主君の御前試合の真剣勝負にて、その主君お気に入りの八重垣主水を斬り殺して、主君の逆鱗に触れた都筑武助。藩内ご家老本多斎宮の指図で、切腹を待たずに、浪浪の身となり蓄電した都筑武助。

下男の長助を連れて、九月の下旬、中山道を上って参りたして、最初の関所、『戸田の渡し』へと掛かりました。

江戸表で、武助を匿ってくれた荒物屋金兵衛の仕入れ用の通行手形で、関所は通り抜けられましたが、船が出たばかり、向かいの葦簀張りの茶店で時を繋ぎます。

さて、武助と言う男。先にも申した通りに、頭はハゲ散らかっていて、辛うじて後ろに髷が在り、目は片眼で、足も悪くびっこを引いております。

それを見た茶店の婆が、実に、差別に満ちた嫌な顔、不快満点の表情で接客致します。


武助「婆さん、いい天気の秋空よのぉ。茶を二つ貰いたい。」

婆「天気は、私のせいじゃないけどね。茶、二つだねぇ。十文です。」

武助「船は出たばかりの様だが、次の出船は何刻先になるか分かるか?」

婆「私は船頭じゃありませんから、よくは分かりませんが、直ぐに出るはずですよ。ハイハイ、十文ありがとう御座いました。」


武助と長助が、茶を飲んでいると、其処へ商人の形をした旅人が、一人入って来た。此の男、武助に勝るとも劣らない醜男で、

まず、頭が岩の様にゴツゴツしている上に、ハゲ上がっており、毛は僅かに、前に五十本、脇はビンの所に十五本、そして後ろに三十本程生えているだけです。

そして問題の顔。面の色は、渋紙を貼った上に、醤油(したじ)を掛けて、陰干しにした上で、大雨に一度打たせて、更に干し上げていたら、トンビに拐われて、それを落として、取り戻したかと思ったら、鎌鼬に合い切り刻まれた様な面なんでしす。


この醜男表現の「トンビが拐って落としたやつを、鎌鼬に切り刻まれた様な面」ってどんな面なんだ!?とは思います。


その醜男の勲一等と、醜男の横綱級の武助が、同じ茶店で出会ったもんですから、先の婆は、バイきんぐ小峠ばりの突っ込みで「何て日だ!!」と叫ぶのかと思ったら、さにあらず。


婆「旦那様、商売のお帰りですか?」

町人「そうです。仕入れに江戸へ。今から帰りだが、婆さん、船はまだ時間が掛かりますか?」

婆「いいぇ。間もなくじきに出船は参ります。」

武助「これぇ、町人?!その方は船でどちらへ参る?」

町人「はい、野州ですが?!」

武助「拙者は、此処にいる長助と、諸国を武者修行している浪人で、都筑武助と申す。

ワシも同じく、野州へ参る予定なので、旅は道連れと申すではないか?一緒に旅をせんか?其方はどんな商いをしている?」

町人「私は、佐野で絹商人をしている、次郎左衛門と申しまする。」


この町人、野州阿蘇郡佐野は、犬伏の豪商で絹商人の次郎左衛門と言う人で、この中山道界隈では彼を知らない人は有りません。

また、次郎左衛門、都筑武助を見て、武者修行とは言っているが、どー見ても胡麻の蝿では?と、思っておりました。

何故なら、この日は江戸で二軒、大きな掛けの受け取りがあり、懐には二百数十両の金子が入っていたからです。


武助「絹商人と言えば、金高の物を終始取り扱う商売であろう?さすれば、常に二百や三百の銭は持って旅するものなのか?」

次郎「いえいえ、私は絹商人と申しても、名ばかりで、極々、小さな商いをしておりまして、その様な大金は持ち合わせておりません。」


とは、言ったものの、次郎左衛門は懐中を見透かされた様で気が気では有りません。江戸表から次郎左衛門の集金を付けて来たのか?と、不安になりました。


武助「ハッハッハー!お主、何か心得違いをしておるぞ。ワシは賊の類ではない。お前がたとえ千両持って居ても、其れを的に致す様な輩ではない。安心せい!!」

次郎「へぇー、その様な事は。。。心配などしてはおりません。」

婆「佐野のお大尽!船が参りました、乗船できますよ。」


お先にと、茶代を置いて、次郎左衛門が先に船へと乗ると、武助が後から来て、すぐ隣に腰をおろす。醜男の勲一等と横綱が隣り合わせて座るから、他の客も遠慮して近くには来ない。

益々不安になる次郎左衛門は、変な汗をかいて、醜い面が更に不気味な化物の様になり始めておりました。

そして、武助が何やら話しかけても、生返事ばかりで、ろくに話をに乗る事もなく、そのうちに、船は向こう岸に到着しました。


船賃を払うと、スタスタと早歩きで逃げる様に先を急ぐ次郎左衛門。その後から、半ばからかう様な気持ちで、面白がって付いて行く武助。

いよいよ、胡麻の蝿に違いない!!と、確信した様子の次郎左衛門は、小走りで、武助を振り切ろうと致しますが、びっこで足の不自由そうな武助が、ピッタリと跡を着いて参ります。

二人は、付かず離れずの距離で浦和の宿までやって来て、そこで再び、話ができる距離に近付きました。


武助「町人!そんなに急ぐな、お前が拙者を嫌がり逃げる程に、側に行きたくなる。」

次郎「嫌がってはおりません、ただ、怖いだけです。」


と、言って次郎左衛門はまた駆け出しました。浦和をすぎて大宮の宿では、近道、裏道を駆使して武助を巻きに掛かる次郎左衛門。

漸く暮れ六ッ前に熊谷の宿に着いた頃には、武助の姿は見掛けなくなり、完全に振り切ったと安心をしていたら、細い路地を抜けて、常宿にしている旅籠、吉見屋へと向かい掛け所で、

地蔵堂の松の木陰から、足拵えを厳重にした、旅合羽に三度笠の四人組が現れました。


それは、佐野船橋の博打打ちで、メッパの勘五郎と、腹太の多七、そしてそれぞれの子分で、喜助と弥平の二人です。


勘五郎「船橋のお大尽!お待ちしておりましたよ。」

次郎「此れは之は、勘五郎親分に、多七親分。こんな所で、私に何の御用ですかなぁ?!」

多七「アッシたち、いよいよ、佐野じゃぁ。佐渡の金山も掘り尽くした様なんで、商売する街を変えようかって話に、この勘三郎となりましてね。」

勘五郎「それで、お大尽には日頃、世話になっておりますから、お宅に挨拶へ参りましたら、留守だと、番頭の清助さんに言われて。。。」

多七「それで、いつ戻るんだ!?と、尋ねましたら、清助さん曰く、今日あたり江戸表から戻るんじゃないか?!と。」

勘五郎「江戸で、たんまり稼いでお戻りだと伺ってねぇ。船橋を旅立つ選別を、お大尽からも、頂かなくちゃぁ!!と言う訳で。」

多七「清助さんの話では、今日はお大尽、熊谷泊まりで、吉見屋を使うってんで、待たせて貰ってたんです。良かった!会えて。」

次郎「分かりました。では、餞別をお包みします。少し待って下さい。」


次郎左衛門が、振り分けの荷を開けて、小銭入れを出して、四人分と思って一両小判ではなく、一分銀を四粒、半紙に包んで多七へ渡しました。


多七「ありがとう御座います。中身を確認させて頂きます。おいおい、兄弟!お大尽が、一分銀を四枚下さったぜ。これは何のおまじないだ?!」

勘五郎「お大尽!大の男が四人(よったり)秋の夜長にお前様を待って、一分銀四枚欲しさに居たとお思いですか?メッパの勘五郎を舐めチャ困ります。こんな目腐れ銭は欲しくねぇ!!」

次郎「欲しくないなら返して下さい。たとえ一文だって地びたを掘ったって出てきやしません。それを一分銀四枚、一両ですよ。それを目腐れ銭だなんて。。。」

多七「おう!次郎左衛門さんよ!こっちが下手に出てりゃぁ、のぼせ上がるのも、いい加減にしろよ!!伊達に長脇差しを腰に納めチャいないだ!!」

次郎「脅しですか?佐野船橋では、他の町役人の手前もあり、月々のミカジメをお支払いしていましたが、本来ならあなた方などに、くれてやる銭など有りません!!」

勘五郎「言いやがったなぁ、吐いた唾は飲み込むなよ!!商人のくせして、長脇差しにたてつくとは不てぇ料簡だ!!喜助、弥平、その野郎を捕まえて動けなくしちまえ!!」


次郎左衛門、四人対一人ですし、相手は刃物を持って襲って参ります。ここは三十六計逃げるに如かず。逃げようと走り出した所へ、多七が素早く棒切れを、次郎左衛門の足に投げて、転ばしてしまいます。

そこへ子分の喜助と弥平が馬乗りになり、手足が動かない様に押さえ付けます。更に、勘五郎がゆっくりと近付いて来て、次郎左衛門の懐中から胴巻に入った二百両に手を掛けようとした、その時!!


都筑武助が、暗闇から現れて、太刀を抜いてそのミネで、勘五郎の首筋を思いっきり叩きます。ギャっ!!と声を出して倒れる勘五郎。

次に、喜助と弥平の二人を蹴飛ばし、次郎左衛門を起こして、自分の背中に回り隠れる様に指示を致します。

多七が、勘三郎を起こしてやり、態勢を立て直し、二人同時に武助へと斬り掛かりますが、剣の腕前が違い過ぎます。

今度は、絶妙な手加減で、多七の腕と勘五郎の腿を、少し斬って血を見せてやると、『覚えていやがれぇ!!』と、お決まりの捨て科白を履いて悪党四人は蜘蛛の子を散らす様に逃げて行きました。


武助「町人!大事ないか?」

次郎「お侍様!本当に有難う御座いました。戸田の渡し以来、ご無礼の繰り返し。貴方を避けて逃げていた私を、助けて下さるなんて!?」

武助「なんの。ワシも貴殿を半ばからかって楽しんでおった。」

次郎「先程も名乗りましたが、再度、しっかり丁寧に、自己紹介致します。私は、佐野船橋で絹商人をしている次郎左衛門と申します。

お侍様、都筑武助様と仰いましまよね?都筑様、是非、野州での武者修行の間は、私の家に逗留下さい。全ての面倒は私がみます。そして、佐野には一年逗留して下さい。

武助「なぜ、そこまでするんだ?更に、一年も居なくてはいけないのか?どんだけ野州には優れた剣客が居るんだ?!」

次郎「違うんです。私にも毎日、剣の稽古を付けて欲しいのです。これまで、私は剣術など馬鹿にして来たのです。兎に角、早く走り逃げたら刀など不要と信じておりました。

しかし、今日の様な事も起こりえます。やっぱり、剣術が商人にも多少は必要だと痛感したのです。一年、都筑様に御指南頂き、少しでも護身術になればと思います。」

武助「あい分かった。しかし、次郎左衛門殿、拙者の稽古は厳しいからなぁ!!覚悟召されよ。」

次郎「ありがとう御座います!一生懸命励みます。」


こうして、佐野船橋の絹卸しの大商人、次郎左衛門と、本多家の指南役を追われた都筑武助が出逢う事になりました。さて、これからどうなりますか?次回のお楽しみ。



つづく