江戸は長谷川町の新道に城重と申す針医であり、揉み療治も致します座頭が御座います。この城重には、息子が御座いまして、名を城富といいます。
この城富、実は、先程来話題の中心人物、杉戸屋富右衛門の実の息子で御座いまして、幼い時に疱瘡を患い失明致します。
かの伊達政宗の片目を失ったのも疱瘡だそうで、この時代は、疱瘡で視力を失う人が少なからず居た様に御座います。
父の富右衛門も、母のお峰も、此の子の将来を心配致しましたが、目くらには目くらの道があると、誰あろう穀屋平兵衛に教えられて、
紹介された城重と逢い、その人柄に惚れて十二の時に、目くらの息子を城重の養子にし、城重と富右衛門の名から、穀屋平兵衛が城富と名付けます。
もし此れがマフィアなら、穀平は城富の『ゴットファーザー』です。
揉み療治のイロハを城重から習った城富。見習い三ヶ月の身分ですが、早速、流しの療治に外へ出されます。
此の辺りが、座頭と医者の違いなのでしょうか?医者は、まず、代脈。流しても診て貰おうなんて客はまず居ません。
其れに対し座頭は、流して按摩を求める客を見付けに彷徨います。あの笛を吹きながらですから、十二の城富も同じ様に、住吉町辺りを流していると声が掛かります。
「按摩さん!お願いします。」
声を掛けて来た相手は、竹本政太夫。義太夫の師匠です。城富は直ぐに上がり療治を始めますと、実に丁寧な仕事だと師匠に褒められて、三日に一度は必ず来る様に言われます。
城富、お得意様Get!!です。頻繁に、療治に通ううちに、政太夫が弟子に付ける稽古を聴いていて、城富の方は義太夫/浄瑠璃の虜になります。
流石に、政太夫やその弟子たちの前ではやりませんが、他所の得意先で、揉み療治をしながら見様見真似で、『壷坂霊験記』をやりますと好きな客には大そう喜ばれます。
ある日、思わず政太夫を揉んでいる最中に、一節出てしまい、其れを政太夫に聞かれてしまいます。
富さん!其処は、こうだよ。
政太夫が本息でその節を唸りますので、ただただ赤くなる城富。
政太夫「お前さん、義太夫、好きなのかい?」
城富「ハイ!大好きに御座います。」
政太夫「習いたいのかい?」
城富「。。。教えて下さいますか?師匠!!」
政太夫「勿論です。ですが、教えるからには銭は取りますよ。」
城富「私は見習い按摩ですから、銭は払えません!!」
政太夫「城富、貴方には特別、揉み療治中に、教えてあげます。ただし一刻療治して料金は半刻分にして貰えますか?その条件で良ければ今から教えますよ。」
城富「有難う御座います!師匠。」
目くらの城富は、元々耳が良お御座います。また、本を見て覚える他の弟子とは違い、師匠が演じて見せる稽古を、全て耳で聴いてその場で覚えるしかありません。落語の三辺稽古と一緒ですね。
療治付きの稽古に、政太夫の所へ通い始めてまだ、三ヶ月なのに、城富にかなう内弟子は一人も居なくなりました。
政太夫は、城富の素質が本物だと確信して、義太夫を自らが教えるだけでなく、同時に三味線も習う事を薦め、此方は月謝を政太夫自身が負担してくれます。
この浄瑠璃三味線の師匠が、鶴澤友次郎。友次郎も、城富の才能に惚れて、政太夫同様に熱心に三味線を仕込んでくれました。
足掛け五年。城富が十七歳となる頃には、揉み療治と針灸が本職か?義太夫語りが本職か?正に二刀流の活躍で、城富はちょっとした街の人気者です。
享保八年も十月となり、秋が終わり冬が来る季節になりました。江戸は筑波颪が吹いて、長谷川町の新道も寒い日が続いております。
そんなある日、城富が師匠政太夫の家で、療治の稽古を致しておる時に、『武州埼玉郡幸手宿の杉戸屋富右衛門』と言う悪党が仕置になると、耳に致します。
何でも、同業の穀物問屋、穀屋平兵衛を殺して百両を奪った罪らしいと言うのです。それを耳にした城富の驚き様はありません。
直ぐに実母である杉戸屋富右衛門の女房、お峰に手紙を出して確認すると、間違いないと申します。
もう居ても立っても居られない城富は、数寄屋橋に有ります大岡邸へ、自訴しよう!!杉戸屋富右衛門の代わりに私を仕置にして下さい!と。
南町奉行の役宅ですから、当然、家には門番が居ります。其処へ杖を頼りに若い座頭が参りますから、門番も少しびっくり致しまして、
門番「此れ!此れ!按摩。此処は南町奉行・大岡越前守様の役宅だ。按摩など呼んではおらん!!邪魔だ!帰れ!帰れ!」
城富「私は長谷川町の按摩に御座いますが、療治に参った訳では御座いません。越州様にお願いしたい儀が御座います。どうか?!会わせて下さいませ!」
門番「えーぃ。ならぬ!ならぬ!自訴するのであれば、町役人を同道の上、願書を認めて奉行所の方へ参れ!!此処は大岡様の役宅だ。」
城富「どうか、越州様に会わせて下さい!」
門番「ならぬ!帰れ!」
『会わせて下さい!』『ならぬ!帰れ!』と、門の前が騒がしので、定廻りの同心、脇坂左門が中から出て来て、言い争う二人を見付ます。
この脇坂左門、無類の義太夫好き、いやいや義太夫気狂いでして、奉行所内での渾名が『寝床』。同心仲間や岡っ引相手に唸り出すと止まらない!!
脇坂「コラ!コラ!何を騒いでおる!!こらこら。。。按摩?!もしや、貴方は富太夫様?!」
城富「えぇ、義太夫を人前で語る時には、富太夫を名乗ります。政太夫の弟子の城富に御座います。」
脇坂「やっぱり、貴方が今、江戸では一番の期待の新人、富太夫さん。按摩しながらの義太夫語り!!門番、富太夫さんに、失礼な事をしていないだろうなぁ!!」
門番「してません!!この按摩が、お奉行様に会わせろと言うから、止め申しておりました。」
脇坂「お奉行に、富太夫さん、何か用事ですか?」
と、脇坂が尋ねまして、城富が実の父、杉戸屋富右衛門の件でと申します。ならばと、脇坂が大岡越前守に取り次いで、白洲で話を聞く、いや是非聞きたいと越前守が言うので、脇坂、城富を連れて白洲へと案内をします。
越前「苦しゅうない、訴えの向きを、有り体に申してみなさい。」
城富「ハイ、有難う存じます。私は揉み療治と針灸を生業にしております城富と申す座頭に御座います。
前年、養父の城重が亡くなり座頭の株を譲り受けて御座います。私は武州埼玉郡幸手の生まれで、近日仕置となります杉戸屋富右衛門は、私の実の父に御座います。
しかも、殺された穀屋の旦那は、私を義父城重に紹介して下さった恩人で、私の名付け親でも御座います。
父富右衛門が致した罪は、消せませんが、富右衛門の身代わりになら、私に務まると思いまして、お奉行様にお願いに参りました。」
越前「本来、自訴は町役人を同道の上でないと叶わぬと知って、独りで参ったか?城富。」
城富「分かっておりましたが、実の父が仕置にあうと聞いて、居ても立っても居られず、法破りと分かりながら参りました。」
越前「差様かぁ。城富、住まいは?長谷川町かぁ。脇坂!長谷川町の長役を今から白洲へ呼びなさい、直ぐにだ。
城富、お前はなかなか、親孝行と見えるがなぁ、親より先に死ぬは、一番の親不孝ぞ。」
城富「しかし、私の命でオヤジ富右衛門が助かるなら、本望に御座います。」
越前「城富、養母は健在か?」
城富「ハイ、義母は元気にしております。」
越前「お前が死んだら、その養母を誰が面倒を見て養うんだ。」
城富「。。。」
越前「其れに、実母も喜ばぬだろうし、第一に実の父親である杉戸屋富右衛門が喜ばんと思うぞ。三人の健在な親を泣かせてどうする!」
城富「では、お奉行様、私は何も出来ずに、指を咥えて見ているだけですか?」
越前「孝行者のお前に出来る事をすれば、良いのじゃぁ。まず、仕置された富右衛門を回向しなさい。
そして、富右衛門の分も残された二人の母親に孝行するのです。城富、それが人としての子の有り様とは思いませんか?」
城富は越前に諭されて、後から参りました長谷川町地主嘉兵衛に付き添われて帰宅します。そして、杉戸屋富右衛門は、千住小塚原で斬首されて、晒し首になると知り、この首だけでも手に入れて葬ろうと思います。
処刑場には、晒し首を管理する者が有ります。所謂、穢れ働きをする穢多・非人と呼ばれる身分の人で、城富は、ここ小塚原の非人に銭を二分渡して、杉戸屋富右衛門の首を手に入れます。
しかし、晒し首の管理なんてモンを、厳格に行っているはずもなく、目の見えない城富相手ですから、此れでよかろう?!と、適当な首が渡されて、城富は誰のか分からぬその首を、後生大事に持ち帰ります。
そして、実母お峰も幸手から呼んで、養母と三人で南千住回向院で、この首の弔いをあげて、四十九日の法要まで済ませます。
すると、その夜、見た事もない雲着くような大男、しかも片腕が御座いません、そんな幽霊が現れて、城富に何やら語り掛けます。
幽霊「何処の何方か存じませんが、こんな長脇差のオイラを、丁重に回向して墓まで建てて頂き、腕の喜三郎!!恩に着ます。此れで成仏できました。」
と、言って幽霊はスーッと消えてしまいます。目が見えぬ城富に、姿が見えましたから、夢であったか?と思いまして御座います。
つづく