先程来、時々噺に登場致します、次郎左衛門の父親、この治郎兵衛のお噺を今回は致します。次郎左衛門が生まれ持って面相が化物の如く成ったのも、因果応報で御座いまして、仕方のない事かもしれません。

浪曲ならば、ここで、「親の因果が子に報い!!」と節を付けて唄う場面では御座いますが、講釈なので、さらりと梅酒の様に参ります。


此の次郎左衛門の父親と言う人は、小松原村に居りました領主、戸田長門守殿より苗字帯刀を許された小松原有益と言う医者の長男で幼名を次郎吉と申しました。

次郎吉には、二歳年下の舎弟が在りまして次郎三郎と申します。この次郎三郎は至って、大人しく穏やかな性格で、勉学にも励み聡明な子供でした。

此に対して、次郎吉はと見てやれば、短気にして喧嘩っ早く粗暴な性格。勉学など全く興味を示さず、十を過ぎると酒を覚え、十二、三からは博打場へ出入りをします。

そして、この次郎吉が滅法いい男なので、娘も年増も女が放って置かない。そんな塩梅ですから、家の金を盗んでは、鉄砲弾の様に家を飛び出したら帰っては来ません。

そんな二人を見ていて、有益は『この小松原で次郎吉には私の跡は務まらないだろう。此れは早々に次郎三郎を仕込んで育てやらないと!!』そんな風に思っております。

死神に呪文の一つでも習って来ないと医者にはなれそうにない次郎吉に対しては、有益、医者なだけに、匙を投げました。

一方、次郎三郎の方はと申しますと、有益が手取り足取り医者のイロハを叩き込みますし、次郎三郎もよくその期待に応えて精進します。

ですから、小松原村の患者の中には、若先生をと名指しでやって来る患者も居るくらいで、将来有望な医者へと成長しておりました。


そんなある日、柏田村の賭場で、目沼の金八と言う渡世人と揉めて、この金八の腕を次郎吉が折って怪我をさせる事件を起こします。

カタギに長脇差が舐められてたまるか!?と、金八の兄貴分で、百足の金造が有益の診療所に子分を連れて殴り込み、大暴れした末に、有益から示談金まで出させて帰る。

この事件をきっかけに、次郎吉は家に居辛くなって家出。その時に、過保護な母親から二十五両の金子を貰います。この時、次郎吉二十四でありました。


この二十五両も、野州の賭場を転々としているうちに無くなり、結局、宿場女郎の紐みたいな生活を見兼ねた岡っ引の焼金の鐡蔵と言う親分の家に居候する事になります。

この鐡蔵親分、若い時に有益に助けて貰った恩があり、死んだ母親も、長く有益の患者だった事もあって、次郎吉を自分の家に住まわせます。

そして、十手持ちだけでは食えない鐡蔵、表の職業は蕎麦屋でして、この蕎麦の出前持ちとして次郎吉を働かせます。

また、次郎吉もここが最後。ここをしくじったら後がありませんから、心は入れ替えませんが、取り敢えず必死には働きます。

やがて、見様見真似で蕎麦は商売物が打てる様になり、出前持ちだけでなく、ボテ振りを担いで出張の「蕎麦や」が出来るまでになります。

博打場や岡場所に明るいのが、この「蕎麦や」には好都合で、一杯十文の蕎麦を二百売る日もある繁盛。つまり日に二分を稼ぐ蕎麦やに成りました。


鐡蔵「今日は、蕎麦がよく出た。たまには、早仕舞いにしちまって、皆んな!俺の奢りだ、酒を飲んで行ってくれ。次郎、お前も今日は百で上がって飲んで行け、嫌いじゃあんめぇ。」

次郎吉「親分、ありがとうござんす。では、お言葉に甘えて、ごちにやりやす。親分、何ですか?今日は祝いになる事でも有りましたか?」

鐡蔵「いやぁ、別に祝いは無ぇーけど、そうだ!次郎、お前さんに、一つ話しておきたい事があったんだぁ。」

次郎吉「なんですか?改まって、急に。」

鐡蔵「お前が蕎麦を、朝から打って、昼は釜前に立って茹でてくれて、夜はボテ振りして商売してくれるから、先々月からは雇いの蕎麦打ち職人は他所から頼まなくてよくなった。お前の頑張りには、感謝している。」

次郎吉「そんなぁ、礼はよして下さい。いやぁねぇ。アッシも、生まれて初めて、働くのが楽しくて、蕎麦作るでしょ、それをお客さんが美味い!美味い!って食ってくれて。

何か自分が役に立ってるんだなぁーと、思えるんですよね。確かに、日にボテ振りで二百売るのはきついですよ。それでも、俺の蕎麦を待ってくれている人が居るかと思うと頑張れるんですよねぇ。」

鐡蔵「そうかぁ!お前のオヤジさん、有益先生にも聞かせてやりてぇなぁ。でもよぉ、俺は、有益先生ん所の本当なら跡継ぎの次郎吉を、田舎蕎麦のボテ振りなんかにしてと、すまなく思っているんだ。」

次郎吉「親分!そんな事は言わないで下さい。アッシは勘当された身です。それを面倒見て下っている親分に、オヤジもお袋も感謝こそすれぇ、恨むだなんて!

親分、お願いです。アッシをどーか長らくここに置いてやって下さい。お願いします。医者も蕎麦のボテ振りも同じ人間じゃ有りませんかぁ!!」

鐡蔵「次郎!昔、小松原の百姓で、浅右衛門って首斬りみたいな名前の野郎が居たのを覚えているか?」

次郎「その浅右衛門さんの倅、その倅は幼い時の遊び仲間なんで、よく知っています。それが何か?」

鐡蔵「そうよ!その浅右衛門の倅、浅吉とか言うその倅だよ、確かお前さんより、七つ八つ年上だと思うが、

こいつもお前に負けず劣らずの道楽息子で、父親から貰った田地田畑をそっくり博打と酒と女に使っちまって、着の身着のまま江戸へと蓄電よぉ。

その浅吉が小石川辺りから巣鴨の近くで、田舎蕎麦やをボテ振りから始めて此れがまさかの大当たり!!

今では巣鴨の浅香町、その表通りに一軒店を構えて『長寿庵』って蕎麦屋をやっているてんだ。その浅吉が俺に手紙をよこして、蕎麦打ち職人の人手が足らないから、助けに来てくれってんだぁ。

最初は、江戸見物を兼ねて俺が行くか?とも思ったんだが、次郎吉、お前、江戸へ行って浅吉の店を手伝ってみないか?」

次郎吉「本当ですかぁ?!」

鐡蔵「こんな嘘言ってどうする、本当だ。ほら、此れが手紙だ。」

次郎吉「親分!俺、昔から江戸へ行って見たかったんです。分かりました、江戸で蕎麦打ち修行させて貰います。」

鐡蔵「ヨシ!よく言った。江戸で頑張って、浅吉の店に負けない店を持って、胸を張って犬伏に帰って来い。そん時は有益先生もお袋さんも許して下さる。」

次郎吉「親分!本当に何から何まで、有難う御座います。」

鐡蔵「それからなぁ、此れは俺からの餞別だ。路銀の足しにしてくれぇ。」

次郎吉「有難う御座います。エッ!重いですよ。開けていいですか?切り餅、二十五両もあるじゃないですか?こんなには受け取れません。江戸までの餞別なら、三分から一両が相場です。」

鐡蔵「いいんだ、路銀なんて多いからって邪魔にはならないだろう。」

次郎吉「そりゃそうですがぁ、親分へのお返しのお土産が大変だよなぁ、こんなに頂くと。」

鐡蔵「その代わりに、江戸へ持って行って貰いたいモンが一つ在るんだ、大きいぞ!いいかぁ?!」

次郎吉「勿論です。二十五両頂いていますから、何を持って行きましょう?!」

鐡蔵「お菊を連れて行ってくれぇ。」

次郎吉「お菊さんをですかぁ?お菊さんは一人で江戸見物ですか?!」

鐡蔵「馬鹿野郎!!娘を江戸見物に頼むのに、二十五両出す程、俺はお大尽ではなぁーい!!俺がお前たちの事を知らないとでも思っているのか?出て来いお菊!!おヨシ!!」


女房のおヨシに手を引かれて赤くなりモジモジした様子でお菊が現れた。


次郎吉「と言う事は、親分!!」

鐡蔵「ここ二月、三月前から、お前がボテ振りから帰るのをお菊が寝ないで、待っているじゃないかぁ。昼の賄いの飯、他の職人と父親の俺に出す飯と、お前さんに出す飯が明らかに違う。

お前のオカズだけ、大きい、多い、一品何やら余計な物が付いている。それで、おヨシがピンと来てお菊を問い詰めたら、白状したんだよぉ!!」

次郎吉「違うんです、お地蔵さんのお祭の晩に、私が寝ていたら、お菊さんが私の布団に夜這いを掛けて来て。。。」

鐡蔵「おうおう!次郎吉、両親と娘の前で、あんまり生々しい話はするなぁ!」

ヨシ「そうですよ、それにうちのお菊は、そんなふしだらな娘じゃありません!!」

次郎吉「でもねぇ、女将さん!聞いて下さいましよぉ、お菊さんの方から潜ずり込んで来たのは事実なんですから。私が駄目だって言うのを、又グラに。。。」

お菊「次郎吉さん!いい加減にして、夜這いを掛けて来たのは貴方じゃないですか?ちょっとだから、触るだけとか言って。。。」

鐡蔵「いい加減にしなさい!!二人とも。親は聞いてられません。兎に角、二人して江戸へ行って浅吉さんの『長寿庵』で働いて、夫婦仲良くやりなさい!!」

次郎吉「親分、女将さん!ありがとうございます。夜這いは私が男ですから、掛けたと言う事にしておきます。」


そう次郎吉が言うと、四人は笑いに包まれて、その日の宴は真夜中まで、続くのでした。烏カァーで夜が明けて、次郎吉とお菊は手に手を取って、仲良く江戸は巣鴨の浅香町を目指します。

女連れでゆっくりには成りましたが、途中、旅籠に三泊すると、四日目の昼過ぎには、巣鴨浅香町にある長寿庵に着きました。


次郎吉「浅吉さん!此れからお世話に成ります、犬伏の小松原村で、幼い時に遊んだきりですが、夫婦共々、宜しく頼み申します。」


次郎吉の髪型、着物を見るからに、浅吉は思います。こいつは遊び人だぁ、こんや奴に蕎麦が本当に打てるのかよ!!と。


浅吉「久しぶりだなぁ、次郎吉ドン。有益先生は元気かい?俺も人の事は言えないが、お前さんもかなりの放蕩者らしいなぁ、鐡蔵親分の手紙に書いてあった。

それでも、鐡蔵親分が娘さんをお前さんと一緒にさせたってんだから、お前さんの蕎麦打ちの技を見せてもらいたい。奥に道具はあるから、早速お願いするぜ。」


そう言われて次郎吉、店の台所の奥、打ち場へと通されます。


次郎吉「浅吉さん、水はどれを使えば?」

浅吉「その緑の瓶の水だ。」

次郎吉「ヘイ!」


瓶の水を一合ほど取り、水の硬さを確認します。

そして、鉢に蕎麦粉だけを入れて蕎麦を打とうとすると。


浅吉「次郎吉ドン!江戸の人は細い蕎麦しか食わないから、繋ぎにうどん粉を一割か二割入れツくれぇ!!」

次郎吉「細いって。。。?」

浅吉「その笊に明けてある蕎麦の太さだよ!」


其処には、日頃、佐野犬伏で次郎吉が打つ蕎麦の約半分の太さの蕎麦が有った。


次郎吉「この太さなら、繋ぎは要りません。蕎麦粉だけで打たせて下さい。混ぜ物すると、水加減が分からなくなる。」


鉢で捏ねて、棒で伸ばす薄く理想的な正方形に近い形に伸ばした蕎麦を、江戸っ子好みの細糸に切る次郎吉。

沸騰する釜で蕎麦を踊らせて、笊にあけて冷たい水で表面の滑りを取る。綺麗に角の立ったポキポキの蕎麦が出来上がるのでした。


浅吉「すまないねぇ、腕試しみたいな事をさせて、これなら俺が打つ蕎麦より繁盛するよ、俺が打つ蕎麦より美味いぜ、次郎吉さん。」

次郎吉「ありがとうございます。」

浅吉「これでは、不味い方の俺が打つ蕎麦と、美味い方のお前さんの蕎麦を一緒に売る事になり、困った事になるなぁー。

行く行くは、二年か三年先に、この長寿庵の暖簾を、お前さんに譲ろうかと思っていたんだ、鐡蔵親分から話が来た時は。

でも、今、お前さんの蕎麦打ちと釜揚げの腕前を見たら、一人前どころか名人の域だ。神田の老舗の蕎麦屋にも負けないぜ!!その腕前なら。

其処でだ。お前さんがこの店を俺から買って、自分の力で、夫婦力を合わせてやってみる気はないかい?店は借家だから、俺が保証人になって大家に紹介する。

だから、俺には店の調理道具と器の代金として、七両払って貰えたら長寿庵は、明日からお前さんの店だ。店に付いている客もお前さんにくれてやろう。どうだい!?」

次郎吉「たった七両で、この店を居抜きで私に?なぜ、ですか?浅吉さん」

浅吉「俺は、お前さんもご存知の通り、道楽の限りを尽くして親の身代を喰いつぶして、田畑は他人に渡ってしまったが、

蕎麦屋として死物狂いで頑張って、何とかここに百五十両と言う金子が溜まった。此れを持って佐野犬伏に帰って田畑を買い戻したいんだ。

俺は、最後は親父の浅右衛門と同じ百姓で死にたいんだよ。分かるか?次郎吉さん。」


次郎吉お菊夫婦には、本当に渡りに船、幸運としか言い様のない出来事だった。直ぐに、鐡蔵から貰った切り餅二十五両から七両を浅吉に渡した。

更に、その足で、大家の家へ行って長寿庵の店子が、浅吉から次郎吉に代わる事を伝えて、一両二分の礼金を支払い、晴れて長寿庵は、次郎吉とお菊の店になった。



つづく