玄関の方から、お虎を呼ぶ声がしています。しかも、女性の声です。お虎は喜三郎を、押入れに隠して、応対に出てみると、なんと!!それは、お冬であった。
お虎「どうしたんだねぇ?!お冬さん、こんな夜中に。。。子どもが産まれたんだろう?男の子かい?それは愛でたいねぇ。今日が、お七夜、それじゃぁ、名前を付けて貰わないとねぇ。」
お冬「悪いけど、お虎さんに折り入ってお願いしたい事があるんだよ、夜分すまないけど、上がらせて貰うよ、いいだろう?!」
お虎「いいけど、散らかってるわよ?!」
木村大助に飲み食いさせた、お膳だけを片して、お冬を部屋に通すと、お冬が実に深刻そうな表情で話し始める。
お冬「今、家に着替えを取りに帰ろうとしたら、薄暗い行灯の光ん中で、何やらヒソヒソ話す声が聞こえて来て、ねぇ。
『あぁ、これは夫の玄若が、他所の女と浮気をしているに違いないなぁ?!』
と、思ったんで、忍び足で中に入って、その話を盗み聞きしたら、私しゃ、驚いた!!相手が女じゃないのさぁ、男なんだよ!!しかも、男、三人。」
お虎「エッ!!それってホモ。玄若さんって、そっち系のバイセクシャル!!両刀使い?戦国武将マニア?!」
お冬「違うわよ!!その男二人が、同じ炊夫の小菅の勝五郎と、三日月小僧の庄吉なんだよぉ。そいつら二人と、うちの玄若が、島抜けの算段をしているんだ。」
聞いた、お虎も、押し入れの中の喜三郎も、ビックリだった。勝五郎と庄吉は仲間だが、玄若を誘った覚えがない二人だから当然である。
お虎「島抜け?!穏やかじゃないねぇ。それで、三人が島抜けの話をしているのは分かったけど、お冬さん、私に何を頼もうってんだい?」
お冬「私が『島抜け』を密告する告訴人になるから、その代わりに玄若だけは、罪に問わないように、木村大助様に、お虎さんの口からお願いして欲しいのさぁ。
玄若は、あの勝五郎と庄吉に騙されて脅されて、無理矢理、島抜けに参画させられただけの、善意の被害者だと、口添えして欲しいのさぁ。宜しく頼むよ、お虎さん。」
お虎「どんな話をしていたのさぁ、その炊夫の三人は。」
お冬「娑婆の未練がどうのこうの。そうそう、八丈に流されるはずが、大病して三宅島に留め置かれた『佐原の喜三郎』!!あの男が島抜けの頭領だと言うのさぁ。」
それを聞いたお虎は、押入れに居る喜三郎にも聞こえる様な大声で、お冬を生かしておけない覚悟を語り始めた。
お虎「お冬姐さん、残念だけどね、姐さんが頼みにしている木村の御膳、もうこの世には居ないんだよ!!」
と、言って隠した屏風を取り払い、血煙に染まった木村大助の死体を、お冬に見せた。すると、狂ったような顔になり、いきなりお冬はお虎に襲い掛かった。
あまりの急変にお虎が茫然としている間に、怒りに任せて暴れ狂うお冬は、お虎の髻(たぶさ)を掴んで畳の上を引き摺り回し、奇声を発して半狂乱となる。
見兼ねた喜三郎が、押入れから出て、お冬を取り抑えようとした、その時、庭の方から、先程、喜三郎がブチ破った障子戸を踏んで、
玄若が、お虎とお冬の取っ組み合いの修羅場の脇から割って入り、お冬を掴んで、お虎から引き離すと、持って来た例の小僧を殺した鉈で、これも殴り殺してしまいます。
木村大助の血の雨の跡に、上書きするかの様なお冬の血が更に注がれて、その部屋は、綺麗な地獄絵図が出来上がりました。
喜三郎「玄若さん!何も殺さなくても。。。」
玄若「勝五郎さんと庄吉さんには、話して分かって頂きましたが、あなた方二人にも、私の決意の程を見て頂きたくて、それで、お冬を殺しました。此れで仲間にして頂けますか?」
お虎「貴方の坊を産んだばかりの、女房だよ?!」
玄若「麓の小屋にガキは居ますから、乳に困る心配は無い。あのまま、狂った勢いで、島抜け!島抜け!とお冬に騒がれたら。。。結局、お二人で殺すハメになるでしょう。ならばと、アッシが買って出たと、思って下さい。」
お虎「確かに、あのまんま、喧嘩の末に私か喜三郎親分のどっちかが、お冬さんを殺してたけどねぇ。貴方!本当に、腹が据わってなさるね。」
玄若「それはそうと!!勝五郎さんと庄吉さんから聞きましたよ、私がここへ流された根源の『吉原の火事』、あれはお虎さんの仕業らしいじゃないですか!?
その一点だけでも、アッシはこの島抜け計画の仲間に入る権利があるはずなんだ!!」
喜三郎「お虎!何だ?吉原の火事は、お前が起こした火事なのか?俺には全て濡れ衣と。。。」
お虎「だから、あれは濡れ衣のようなモノなんです。付け火をさせられた。。。唆されたと言うかぁ、誘導されて。。。後先を考えず、恋に一途な面が出た。。。私も若かったぁ。。。」
喜三郎「もういい、どんどん人間不信になるばかりだから、その件は忘れよう。それにしても、玄若さんも、関係のある過去を持っていなすった事が分かっただけでも、仲間の絆を感じるぜ!!」
玄若「親分に、そう言って頂きたくと嬉しい限りです。」
やがて合図の丑三の鐘が鳴り響き、喜三郎とお虎、そして玄若の三人が船の隠してある鰹漁の始まっている港へと向かうと、一足先に、玄若の家から直行した勝五郎と庄吉が船を海へと浮かべて待っていた。
三人は船に乗ると、木村大助とお冬を殺害して家にある銭と、大助から頂いた二種の神器、金無垢の如来像と壬生の宝剣を二人にも見せた。
昼間は、雨乞いで一時大雨になったが、夜になると海は穏やかで凪の状態だった。船は帆に一杯の風を受けて、北へ北へと相模から伊豆下田辺りをを目指して航行していた。
勝五郎「皆さん、今のうちに食料を食べて、水を飲んでおいて下さい。万一、嵐になると、それどころじゃ有りませんから。そして、命綱で、体を船に結き付けておいて下さいね、お願いします。」
庄吉「勝兄ぃ!月が見えて、こんな星空が、輝く日に嵐なんて来ないでしょう?」
勝五郎「それが、そうとも限らねえーのが海ってやつだ。今夜は島の漁師は地獄の釜の蓋が開き、船を海に出すと、その釜の中から大蛇が現れて飲み込まれると信じているんだ。
それだけじゃねぇ。俺は島の漁師や島役人の船頭たちから、海の上での天文、つまりは星と月の満ち欠けの読み方を教わったが、あの遠くにある黒い雲、あれが広がると嵐が来るように思うんだ。」
勝五郎と庄吉がそんな話をしている一方で、玄若坊主はと、見てやれば、この人、妻と房庵の小僧の二人を鉈で殺す度胸があるのに、船はからっきしの苦手。
お虎「玄さん、大丈夫かぇ?」
玄若「こちとら、奥羽の山育ち。二十歳過ぎて江戸表に出る迄は海を見た事もなくてね。船とクサヤは大の苦手なんです。」
お虎「そんな人が三宅島に流されて、よく二年も生きてられたよねぇ。これからもっと荒れて来るらしいから、覚悟しなよ。」
玄若「娑婆へ出る為ですから、我慢いたします。」
口では空元気を飛ばす玄若だが、顔色はだんだんと青ざめて、言葉が出なくなります。すると、凪いでいる海が、北西の方向水平線の上に出来た黒い米粒程の雲を起点に、
その雲が、桶に張った水へ墨を垂らした如く!広がって、雷を伴い、波がうねりを上げて暴れ始めます。
板子一枚、その下は地獄!!正に、そんな地獄の釜の蓋が開いた様子で、木の葉の様に波に弄ばれる船に一蓮托生の五人は、運命共同体なればこそ、ただただ祈るのみ。
やがて、海は真っ紅に染まり、竜巻に飲まれた海が、天空に海水を吸い上げて、柱のような大蛇が九つ現れました。
もうこれに飲まれて五人は死に絶えるか?と、思ったその時、帆が折れた船の上で、竜巻に飲まれかけた船上で、喜三郎が壬生の宝剣を抜いて、その竜巻に斬り掛かる。
更に、お虎はと見てやれば、金無垢の如来像を出して此れに念仏を唱えながら祈りを贈ります。
船が天に吸い込まれた、次の瞬間!!
刻は七ツ、まだ朝ぼらけの真っ白い砂浜に、五人は流れ着いておりました。しかし、船も壬生の宝剣も金無垢の如来像も、そこにはありません。
喜三郎「お虎?無事か?」
お虎「ハイ、アタイは生きています。」
喜三郎「勝五郎さん!大事ないか?」
勝五郎「船幽霊に拐われたか?と、思いましたが、私も無事です。」
喜三郎「庄吉?お前は?」
庄吉「なんとか生きているみたいです。」
喜三郎「玄若!貴様は?」
玄若「ゲロゲーロ。酔っていますが、生きております。」
五人が流れ着いたその浜には『下総國、銚子、飯貝根村』と、杭に黒々と墨字で書かれていた。
つづく