講釈に『新吉原百人斬り』と言う長い話があるのは知っていますが、私は生で聞いた事があるのは、残念ながら、三話だけ。
色んな講釈師、噺家で聴いているのは、皆様ご存知、恐らく先代正蔵の口演で有名な『戸田の渡し/お紺殺し』で御座います。
他の二話はと申しますと、宝井梅湯さんが勉強会で掛けた発端と、第二話で、その先は、聞きに行かずで、物語を通して読んだ事もありません。
そこで、松林伯圓か桃川如燕で探してみると、有りました新聞社の速記本が、如燕がまだ、桃川燕林だった時代の物で、明治二十九年の出版です。
余談ですが、三代目の桃川如燕は、のちに五代目神田伯山に成った人で、その名跡を継いで、神田松之丞さんが、来年二月に六代神田伯山を襲名します。
一方この噺、芝居にも成っていて、『籠釣瓶花街酔醒』/かごつるべ さとのえいざめ、と言う題名で、黙阿弥の門人の三代目河竹新七と言う狂言作家の作品で、全八幕二十場ある超大作ですが、現在、掛かるのは五、六幕と八幕の一部だけで御座います。
つまり、講釈と落語は前半の山場を一幕、最も怪談めいた怨念噺だけを演じますから、名工村正作『籠鶴瓶』など登場しない、村正の伝説とは無関係な部分が語られます。
対して芝居の方は、正にこの妖刀村正『籠鶴瓶』が事件を引き起こす、『新吉原百人斬り』と呼ぶにふさわしい場面が取り上げられます。
そして、語り草となり伝説を作ったのが、初代吉右衛門のこの科白ですよねぇ。
「花魁、そりゃあ、ちっと、そでなかろうぜぇ〜」
女の子にフラれた時には、必ず使いたくなる科白で、応用が利く素晴らしい名言だと思います。皆さんも是非、日常でお使い下さい。
アさて、村正は家康が忌み嫌い、徳川家にとっては負の刀として避けられて来ましたが、村正作の刀が全て、血を見ないと納まらないと言うのは、チト違う様で、
村正には、二通り在って、作者村正の改心前と改心後とがあると言う。分かり易い様に、改心後の村正には「改」の文字が作名の前に入れてあると言うのです。
佐野次郎左衛門が持っております、この物語の核となります『村正/籠鶴瓶』は、元々は福島左衛門大夫正則が秘蔵の品に御座います。
この籠鶴瓶と言う刀は、籠で作った釣瓶の様に「水も溜まらぬ切れ味」で一度抜
くと血を見ないではおかない、という因縁のある正に妖刀だった。
この刀、正則公の愛剣中の愛剣だったのですが、この刀は、ある理由で家来の都筑武左衛門高良に下げ渡しとあいなります。その訳とは!!
アさて、この福島正則と言う武将、剛毅無双、人呼んで『横紙破り』と言う位の負けず嫌い!!遊びであろうと、戦うからには勝たねば気が済まない性格で、数々の逸話のある武将です。
そんな福島家へ、日本一の浪人を自称する元蒲生飛騨守に支えていた侍が、他流試合を申し込んで現れたのです。福島家の家臣たちは、大いに迷惑だと困惑します。
この男、一ノ宮監物名乗り、諸国を巡っては武芸を自慢し、日本一の浪人と自称している怪力の剣客のようでした。
この申し出を受けて、藩内の家臣たちは、兎に角この浪人に近寄る事を避けます。何故なら、剣を交えて勝ったとて、褒美は貰えず名誉もさほど高まる事はない。
その代わり、万一負けたら、福島家の恥さらしと謗りは免れず、正則公の機嫌が悪い場合は、減俸、切腹、お家断絶もある。
ところが、この家来の日和見を知り、正則公は激怒します。皆がそんな浪人一人に臆するならば、ワシが相手する!!と、仰って槍を取ったのでした。そこへ、馳せ参じたのが、都筑武左衛門でした。
武左「殿!暫く、暫く。お待ち下され。」
正則「おぉ、武左衛門かぁ。なぜ、割って入る?」
武左「殿、御自ら槍を取られるには及びません。拙者が、その日本一の浪人とやらと、一手交えて、その力量を確かめてみとう御座います。」
正則「ほーう、武左衛門。そちは、日本一の浪人と戦うと申すか?」
武左「御意に御座います。」
正則「そうかぁ。家来が、腑抜けばかりではなく、ワシも安堵致した。武左衛門!遅れを取るなぁ!!」
武左「遅れを取る様なら、試合など申し込みません。必ず、福島家の面目に掛けて勝利致しまする。」
正則「そちが、日本一の浪人一ノ宮監物に勝利した暁には、秘蔵の名刀『籠鶴瓶』を取らせる!!励め。」
武左「ははぁー。誠に、秘蔵の村正『籠鶴瓶』を下さいますか?」
正則「如何にも遣わす。武士に二言は無い!!」
この約束で、俄然奮起した武左衛門、鞍馬八流の名人なれば、一ノ宮監物を三本勝負で、一本も許さず快勝し、福島家の名誉を守ります。
また、敗れた一ノ宮監物は、「日本一の浪人」と言う看板を下ろして、這々の体で芸州から退散したそうです。
さてさて、家来の都筑武左衛門が勝ってしまうと、『籠鶴瓶』を手放さねばならなくなる正則公。ここで、村正『籠鶴瓶』が惜しくなります。
正則「武左衛門!アッパレであった。そなたには、秘蔵の具足のうち、何れでも好きな具足を選んで受け取るがよい。遠慮は要らぬぞ。」
武左「具足?甲冑は既に持っておりますし、具足は重ね着できません。一つ有れば足りております。約束通り、籠鶴瓶を頂きとう御座います。」
正則「ならば、金子を好きなだけ与える。それで村正なんかより、もっと斬れる名刀を買い求めよ、望みの金子を遣わす。」
武左「殿!一度約束された事を、反故になさいますか?天下の福島正則が、本当にそれで宜しいのですか?家来や領民が、この事を知れば何と申すか。」
正則「武左衛門!お前は触れて廻ると申すか?」
武左「拙者が触れて廻らずとも、『福島正則は武士に二言は無いと言いながら、籠鶴瓶が惜しくなり、家来を騙して褒美をあげなんだ!!』と、
明日には、領内隅から隅までその事が、知れ渡ります。恐らくは、多少尾鰭も付いて、殿の信用は地に落ちましょう。其れで宜しければ、拙者、褒美は要りません。」
正則「其れは困る!!大いに困る。武左衛門、どうしたら良い?!」
武左「籠鶴瓶を拙者が拝領させて頂き、殿が面目を保つのか、拙者への褒美を無しにして、殿が領内での信用を失い、誰にも相手にされなくなるか?殿のお好きになさって下さい。家来の拙者が決める事ではありません。」
正則「武左衛門!村正でないと、誠に駄目なのか?!」
武左「私は、拝領する側です。殿が下し置かれないならば、拝領できません。家来はあくまでも、受け身です。殿の思いのままに。」
正則「分かった!籠鶴瓶を、そちにくれてやる!!早く持って行け。」
こうして、武左衛門に、外堀を埋める様な理詰を喰らい福島正則秘蔵の名刀『籠鶴瓶』は、家来の都筑武左衛門の手に渡ります。
都筑武左衛門、拝領の籠鶴瓶を本当に大切に大切に扱っておりましたが、不幸にも元和元年、福島家は御家断絶、芸州備前の領地は徳川家に召し上げられて、正則公は信州川中島へと流罪になります。
福島家の家来たちは、散り散りバラバラになって諸国に分かれて行く中、都筑武左衛門は、鞍馬八流の剣術の腕を買われて、本多内大記殿に、武術指南番として三百石で召抱えられる。
本多家は、大和郡山に十八万石の城持ち大名で、都筑家は、武左衛門から四代までは、恙無く指南番として勤め上げておりました。
アさて、武左衛門から四代子孫の時代、その頃の本多家の当主が、本多唐之亮と仰せられて、指南番の都筑家の方は、都筑武助髙茂と申しました。
この武助、幼い時に疱瘡を患って片目を失い、その影響なのか、片足も引き摺るびっこな上に、背は低く剣の達人には全く見えない風態をしておりますが、四代続く都筑家の指南の中では、鞍馬八流を極めた逸材でした。
だだ、藩主の本多唐之亮は、全てに派手好みで、余りに歌舞伎者風な贅沢三昧をして、幕府から睨まれて、十八万石の地行を半分にされてしまうと言う、所謂、歌舞伎者なので、周りに置いている小姓ですら、長身の美男子ばかりで、どうも、武助は気に入りません。
そんな折に、八重垣流の槍術の使い手、八重垣主水なる男を、唐之亮公が指南番として召抱えると言う運びになります。
この主水。実に美男子であり爽やかな好青年。背も高く切れ長の目が魅力的で、例えるならば、武助が温水洋一なら、主水は京本政樹で御座います。
アさて、京本政樹ならぬ八重垣主水が、召抱えられてから、唐之亮公は、主水にべったりで、武芸の鍛錬も、武助の剣術の日は仮病を使って休むのに、主水の槍術の時は張り切って稽古なさいます。
何故なら、武助は殿様の鍛錬の為だと、全く手加減なとしませんし、べんちゃらを言って取り入る様な事もなく、殿様には基礎練習も必要だと考えて地味な稽古を致します。
一方、主水の方はと見てやれば、兎に角、殿様の槍の腕前を褒めて褒めて褒め千切ります。そして、殿様のお気に入りの若侍を相手に、試合形式の稽古にして、殿様が勝つように仕組むのです。
三年の月日が流れて、殿様唐之亮公は、益々、八重垣主水にべったりになり、更に主水は、自分の妾だった藪医者のお幇間(たいこ)医者の田原清斎、こいつの娘おるいを、殿様の側室に差し出します。
そして、このおるいが飛んだ喰わせ者で、表向きは清楚に振る舞う控えめな女性を演じていますが、心の内側は女夜叉!!殿様におねだり三昧で散財させる毒婦なのです。
家中の重臣にも、あの八重垣主水と言う指南役は良くない!と、思っている者が少なからず居ますが、殿様の逆鱗に触れるのが怖くて、意見出来ずにおりました。
そして正徳四年五月五日、端午の節句の宴が本多家では催されて、家老の本多斎宮、本多又右衛門、物頭の青木清左衛門、そして番頭の斎藤重内など重臣たちが一堂に集められて、
勿論、都筑武助や八重垣主水もこの宴席に招かれておりました。能と謳いの会が終わり、無礼講!と、なってから、殿様からの盃の廻しっこをしている時に事件は起きました。
殿様からの盃が、家老から物頭、物頭から番頭へと廻り、次に指南役、八重垣主水へと廻った盃。これを見て、唐之亮公がこう言いました。
殿様「主水!その盃を、貴殿の前に座したる〃片目〃に廻せ。」
それを受けた主水が、武助にこう申します。
主水「〃片目〃殿、殿よりの盃に御座る。」
武助「無礼者!殿が拙者を、片目と仰るのは上位にて甘んじて受け申すが、貴殿に片目よばわりされる筋合いは無いぞ!!名前で呼ばれたい。非礼を謝りなさい!!」
主水「是はしたり。片目を片目と呼んで何が悪い!!殿よりの盃に、そちこそ無礼ぞ!!」
すると、見ていた重臣の中から、家老本多又右衛門が止めに入った。
家老「無礼講の宴席で、なんだ!!両名。殿の御前で言い争いは慎まれよ。」
殿様「良い又右衛門。両名、日頃より指南番として使えしからには、双方とも、腕に覚えがあろう。苦しゅうない、庭での試合で、白黒付けられよ!!」
八重垣主水は、武助の実力を測る為に、門弟から魚住、比留間、山本の三人を最初に武助と闘わせる。
先鋒魚住、いきなり槍での突きを交わされて、小手を喰らい槍を落とし「参った!」する。次鋒比留間、槍を車輪の様に回して突進するも、槍が後ろを回る間合いを読まれて、胴を決められて一本負け。
最後に大将山本。先の二人が秒殺されたので、武助を疲れさせて、万一破れても八重垣主水を有利にする作戦に出たが。。。結局、間合いを詰められて、喉に突きを喰らい伸びてしまう。
さて、八重垣主水。都筑武助のあまりの強さに『この期に及んで仮病は無理か?』何とか武助との勝負を避けて、恥をかかず、面目を保つ策は無いか?と、思案に思案を重ねる。
そうだ!!これだ!!と、思い付いたのは、意外な策だった。
主水「殿、門弟が見苦しい所をお見せして、申し訳ありません。こう成ったからには、八重垣流槍術の威信を掛けて、拙者と都筑殿の『真剣勝負』をお許し下さい。もはや、木剣試合では、埒が明きません!!」
主水の計算では、真剣勝負などして、万一、自分が死んだら困るから、殿様が止めてくれるだろう。
もし、殿様がやれ!と言っても、幕府にこの様な真剣勝負が知れたら、責めを負うかもしれないので、家臣が止めてくれると、そう踏んで『真剣勝負』を提案したのだが。。。
殿様「あい分かった。真剣勝負を許す!!」
家老「御前試合、真剣勝負となる。外部に漏れぬように、門を閉めよ!!ご両名、支度をなさり、半刻後に、能楽堂前の空き地にて、同じ指南役、馬弓指南の立花一斎先生立会の元、真剣勝負と致しまするぅ。」
まず、本多唐之亮公は、本当に八重垣主水は宝蔵院の生まれ変わりの槍術の天才と信じており、日頃から生意気な都筑武助を討ち殺して欲しいと思っている。
更に、重臣は、この機会に八重垣主水なんて怪しい奴は、都筑武助に斬られてしまえ!!と、願っていた。
さてさて、この真剣勝負の結果は次回のお楽しみ。
つづく