次郎左衛門は、最近、道中差しへと変えました『籠釣瓶』を出しては、離れの脇に在ります道場で、藁束やら、大根などを並べて斬るのが日課で御座います。


本に、よー斬れまする、武助先生。


そう呟きますと、次郎左衛門、佐野船橋の人別帳を管理する庄屋、文蔵の家を訪ねております。


次郎「文蔵さん、それで手続きの準備は此れで宜しいかなぁ?」

文蔵「ハイ、書付は此れで結構ですが、本当に船橋の人別を出てしまわれるのですかぁ?」

次郎「私の剣術の師匠であります、都筑武助の跡を継ぎまして、苗字帯刀となり、都筑次郎左衛門を名乗る事になりました。」

文蔵「それで、店は?絹屋は如何がなされるおつもりですかなぁ?」

次郎「私には、女房、子が在りませんので、兄貴の仙太郎に返そうと思います。」

文蔵「あの何万両あるか分からないくらいの身代を!?それにしても、身代は兎も角、人別帳には、都筑次郎左衛門として留まる事も出来ますよぉ。」

次郎「私は、これより日本全国六十予州を廻る武者修行の旅に出ます。武者修行に命のやり取りは付き物で、私が死ぬ分にはお上からお咎めは御座いませんが、

万一、相手を斬り殺したりしますと、身代を譲りました兄貴や、その女房子供に害が及びます。ですから、江戸表に籍を置く、本多家浪人、都筑武助の養子、都筑次郎左衛門として、武者修行をする所存です。」

文蔵「一年前にお話しがあり、二月になると、全ての手続きを、五月一日に完了したいと言われた時には、何事かと思いましたが、漸く合点が行きました。

では、今月末日迄に、全ての手続きを済ませて置きます。来月からは、都筑次郎左衛門様です。全国武者修行の旅の成功をお祈り致します。

次郎「誠に、骨を折って下さり、感謝しております。此れは些少では有りますが、謝礼に御座います。」


と、次郎左衛門は、庄屋の文蔵に、十両の金子を渡し、五月五日に武者修行の旅に、江戸から出発するので、其れ迄は他言無用!と、庄屋に釘を刺します。

更に、佐野船橋の絹屋の身代を、兄仙太郎夫婦へは譲渡する話を致します。本来ならば、貴方が継ぐはずの身代だと言って話をすると、

何万両もの身代を譲る話ですから、相手が拒む筈もなく。兄弟の間で、正式に譲渡の証文を作ります。

また、兄仙太郎は、先々代の三右衛門の名前を継いで、佐野船橋の人別帳へは登録される事になります。

尚、次郎左衛門は、武者修行の支度金として、金五百両の金子をその身代から受け取ると、残りは全て仙太郎の物となる条文です。


なぜ、次郎左衛門がこの様な、思い切った事をしたのか?と申しますと、半分は、本当に心底、都筑武助の意思を継いで、鞍馬八流の剣士として日本全国で腕試しをしたい!!と思ったからで、

残りの半分は、八ツ橋の身請けの一件で受けた恥辱を、何とかぁ、あいつら全員に晴らす方法はないか?と、考えていた時に、

あの『八ツ橋楼の普請』と言う話が舞い込んで来て、ヨシ!此れだ!!と、思ったからなのです。

つまり、次郎左衛門には、絹屋の身代が付いていると、あいつらは信じ切って、取りっぱぐれは無いと思い、八ツ橋楼の普請代金を立替払いしています。

次郎左衛門も、あいつらが水増し請求する事ぐらいは先刻承知でありまして、千五百両ならば、二千両くらいの事は平気で請求して来る。

しかし、あの身代が次郎左衛門の物ではなく、既に、人別帳から次郎左衛門が除籍されていれば、奴等は立替金を何処からも回収できず、莫大な借金だけが残る。そんな、一石二鳥の思い付きだったのです。


四月末、いよいよ、次郎左衛門の元に、万字屋の亭主から「八ツ橋楼の普請が完成したので、五月五日の披露目の前に、次郎左衛門殿に是非観て欲しい!!」と、

江戸表へ五月二日に来て頂き、八ツ橋楼のお披露目前に、普請完成の除幕式が執り行われる事となります。

いよいよ、武者修行への出発と、彼奴等への復讐が終わるぞと、胸踊らせながら旅の支度を済ませて、

既に、屋敷に一緒に住んでいた、仙太郎 改 三右衛門夫婦に別れを告げます。そして懐に五百両の金子を入れて江戸へと出発します。


江戸は、日本橋銀町三丁目、佐野屋久兵衛方に前日の五月一日に到着した次郎左衛門。ここに泊まるのも、今回が最後になるかもしれないと、しみじみ部屋を見渡していると、万字屋の番頭、金兵衛が参ります。


金兵衛「こんにちは、ご無沙汰しております、万字屋番頭の金兵衛です。お大尽!宜しいですかぁ?」

次郎「構いません。開けて下さい。金兵衛さん、お久しぶりで。明日の段取りですね?」

金兵衛「八ツ橋楼の下見の件ですが、明日、四ツ半過ぎに、万字屋から迎え駕籠を用意させて頂き、万字屋へ着いたら直ぐに八ツ橋楼を観て頂きます。

その場でお大尽のお墨付を頂けましたら、その八ツ橋楼にて、昼食を兼ました宴席を設けまして、パァーっとパァーっとやらせて貰います。

ただ、万一、お大尽から駄目出しが有りますと、八ツ橋楼は即追加普請させて頂くので、場所を蔦屋の『紫蘭の間』に移して、同じくパァーっとパァーっとやらせて貰います。」

次郎「分かりました、ご苦労さん。金兵衛さん!八ツ橋楼の出来はどうですか?貴方の目から見て。」

金兵衛「いやぁ、もう、、、そりゃ立派ですよ、驚きます。吉原一の八ツ橋楼が出来ております。」

次郎「それを聞いて、安心しました。明日は美味しいお酒が、頂けそうです。金兵衛、此れはわざわざ、報告に来て頂いたお礼です。」


「ありがとう御座います。」と、金兵衛が握った半紙には五両包んであった。


金兵衛「お大尽、銭貰ったから言うんじゃありませんがねぇ。榮之丞の野郎!!まだ、こそこそ、八ツ橋に付け文していますよぉ。波太夫とお仲の二人が陰で、相変わらずコソコソしていますし。。。では、遅くなるんで、此れで。」

次郎「ご苦労様!!明日、宜しくお願いします。」


翌日、迎えの駕籠に乗った次郎左衛門。吉原江戸町一丁目の万字屋の前には、亭主三右衛門と会頭の四右衛門、更に、蔦屋夫婦と八ツ橋、並びに傍輩衆、その端には波太夫と藤八も居てのお出迎えです。


万字屋「披露目の前に、ご苦労様です。いや、披露目当日に、次郎左衛門殿に見せて『なんだ!此れは』と叱られると、万座で恥をかきますので、

此処は一つ、お大尽に事前に観て頂くべきだ!と、会頭にも言われまして、宜しくお願い致します。」

会頭「万字屋!お前は、あの佐野船橋の江戸屋を見てないから、そんな風に人ごとなんだ。お大尽!是非、観て頂いて、遠慮なく駄目出しをお願いします。」

次郎「そんなぁ、皆さんの目を信じていますから、大丈夫ですよ。」


万字屋に入りますと、昨日、ご忠臣に来た金兵衛が帳場に在りましてニコニコ愛想を振り撒いております。

奥に通されて、梯子を二階へと上がり、一番奥が八ツ橋楼です。襖を開けると、朱色の唐木で造られた生まれ変わった八ツ橋が目に飛び込んで来ます。

橋の掛かった池には、赤と黒の金魚が、何千匹、いや何万匹と泳いでいて、池は総ガラス張り!!下の中庭が透けて見える趣向です。

立て回された屏風、机、椅子、箪笥、鏡台、そして長火鉢。どれも一流が揃えられていて、次郎左衛門は、部屋に一歩入ると立ち止まり、天井から畳までを何度も見渡します。


次郎「ありがとう御座います!言う事ありません、完璧です。私も出資した甲斐がありました。嬉しくて、涙が。。。出ます。」

万字屋「次郎左衛門殿に、そう言って頂けると、此方としても、八ツ橋を普請した甲斐がありました。また、どんどん来て下さい。」

次郎「ハイ!勿論参ります。ところで、普請の総額は幾らになりましたか?此れは相当、掛かったでしょう?」

万字屋「幾らになりますか?蔦屋さん」

蔦屋「お仲!お大尽に申し上げて。」

お仲「全部で、五千両です。」

次郎「其れは豪気だ!分かりました、五月五日にお支払い致します。」


昼食の宴が終わり、佐野屋へ帰る駕籠の中、次郎左衛門は呟きます。「五千両とは吹っ掛けたもんだぁなぁー。千両、いやぁ、千五百両は水増ししたな?お仲の奴、まぁ幾ら水増しされても痛くない痛くない、全部、彼奴等が被るんだから。」

そして、五月五日。八ツ橋楼のお披露目、その日がやって来ましたが。。。


この廓ばかり月夜哉


誰が申しましたかこの言葉。確かに、廓内の夜の景色は格別に御座います。

さて、この晩は、宵の口から次郎左衛門、蔦屋佐次右衛門方にて、芸者幇間を総上げしてのドンチャン騒ぎ、一頻り盛り上がった所で、万字屋へと送り込まれております。

所謂、喜見城の楽しみを致しましたが、なにぶん相方の八ツ橋が、三日月女郎で御座いまして、相変わらず、碌々横にも付きません。

終始上の空で、何やらソワソワ、ソワソワしておる八ツ橋。遂には次郎左衛門を一人寝かせたまんま、お引けとなります。

それでも、寝ようとした次郎左衛門。なかなか寝付かれず、行燈に火を入れておりますと、番頭新造の船橋と橋ノ戸が「花魁は時期に廻って参りんす。」と言うばかりで、八ツ橋の姿は有りません。

暫く行燈の火を見ていた次郎左衛門、寝よう!と布団に入りますが、目が冴えて寝付かれません。『そうだ、明日は朝早く面小手付けての武者修行の旅に出るんだ、こんな煩い女郎部屋で寝る事もない。』

再び起き上がりました、次郎左衛門。蔦屋へ行って茶屋の座敷で寝よう。と、致します。梯子を下りて内所へ参ります。

若衆が起きていて、次郎左衛門が蔦屋へ戻ると言いますと、私が送って参りますと言う事になりますが、内所の奥からは、次郎左衛門が突然帰ると言うのに、止めに入る者はありません。

『不実な奴等め!!』とは思う次郎左衛門ではありますが、明日からは武者修行の身だと思いますから、悔しくはありません。


そうだ!今日は、ここへ脇差を置いていた。


迎えに出てた若衆。この若衆も次郎左衛門が、ちょくちょく万字屋で大金を使うお大尽で、今日は八ツ橋楼の開業の主賓だと知っております。


若衆「旦那様!もう、お帰りですかぁ?」

次郎「あぁ、一旦、蔦屋へ戻る。」

若衆「えぇー私がお送りします。」

次郎「気の毒だなぁ〜」

若衆「なんのぉ、毎度ご贔屓のお客様ですから、私の役目です。では、お腰の物をどうぞ!!」


この当時も脇差は、茶屋へ預けて置くのが決まりでしたが、次郎左衛門の様に、女郎部屋から引け過ぎに茶屋へ戻る客も御座います。

すると、丸腰を見てカモだと、二、三人で襲う悪い連中も在りまして、特別待遇に近い次郎左衛門は、蔦屋に預けず、万字屋の内所に脇差を預けておりました。

若衆から、その脇差『籠釣瓶』を受け取り腰に差す次郎左衛門。なんとなく二階を見やりますと、船橋が窓から夏の夜空を見て申します。


船橋「橋ノ戸さん、今、化物が帰りんしたえぇー」


二、三人の新造たちが、隠れて窓から外を見て舌を出す。それを脇目で見ました次郎左衛門は『夜が明けて、私が武者修行に出た後に、吠え面かくのは汝等の方だから。。。』



つづく