さて、物語は少し時を遡ってしまいますが、次郎左衛門が江戸表で商いへと参る折は、必ず、『召使い』の清助に留守を任せております。
先の小悪党が清蔵の事を『番頭』などと、あたかも次郎左衛門の右腕が如く申したのは、冗談、ふざけた物言いです。なぜなら、この清助は、佐野の船橋では知らぬ人の無い大馬鹿(うつけ)に御座います。
しかし、清助はこれまた馬鹿が付く正直者。これに次郎左衛門が惚れて、船橋での店の留守番として使っているのですが、どうやら、タダの馬鹿ではないようです。
アさて、先に武助からこっ酷くやられた長脇差の四人(よったり)ですが、実は、こんなやり取りを清助ともしておりました。
まず、四ツ過ぎに次郎左衛門の店に参りましたのが、メッパの勘五郎とその子分の喜助でした。外から二度、三度と『ごめん下さい』『ごめんなすって』と声を掛けるが全く返事が無い。
戸の隙間から中を覗くと誰も居ない様子である。戸口に手を掛けてみると、締まりがして御座いません。身代が一万両とも噂されている絹問屋の店にしては物騒だと思います。
喜助「親分!開いてますぜぇ、中へ入りますか?」
勘五郎「俺たちは、一応、長脇差だ、盗っ人じゃねぇー。ちゃんと声を掛けて入るんだ。」
喜助「さっきから掛けてやすが、返事がありません。誰も居ないんですかねぇ。どう、声かけて入ります?」
勘五郎「決まってる!こうだろう『御免ください。』『誰ですか?』『メッパの勘五郎で御座んす。』『そうですか?お入り下さい。』『ありがとう』」
お約束で、喜助がコケて二人は中へと入る。すると、物凄いイビキが聞こえて来る。しかも、店の戸棚の中からである。こんな所で?と、喜助が開けて見ると、そこには熟睡中の清助が居た。
喜助「親分!馬鹿の清助の野郎、こんな所で寝てますぜぇ。」
勘五郎「直ぐ、叩き起こせ!!」
喜助「清助!起きろ、何て所で寝ているんだ!?」
清助「ムニャ、ムニャ。あぁ?何(あ)んかぁ、食わせるか?」
喜助「行火(アンカ)なんか食わせねぇーよ。次郎左衛門は留守か?!」
清助「おめぇーは、アホの喜助!!そして、後ろに居るのはメッパでぇねぇーかぁ?」
勘五郎「メッパとは何だ!!勘五郎さんとか、勘五郎親分とか呼べ。それは、そうと主人の次郎左衛門は何処だ?」
清助「商売しに、江戸さぁ行った。今日帰る予定だったが、一日伸びて明日になるだぁ。」
勘五郎「お前が一人で留守番か?」
清助「んだぁ。そろそろ九ツの鐘が鳴るから戸締りすんべぇーと思う取った所だ。」
勘五郎「お前!嘘を付くなぁ。寝てたろう?しかも、戸棚で。なぜ、戸棚なんかに入って寝ていた?」
清助「もう、九月なのに藪蚊が、プーンって。あの音を聞くと眠れねぇーべ?それで、最初は蚊帳吊るべぇかぁ?と思ったども、蚊帳は面倒だぁ。そんで、戸棚に入ってみたけんど、蚊は避けられぬ、と、そう言う結論だなぁ。」
勘五郎「もういい、お前の蚊の話は分かったから、俺はなぁ、次郎左衛門に纏った金子を借りに来たんだ。佐渡の金山から金が掘れなくなって、人足の斡旋では食えなくなった。
その上、前借りした銭を返せと、お上が煩いんだ。それで、面目無い話だが、夜逃げをして佐野を売る事にした。その当座の資金を、次郎左衛門さんに出して貰いたいんだ。」
清助「そうかねぇ。夜逃げするかね。だども、今日は帰らねぇーから、銭は無いよ。」
喜助「この店は一万両の身代と言う噂だろう?何処にあるんだ、銭は?」
清助「オラはただの召使いだから、銭の隠し場所は知らねぇーて。」
勘五郎「心当たりはねぇーのか?清助。」
清助「オラに簡単に分かる場所さぁ、仕舞ったらオラが猫糞(ねこばば)すんべぇーよぉ。ご主人様は馬鹿じゃねぇーから、どっか隠してあるんだべぇ。」
勘五郎「そうは言うけど、心当たりがあるだろう?此処じゃないか?みたいなぁー。」
清助「本命は蔵だなぁ、そして穴は庭かな?」
勘五郎「よし、なら先ずは蔵だ。清助ドン、案内してくれ!蔵ん中へ。」
清助「馬鹿こけ。オラはご主人様の召使いだぞ。主人を裏切ることはできねぇーって!」
喜助「そんな事を言って、俺たちがご主人様の銭を盗むのは、止めねぇーじゃねぇーかぁ!!なぜだ?」
清助「親分が馬鹿なら、子分も馬鹿だなぁ。銭はご主人様のもんだがぁ、命はオラのもんだぁ。命を取ると言われたら、銭っ子は渡すって。それは、ご主人様も許して下さるはずだ。」
勘五郎「分かった!お前にも分け前をやるから、手伝ってくれぇ、清助さん!!」
清助「清助が、清助ドンになり、遂には清助さんに成ったけんど、オラはご主人様の召使いだから、おまんまを食わせて頂いている義理があるんで、お前さん達には一切加勢できません。」
勘五郎「馬鹿にも主従の義理があるかぁ、分かった!!だったら、提灯か手燭のような物を貸してくれぇ。」
清助「お前たちは、其れでも盗っ人けぇ!!普通、そったら物はお前たちで用意するもんだ!有っても貸すかぁ、主従の義理があるだぁ、よお。」
勘五郎「仕方ない、喜助!台所に行ってこの火付けの道具で、粗朶に火を点けて灯りにして持って来い!!それから蔵だ。」
勘五郎と喜助が、何とか粗朶に火を点けて、松明みたいにそれを灯りにして蔵へ入って行くのと、入れ違いに、腹太の多七が弥平を連れて、次郎左衛門の店にやって来た。
弥平「ごめんなさい!夜分にすみません。次郎左衛門さんはいらっしゃいますか?」
清助「留守だ。帰れぇ!!」
多七「馬鹿の声がする、弥平、家ん中に入れ。」
清助「なんだぁー、腹太の親分も来なさった。お前さんもご主人様に借金の申し込みか?」
多七「何だか気味が悪いなぁ、馬鹿に腹を見透かされると。」
清助「親分さんも、佐渡金山でしくじって、夜逃げするか?」
多七「何だとぉー何故、てめぇ〜知ってやがる。」
清助「オラは何でも知っているぅ、夕べあの娘が泣いたのも、かわいいあの娘のつぶらな、その目に光る露のあと、生れて初めての甘いキッスに、胸がふるえて泣いたのを
あの娘を泣かせたのは俺らなんだ。、だってさ、とってもかわいくってさ、キッスしないでいられなかったんだ。
でもさ、でも お星様だって知っているんだ。あの娘だって悲しくて泣いたんじゃない。きっと、きっと、うれしかったんだよ。」
多七「お前は、平尾昌晃か?!」
清助「実は、親分の前に先客が在りましてぇ。」
多七「先客?!誰だぁー」
清助「メッパの野郎でぇ。」
多七「何ぃー!!勘五郎の奴が!先に来てるのか?!」
清助「ハイ、うちの金庫から五百両盗んで、胴巻に入れて、腹に巻き付けます。その五百両じゃぁ、足らないと言って子分を連れて、今度は蔵から金目の物を盗むとかで。。。
親分!あのメッパの野郎、五百両と多七親分が言うと、必ず、『何の事だ!一文も俺は取っチャいない!!』とか言って白を切るはずです。許しちゃなりませんぜぇー親分!!」
多七「分かった!行くぞ弥平。抜かるなぁ、今から長ドス抜いて、斬り掛かる準備をしておけぇ!!」
血相を変えて、蔵へと走る多七と弥平。一方の蔵に入った勘五郎と喜助は。。。
喜助「親分、清助の野郎は嘘ばっかりですねぇ。」
勘五郎「何が蔵が本命だ!!これが、川崎競輪の予想屋だったら、家に火を点けられているぞ!!赤板でカマシ先行を決めたのに、鐘(ジャン)を聞いた時には、完全にタレてしまう、みたいなぁー競争だよなぁ。
蔵には一文もねぇーし、それどころか、ガラクタばかりで、金目の物一つ無い。清助の野郎、とっちめてやらねぇーと。」
多七「やい!!勘五郎。話は全部聞いた。五百両を折半しろ!!半金の二百五十両出せば、命は助けてやる、さもないと、叩き斬る!!」
勘五郎「おい、腹太のぉ。何の事だ、その五百両って???」
多七「白こいのぉー。弥平!抜かるなぁ、叩き斬れ!!」
チャリン!キン、チャリン!と、長脇差同士がぶつかる音が木霊します。親分同士、子分同士の真剣勝負。三流長脇差の闘いですが、真剣勝負なので、それなりに迫力があります。
何を思ったか?これを見物しながら、清助は、冷酒を一升徳利に入れて、焼いたスルメを齧りながら酒盛りを始めております。
勘五郎「多七!見てみろ、俺たちの喧嘩を見ながら、清助野郎、酒を喰らってやがるぞ。お前、あの馬鹿に何んて言われて俺に斬り掛かった?!」
多七「お前が五百両、胴巻に入れて隠していると。そして、必ず、白を切るとも言われた。」
勘五郎「やっぱり。ほら、俺は胴巻なんて巻いてねぇーし、五百両なんて、持ってません!!」
多七・勘五郎「止めろ!刀を引け、清助に嵌められた。」
多七「やい!清助。どういうつもりだ。長ドスを振り回しての喧嘩だぞ。」
勘五郎「万一、本当にどっちかが、死んだり、大怪我でもしたら、お前、どう責任を取るつもりだ!」
清助「昔から言うべぇ、そったら馬鹿タレは、死ななきゃ、治らないって。」
多七「もういい、暴れたら腹が空いた。清助!何んか、食べる物を拵えろ!飯と汁でいいから頼む。」
清助「オラは明日早いから、もう寝ます。台所に米と菜葉と味噌も醤油もあるだから、お前達で好きに作れ。では、お休みやす。」
そう言って清助は奥で寝てしまいます。仕方なく子分二人が、なんとなくの見様見真似で、飯を炊いて、汁を作ります。完全に夜が明ける迄掛かって、ご飯と汁の完成です。
そして、四人が漸く食べようとしたら、其処へ清助も起きて来て、朝飯代わりに、子分が作った飯と汁を食われて仕舞います。
もう怒る元気も失せた四人は、このように、清助にもて遊ばれて、翌日次郎左衛門を待ち伏せしたら、今度は武助に峰打ちと斬り傷を受けて、散々な夜逃げになったのでした。
つづく