノ島を遊山して、江戸見物もしたいと言って、大森の紀州屋と言う旅籠へと移ります。
八、九日経つと、もう幸手に帰ったはずの三五郎が、大津屋の店先に現れます。驚いた重四郎こと段右衛門は、三五郎を奥に引き込み問い正します。
重四郎「何しに来た!!幸手に帰って女房と小料理屋をやるんじゃ、ねーのか?!」
三五郎「悪いなぁ、重四。鎌倉と江ノ島を遊山して、その後、浅草見物していたら、五十両あった銭が、三十両に減ったんで、『ガラッポン!勝負』ってな事をして増やそうとしたら、全部取られたって訳よ。悪いがぁ、もう、五十両都合してくれよ。」
重四郎「ふざけた事を言うなぁ。五十両はくれてやる。返さなくても構わないから、早く!幸手に帰れ!!三五。」
三五郎「金子無しでは、帰れないよぉー。其れに俺は、穀屋の件も、鎌倉屋金兵衛一家の事も、そして新たに、十七屋の飛脚殺しも知ってんだぜ?大人しく、あと五十両だせ、重四。そしたら、幸手に消えてやるよ。」
不本意ながら、この日も五十両を三五郎に渡した重四郎こと段右衛門。すると、また、十日もしないうちに、三五郎が現れて同じく五十両の無心を致します。
流石に、二代大津屋段右衛門、この野郎は生かしては置けない!!と、思いまして、この日は手元不如意なのでと、十五両だけを渡して、
明後日、品川の相模屋から集金したら、残金の三十五両渡すから、六ツに品川の料理屋「柊木」で繋いで居てくれと三五郎を帰します。
そして当日。久しぶりに脇差を床の間から取り、唐桟の地味な縦縞に黒羽二重の紋付を羽織、茶献上の帯に大刀だけを落とし差しに致します。
素足に下駄、小さいぶら提灯を二つ持って、わざと一刻遅れて五ツ半頃に、三五郎の待つ「柊木」へ、段右衛門は訪れます。
三五郎「重四!遅いぞ、ちびりちびりのつもりが、五合も飲んでしまった。さて、銭は?」
重四郎「此処に在る。だがなぁ、三五。もう、此れが最後だ。俺も今夜はお前と一緒に紀州屋に泊まる。お前を朝六ツに、幸手へ送り出すからなぁ!!」
三五郎「分かったよ。此れが最後だ。一緒に泊まるなら、今夜は此処で、とことん飲もうではないかぁ!!お前の奢りで。」
更に、二人は料理屋「柊木」にて、四ツ半、九ツ近くまで飲み明かす。そして、三五郎が千鳥足でフラッカ!フラッカ!歩く状態で、
ぶら提灯を持たせ、先を歩かせる重四郎。品川から鈴ヶ森に掛かった所で、自分の提灯だけが風で消えた様に芝居して、
三五郎に先を提灯を持たせて歩かせます。フラッカ!フラッカ!進む三五郎。提灯だけが頼りですが、重四郎はこの時、自分だけ、闇に目を慣らせて、夜目がある程度効く状態を作ります。
そして、
突然、前を行く三五郎との距離を取り、三五郎の提灯を斬り、その火を消してしまいます。闇夜の真の暗黒の中、何も見えない三五郎を、重四郎は慣らした夜目で、斬りつけます。
肩から袈裟懸けに一刀で仕留めるつもりでしたが、三五郎も修羅場を潜り抜けた悪党です。致命傷は避けて逃げ様としましたが、思わぬ松の根方に足を取られて仕舞います。
三五郎「重四!てめぇー、俺をハメやがったなぁ。」
重四郎「三五!お前が、とっとと幸手に帰らねぇーからだ!!」
三五郎「重四!この悪党がぁ!」
重四郎「三五!先にあの世へ行け、俺も後から地獄に行くから、道先案内を頼んだぜ!!三五!」
三五郎「重四!」
重四郎「死ね!三五。」
重四郎が三五郎に馬乗りに成って、滅多刺しにして此れを殺します。刀の血を三五郎の袖で綺麗にして、死骸はそのまんまにして、その場を立ち去る重四郎。
しかし、此れを鈴ヶ森の処刑場で、晒し首を管理している非人の茂吉に見られてしまいます。茂吉は、闇の中、会話だけが聞こえて、二人が殺し合っている事は分かりましたが、
人相風態などは、一切見えておりません。迂闊に割って入ると、自分も殺されてしまうと感じましたから、殺した方が立ち去るのを待って、非人の親方に此れを届けます。
直ぐに、此れが品川の町役五人組に知らされて、月番の南町奉行所から検死の同心と岡っ引がやって参ります。この検死に呼ばれた同心が、あの脇坂左門。
殺された男が、銕の扇子を持って居て「幸手・杉田三五郎」と彫刻されております。また、幸手の殺しだ!!となり、直ぐに此れが、奉行大岡越前守忠相の耳に入ります。
すると、越前の下知が飛びます。この杉田三五郎なる者の、家族、親類を江戸表へ連れて参れ!!予が直接吟味致す!!と、越前守、脇坂を幸手へと向かわせます。
やがて、この杉田三五郎には、お文なる女房があると分かり、次回は、お文が大岡越前守にお白洲へ呼ばれる場面となりますが、今回は此れまで。
つづく