実に、人品の良い娘が、徳次郎の店・常陸屋を訪れます。前回の続きからで御座います。
手代「いらっしゃいませ!本日は、何をお求めに?、姫様。」
女「少し前から、新しい小間物屋が出来たと、このお店、気になっておりましたが、巷の評判を聞いて本日参りました。何でも良い品が安いと伺いましたんでぇ。」
手代「それはもう、限界利益の常陸屋で御座いますからぁ。本日は、何をお求めに?」
女「珊瑚珠を見せて頂きたいのですが?」
手代「分かりました。此方が、当店自慢の珊瑚珠に御座います。」
手代が奥から持って来た二つの箱に、簪などに用いる、珊瑚珠が二十五個納められております。どちらもビロードの布団の上に珠が置かれていて、一つの箱は赤玉。もう一つは青玉です。
玉の大きさも、小さい三分玉から、一番大きさ玉は、八分半と言う30mm近い大きな玉が品揃えされています。
手代「如何ですか?姫様」
女「目移りする様な良い品ばかりですねぇ。此れは、手に取って見て構いませんか?」
手代「ハイ!勿論です。手に取られて、良さを体感下さい。」
女「すいません、此方の八分半の玉。此のお値段はおいくらでしょうか?」
手代「手前どもは、一切掛け値と言うものを致しておりません。限界利益の単価ですから、値段を申した後に、値切られましても、一切負からない事だけ、ご承知置き下さい。」
女「そんなぁ、私は上方のゲスな商人では在りませんワぁ。値切るだなんて!!不愉快です。」
手代「申し訳ありません。此れは、値を確認された時の、当店の決まり口上でして。。。
Macの『ポテトとドリンクは如何でしょうか?』や『店内でお召し上がりですか?』と一緒なんです。
個人的な話で大変恐縮ですが、六本木の本社で、会議が延びに延びて、夜八時頃に、34人分のハンバーガーを若衆と二人で買い出しに行った事があります。
ビッグマック8、ハンバーガー17、チーズバーガー9個とコーラなどソフトドリンクも30杯程注文した時に、Macの店員のお姐ちゃんから
店内でお召し上がりですか?
と、言われました。フードファイターじゃねぇーし。二人で34人前のハンバーガーは喰わないって。
すいません、姫様に言われて思い出してしまいました。お値段は、なんと!!198,000円と、トーカ堂の北さんなら言いますが、この珊瑚珠は二十八両です。」
其れを聞いた女は、巧みに玉を掌に包み、帯の間から半紙を出して、鼻を噛みます。噛んだ紙は直ぐに丸めて、脇に居た中元の男に渡し、
それを受け取った中元は、紙屑を外へ放り投げますと、道を行く屑やが、竹のハサミで此れを拾い上げて鉄砲笊へと放り込み立ち去りました。
女「二十八両は私の裁量ではお支払いできませんワぁ。残念ですが、後日、母上を連れて参ります。折角、色々と見せて頂いたのに、何も買わずは失礼だから、その紅を頂きます。」
手代「申し訳ありません、返ってお気を使わせて、二分と二朱になります。
ハイ、一両から、エッ!ご祝儀に一分二朱は頂けませんって!そうですかぁ〜。すいません、また、お母様とご一緒に起こし下さい、姫様!!」
手代が、珊瑚珠を箱へ全て仕舞おうとした時。一番高価で大きい八分半の玉が在りません!!色々と、周囲を確認しますが、見当たらない。
此処で、初めて、やられた!万引きだ、と思って、まだ、店にいる女に、慌てて声を掛けます。
手代「すいません!お客様。珊瑚珠が一つ紛失しております。もしかすると、帯の間とかに、挟まっていたりしません、でしょうか?」
女「何ですか?急に、私が珊瑚珠を盗んだとでも言うのですか?」
手代「違います。違います。盗んだのではなく、帯の間に、紛れ込んだのでは?と、確認をお願いしただけです。」
女「いいでしょう。この場で、帯を私が解いて、万一、珊瑚珠が無かったら、貴方はどう責任を取るお積もりですか?貴方だけじゃない、貴方の主人に、責任を取って貰う事に成りますよ、それでも構いませんねぇ!!」
そんな啖呵を女が切った所で、この様子の一部始終を観ていた徳次郎が、奥から出て来て、二人の間に入った。
徳次郎「私が当家主人の常陸屋長左衛門です。真新しい店で、奉公人の躾が行き届きませんで、先程は、大変失礼致しました。
私からも、奉公人へ注意させますから、今日の所は、此れにてお帰り願いますか?おい!正蔵、ご祝儀の一分二朱と紅の代金の二分二朱を、姫様にお戻ししなさい。
すいません、お詫びの印に、その紅はお持ち下さい。今後とも、此れに懲りずに、常陸屋を?宜しくお願いします。」
女「話の分かるご主人で良かったワぁ。では、失礼します。」
女は中元を従えて、貰った紅を下げて店を出て行った。納得いかないのは、手代の正蔵である。
正蔵「あの女(あま)、絶対に万引きしてますって、何で帰しちまうんですかぁ?!親方。」
徳次郎「盗みやがったのは、俺にも分かったが、玉を何処へやったか、分かるか?正蔵。」
正蔵「帯かぁ、中元の風呂敷に在りますって!!」
徳次郎「違うよぉ。途中であの女が、鼻を噛んだだろう?あの紙屑ん中に入れやがった。外で其れを拾った屑やも、間違いなく奴等の仲間だぁ。」
正蔵「エッ!あの鼻紙ん中に?本当ですか?!」
徳次郎「あぁ、本当だ。俺は奥から観てた。女が自分で投げずに、中元を介して捨てさせるのが憎い!!上手いよなぁ。アイツいい腕してやがる。」
正蔵「そこ迄、観ていたなら、親方!なぜ、途中で捕まえないんですか?本当に鼻紙に包んだんですか?」
徳次郎「お前みたいに、ボーッと生きている奴には分からんだろうがぁ、アレは女じゃないぞ!男だ。」
正蔵「本当に?何で女じゃないと分かるんです?」
徳次郎「お前には違いが分からんだろうが、歩く時の腰の使い方と、立つ時座る時の仕草も、腰の使い方が間違いなく男だ。」
正蔵「でも、あの珊瑚珠を取られたのに、親方、あんまり怒っていませんねぇ?」
徳次郎「まぁなぁ、あのくらい巧みな仕事を見せられると、敵ながらアッパレだ。珊瑚珠は取られたけれど、いい物を見せてくれてありがとう!って気持ちにもなるからかなぁ?!」
正蔵「さっぱり分かりません、親方の料簡。二十八両ですよ、盗まれた玉。アタイの四年分の給金ですよ。」
徳次郎「其れって、『私のしくじりで、店の大切な二十八両の珊瑚珠を取られました。お詫びに四年間、ただ働きを覚悟しています。』と言ってるの?正蔵。』
正蔵「冗談は、ヨシ子さんです!親方。」
そんな、珊瑚珠の盗難事件から数日後、また、中山道から旅烏傳吉が江戸へとやって来て、竹島道場に寄った帰りに、こっそり裏口から常陸屋にも訪れました。
傳吉「お久しぶりです親分。」
徳次郎「いつから江戸だい?傳吉。」
傳吉「一昨日からです。そんでねぇ、昨日の晩ですよ。日頃から親分に『同じ賊でも、義賊、仁賊に成れ!!』と、常々言われていますでしょう?
アッシも、生まれて初めて、人助けと言うのかぁ、両国橋ん所で、身投げしようとしていた娘を助けてやりましたよぉ。」
徳次郎「偉れぇーじゃねぇーかぁ。いい噺そうだなぁ?詳しく聞かせろよ、こん畜生!!」
傳吉「親分、伝説の『戸田の渡しで二百両』には、遠く及ばない、たった三両の人助けなんですがぁ。
昨晩、両国橋をフラッカ、フラッカ、歩いておりましたら、歳の頃は、十八、九歳の娘が、今、正に橋の欄干に足を掛けて、大川に身を投げようとしているのを、アッシか見付けて、
帯をグッと引き寄せて、『どうしたんだ?馬鹿な事をするんじゃねぇー』と声を掛けました所、女は泣き崩れまして、死なせて下さい!死なせて下さい!と繰り返します。
橋の上では、また、悪い料簡出されても困るんで、近くの夜泣き屋台に連れて行って、蕎麦なんか食わして、話を聞くと、
浪人している侍の娘で、その父親が最近、目を患ってどーにもいけないのでぇ、叔父さんの家へ銭を借りに行った帰りだったそうで。
両国橋の前迄来たら、急に飛び込んで来た野郎が居て、そいつに叔父さんから借りた銭を、入れた紙入れごと摺られたてんです。
また、そのまんま、摺られましたと家に帰ると、意地の悪い継母が居て、こいつに何されるか、言われるか分からないから、もういっそ大川に飛び込んで死のうと思った、てんですぅ。
でねぇ、幾らあれば、死なずに済むんだ!って聞くと、なっかなか、もじもじして言わないんですよ。漸く蚊の鳴く様な声で言ったのが、三両。
たった三両で、死ぬんじゃねぇーって、お代わりの蕎麦を食わせて帰してやったって噺です。めでたし、めでたし、お仕舞い!!」
徳次郎「傳吉!でかした。俺の手文庫から十両持って行っていいぞぉ。此れからも励め。」
二日後、その日は、京都からの新着、匂い袋の売り出しの日でした。買付を担当した輿助が店に戻り、久しぶりに徳次郎の前に顔を出しました。
輿助「お久しぶりです。親分!お代わりありませんか?」
徳次郎「輿助!ご苦労様だった。いやぁ〜、いい匂い袋ばっかりだ。明日からも黒山の人集り、行列間違い無しだぁ!!有難うよぉ!」
輿助「どう致しまして!親分に褒めて頂けると、仕入れの苦労も吹き飛びます。其れで、ねぇ。昨日、また一つ良い事が在りましてねぇ。」
徳次郎「いい事?そいつは、いってぇー何だい?」
輿助「人助けです。日頃、親分から言われてるじゃぁ、在りませんかぁ?ただの盗っ人じゃ、ダメだ。困っている人の支えになれってぇ。
生まれて、初めて、人の命を救ってやったんです、昨晩。」
徳次郎「何かぁ、嫌な予感がするんだが、まさか両国橋?」
輿助「なぜ、分かるんです?!」
徳次郎「更に当てようか?助けた相手は、十八、九歳の娘。」
輿助「エッ!親分、見てましたか?」
徳次郎「見てはいないけど、分かるよ。取り敢えず、話してご覧?お前の人助けを。」
輿助「其れでは、簡単に。昨晩、両国橋をフラッカ、フラッカ、歩いておりましたら、歳の頃は、十八、九歳の娘が、今、正に橋の欄干に足を掛けて、大川に身を投げようとしているのを、アッシか見付けて、
帯をグッと引き寄せて、『どうしたんだ?馬鹿な事をするんじゃねぇー』と声を掛けました所、女は泣き崩れまして、死なせて下さい!死なせて下さい!と繰り返します。
橋の上では、また、悪い料簡出されても困るんで、近くの夜泣き屋台に連れて行って、おでんなんか食わして、話を聞くと、
浪人している侍の娘で、その父親が最近、目を患ってどーにもいけないのでぇ、叔父さんの家へ銭を借りに行った帰りだったそうで。
両国橋の前迄来たら、急に飛び込んで来た野郎が居て、そいつに叔父さんから借りた銭を、入れた紙入れごと摺られたてんです。
また、そのまんま、摺られましたと家に帰ると、意地の悪い継母が居て、こいつに何されるか、言われるか分からないから、もういっそ大川に飛び込んで死のうと思った、てんですぅ。
でねぇ、幾らあれば、死なずに済むんだ!って聞くと、なっかなか、もじもじして言わないんですよ。漸く蚊の鳴く様な声で言ったのが、五両。
たった五両で、死ぬんじゃねぇ!!と、〆に鍋焼うどんを食わせて帰してやったって噺です。めでたし、めでたし、お仕舞い!!」
徳次郎「蕎麦がおでんと鍋焼うどんに変わると、二両の値上げで五両かぁ。」
輿助「何ですか?値上げって。。。」
徳次郎「輿助!明日は、俺が両国橋で、人助けする番らしい。」
輿助「???」
甚吉と輿助から聞いた、女と出会った刻限に合わせて、両国橋を見張る徳次郎。なりを浪人に見える様に拵え、張り込んで二日目、町娘風のその女が現れました。
ゆっくり、娘の方へ徳次郎が近くと、向こうも気付いた様子で、橋の欄干に手を掛け足を乗せて『仕事』に取り掛かります。
『憎いぐらいに上手い間合いで、自然と身投げに見える様に橋に上がりやがる。玄人の技だ!』
相変わらず、妙な所に感心をしながら、お約束で走って近付き、帯を掴みグイッ!と、引き寄せ欄干から下ろし、「馬鹿な真似はヨシねぇー」と、
叫んで徳次郎、女の左頬を平手で思いっきり引っ叩きます。少しビックリする女。
女「何をなさいます、お武家様、怪我したらどーするんですか?耳が、キーンって言ってます。」
徳次郎「死のーって奴が怪我しますもねぇーだろう!どうした、何があって死のうとする?」
女「お武家には関係ありません!!」
徳次郎「関係ないかもしれんがぁ、夢見が悪いじゃないか?!通り掛かった橋で、身投げする娘を、助けもせず行き過ぎるなんて、拙者にはできん!金子で解決できる事なら相談にのるぞ、娘。」
女「本当、ですか?どーしようかなぁ?」
徳次郎「夜鳴き屋台に連れて行かんと、続きをやらない様なので。。。」
女「エッ、何ですか?!」
徳次郎「何でもない、独り言だ。そうだ!娘、橋の上での立ち話も何だぁ、人に見られて恥ずかしいだろう、橋の向こう、彼方で寿司でも摘みながら話を聞こう!」
と、身投げ娘を連れて橋を渡り、夜鳴きの寿司屋台で、寿司を摘みながら、娘の話を聞く事にしました。
徳次郎「オヤジ!俺はコハダとタコくれぇ。お嬢さんは?鮪!!赤身と中トロ?!オヤジ、熱燗も二合。
お嬢さんも飲むかい?オヤジ、お猪口二つだ。なるべくデカい奴がいいそうだ!急いでくれぇ、ささぁ、摘んで、飲みながら、話を聞こう。どうしたんだい?」
女「私は、この近所に住みます、さる大名家を浪人となった、武家の娘にございます。父親は藩より暇を出されて、昼は近所の子供シを集めて素読と手習を教えて、夜は売卜に出ておりました。
其れが、十日程前から目を患いまして、どちらの家業も出来ぬ様になり、とうとう明日のおまんまにも困る有様です。
そんな訳で今日は、蔵前に住む叔父の所に、その事を話して、目の治療代を借りに参りました。
叔父は快く貸してくれたのですが、その金子を入れました紙入れを、両国橋の手前で、突然、飛び出して来て、ドン!と当たった巾着切りに摺られて仕舞い、途方に暮れておりました。
家に帰りますれば、居るのが父だけでは在りません。鬼の様な継母が居りまして。。。この継母がキツい人で、直ぐに孫の手や布団叩きで私を折檻致します。
また、深川の元芸者上がりですから、口も汚く、私を絶えず罵り、罵倒致します。そんな継母に、大切な金子を摺られた何て言うぐらいなら、もう!!死んだ方がぁ。。。」
徳次郎「事情は分かりました。それなら、一層、お嬢さん、吉原か品川の廓に身売りなすったらどうですか?世話しますよ。」
女「嫌です!廓なんて、汚らわしい!!」
徳次郎「だって、死ねるんでしょう。死ぬ覚悟があるなら、廓が一番いい。」
女「そんなぁ、お武家様?!」
徳次郎「いやぁ、ねぇー。こんな、両国橋の上で、三両だ、五両だと、ちまちま、カタリをやって掠め取るより、纏った銭に成りますよ!と、俺が教えて、やってんだい!!」
女が驚いた表情に変わり、屋台から逃げようとしましたが、徳次郎がしっかり帯を掴んでおりますから、立つ事もできません。
女「何しやがる!てめぇー、いってぇー誰だい!!」
徳次郎「やっぱり男だなぁ?その声は。俺だよ、見忘れたか?下谷の小間物屋、お前に珊瑚珠を偽られた常陸屋の主人、長左衛門だぁ!!」
女「下谷の小間物屋が、なぜ、此処に?!」
徳次郎「俺は表は、小間物屋だが、裏に回るとお前さん同様の盗っ人だ!!その名も神道徳次郎よぉ!!」
女「エッ!あの神道徳次郎。。。知らぬ事とは言いながら、親分の店からオイラ、珊瑚珠を!!そいつは、申し訳ありません、手打ちにされても文句は言えねぇー」
慌てて女は、その場で土下座して、額を地びたに擦りながらの、平謝りで御座います。
徳次郎「もういいよ。お前さん!何者だい。」
女「アッシは、両国から蔵前を縄張りにしている巾着切りで、女に化けるのが上手い事から『女勘助』と呼ばれております。
最近は、財布の中身が淋しい獲物ばかりで、巾着切りに見切りを付けて、カタリを始めてはみたんですが、ご覧の通りで御座んす。」
徳次郎「勘助さんよぉ!お前ぐらいの、盗みの技量と度胸があるのに、三両、五両の日銭働きしてちゃ駄目だぁ!!
兎に角、今日から俺ん所に来なぁ。悪い様にはしねぇーから。」
勘助「へい!親分、お世話になります。」
こうして、神道徳次郎一味に、紫紐丹左衛門に続いて、女勘助が加わります。
そして此れから、全国から二つ名のある曲者揃いの盗っ人達が、神道徳次郎の元に、あの梁山泊に漢達が集まった様に、集まって一味は益々、大きくなるのですが、その辺りは次回のお楽しみ!!
つづく