木剣試合とは違い、一つ間違えると生死に関わる真剣勝負。都筑武助は、四代続く鞍馬八流の指南番の中でも随一の名人なれば、先の木剣の時から、服装を改める事は無く、タスキを締め直し木剣を先祖伝来の名刀、村正『籠鶴瓶』に持ち替えただけでした。

一方の、八重垣主水は、着衣の下に万一に備えてか?鎖帷子を着込み、槍は愛用の銀杏穂の槍を持ちて進みける。


双方共、能楽堂前に用意された床几に腰掛けて、立会人である立花一斎の登場を待っていた。

また、主水の側には殿様唐之亮公と日頃より稽古している小姓たちが陣取り、一方の武助側には家老本多斎宮を筆頭に大多数の重臣たちが座しておりました。


殿様「主水!くれぐれも油断めさるなぁ、武助など突き殺してしまいなさい。」と、武助陣営にも聞こえる声で、下知を飛ばしておられました。此れに対して本多斎宮も。

家老「武助殿!殿の御前だからと遠慮は無用。八重垣主水など、真っ二つにして下され。」と、声を掛けると、主水の様子を見て武助が答えます。

武助「ご家老、あの様な、日頃より口先だけのエセ武芸者に、遅れを取る武助では御座いません。見て下さい!主水の顔色を。顔面蒼白で脂汗をかいております、平常心では無い証拠!!

昔から、九段の車力は、坂道を通る際に、すれ違う女性によって一喜一憂してはならぬと申しますが、それが美人芸者だろうと、自分の女房だろうと、車力としての勤めに影響が出てはいけないとの格言です。

武士と車力では住む世界は違えども、しかし、そのすれ違う女人の質に気付き感じる程の余裕がないくらいにテンパった状態が、今の八重垣主水に御座います。あれでは、勝負するまでも無いかと思われます。」


そんなやり取りの後、立会人である立花一斎がゆっくりと会場入りし、武助と主水の間に立って真剣勝負の開始を告げた。

兎に角、先手必勝!槍を力任せに振り回して、斬り掛かる主水に対して、槍を十分に引いて出させない様に間合いを詰め、短い間合にする武助。

遂には武助、主水を能楽堂の柱に追い詰める。それでも、主水が突けない槍を、仕方なしに上段から振り下ろしたので、

此れに、間合いを合わせて、籠鶴瓶で肩口から袈裟懸けに、一気に斬り下ろすと、鎖帷子ごと真っ二つに斬り裂かれて、声も立てぬまんま、八重垣主水は絶命する。


斬られた後から血潮が吹き出て、見ていた一堂の感嘆のどよめきが、更に後から起こると、立花一斎が、高らかに武助の勝利を宣言し、武助はその場で膝間付いて、殿様唐之亮公に対して一礼した。しかし、


殿様「武助!なぜ、八重垣主水を殺す?!ワシの主水を殺した憎き奴!!顔も見とうない!!」

と、殿様はご立腹。見かねた本多斎宮が、武助の側からフォローをします。

家老「真剣勝負をお許しになったのは、殿ですぞ。主水には、武助を殺せ!と、仰ってましたじゃないですか?!」

殿様「武助を殺せ!真剣勝負だ!とは言うたが、八重垣主水を殺して良いなどとは、一言もいうてはおらん!!」


殿様のあまりの剣幕に、家老本多斎宮も言葉を遮られて、武助は閉門蟄居を言い渡されます。


アさて、真剣勝負に敗れた八重垣主水の死体は、丁重に扱われて妻や子供の元へと返されて、その妻子が露頭に迷う事の無い様にと殿様からの見舞金まで出されたと言う。

一方、帰宅した武助。無妻で中元の長助と言う唇に特徴のある下男との二人住まいなので、閉門蟄居と言われても、大勢に影響は無い様子だった。


長助「おーす!」

武助「長助!その挨拶は何とかならんのか?主人に対して無礼だぞ。さて、今しがた殿より、閉門せよ!!との沙汰があった。

よって、門に竹でバツ、分かるか?掛け算の記号みないな、時代劇とかで、よく見る。あれを作って釘で門に取り付けてくれぇ。

でなぁ、そうなると、お前が買い物に行けぬので、お前と二人して餓死したくはないから、脇に小さな穴を作り、其処に此れを貼れ。そこから、お前は外へ行って、買い物など、今まで通りワシの言付けた仕事をしなさい。

良いなぁ?先ずは、酒と肴だなぁ。買って参れ!!早く、買って参れ!!」

と、言って『忌戸』と書いた紙を、門の脇の穴に貼り、其処から長助には出入りを命じた。


長助「酒なんて呑んで平気か?お前さん。閉門と言うのは、反省するもんじゃねぇーだかぁ?」

武助「ワシは何一つ疾しい事はしていない。其れどころか、本多家に付いた悪い虫を真剣勝負で退治したタゲだ。その酒は勝利の美酒だ。長助!早く買って参れ!!」


そう言って下男の長助に、酒を買いに走らせると、入れ違いに、家老の本多斎宮が直々に訪れて、武助に何処かへ姿を隠す様にと助言した。


家老「武助!殿のあの様子だと、貴様に、切腹の沙汰が出るのは時間の問題だ。江戸表で、何処ぞに身を隠していてくれぬか?

三ヶ月もすれば、殿の怒りも鎮まるだろう。その時を見計らって、拙者が、貴殿の帰参の話をする。どうだ?」

武助「ご家老の配慮は、この武助非常に痛み入りますが、私は何一つ間違った事はしておりません!!殿が切腹と仰るならば、家臣として腹を斬りまする。」

家老「武助!短慮はいかん。あんな八重垣主水ごときの為に、四代続いた都筑家の指南役の地位と名誉を捨ててどうする!!貴殿の鞍馬八流の門弟も藩内には数多く居るのだぞ!!その者達の思いも分かってくれ。

此処に、五十両の金子が在る。これを持って、何処ぞ、江戸表の知り合いを頼って、隠れて居てくれぇ。必ず繋ぎを付けて藩に呼び戻す。

門番には、お主を通す様に指図しておくから、今日中に、何処ぞへ隠れてくれ!頼んだぞ。」


其処までされて、腹を斬るのも馬鹿馬鹿しいと思った武助。長助が買い求めた酒と肴で、その晩は気持ちの整理を付け。深夜に、長助に命じます。


武助「長助!そんな訳で、ご家老の顔を立ててだなぁ。今夜、深川佐賀町の荒物屋、金兵衛方へと夜逃げする。早急に支度をせい!!」

長助「人使いの荒い人だなぁ!!化物でも、こだに人使いが荒ければ、暇を頂戴しているぞ?人使いが荒いから、荒物屋さぁ、行くのか?!」

武助「余計な事は言わずに荷造りしろ!!明日の朝には、切腹の沙汰が出る。その前に、逃げるんだから。」


二人は、ご家老から通せ!!と、指図されている門番に、多少の金子を掴ませて、深川佐賀町の知り合い、荒物屋の金兵衛の家に厄介になる。

しかし、武助。まぁーやる事がない。午前中は、木剣を振って稽古はしているが、昼には、する事が無い。仕方なく唯一の趣味、釣りに長助を連れて出る。


一方、武助が夜逃げをした朝、予定通り、本多唐之亮は、武助に切腹を命じたが、既に、夜逃げをした後だった。

怒り心頭の唐之亮公。目付に命じて江戸表の探索隊が、直ぐに組織される。しかし、探索隊の殆どが、鞍馬八流を武助から習っていた門弟である。

数少ない八重垣主水の門弟が、浅草で武助を見た!!と、報告されても、浅草へは行かず麻布を探索する様な、のらりくらりの遅延作戦を行なって、武助が許されるのを待っていた。

と、言うのも、たとえ八重垣派の家臣でも、八重垣流の三羽烏を木剣で負かした武助の腕前はしっかり見ているし、主水を斬り殺した籠鶴瓶の切れ味は、もっと分かっております。

だから、見つけても、殿様が言うように、捕まえるとか、ましてや討ち取るなど有り得ないと思っているからです。


そんな事をしているうちに、正徳四年も八月になり、武助の元に悪い知らせが来ます。江戸家老の本多斎宮が急死するのです。

五十両をくれて、帰参させると言ってくれていたご家老が亡くなり、江戸に此のまま居ると、そのうち、あの殿様の事だ。本当に刺客を差し向けるやもしれない。

そう感じた都筑武助、下男の長助を連れて、中山道を北へと上り、旅立つのでした。



つづく