享保六年三月一日、大坂城代土岐丹後守から、徳川天一坊に対して面会の申し込みがある。大坂両町奉行から警護の申し出が有ったにも関わらず、これを断り自前の行列で大坂城代屋敷を目指した。
アさて、その行列はと見てやれば、大坂長町の島屋から城代屋敷までは丁度、一里あまりの距離があります。
行列の先頭、葵の紋の唐櫃の中には御烙印を示す二品、『お墨付』と『備前長光の短刀』が入っていて、麻上下を付けた六人の警護侍がそれを守ります。
続きまして、下に!下に!と槍と鉄砲が、十二人ずつ続き、その後ろに金紋葵の漆箱、次に鳥羽細工の道具箱で、その背後に六人の弓隊が続きます。
そして、その後に漸く天一坊の駕籠となりまして、飴色の網代蹴出しの輿であります。その後ろを玉虫色の衣に、五色の房を付けた錦の袈裟を着て、白足袋に福草履の守役感応院が歩き、
直ぐ後ろには、天一坊の宗門の師匠である常楽院天忠が漆黒の駕籠に、紫の衣を着て七色に輝く錦の袈裟と、手には水晶玉の数珠を持っております。
天忠の後に、家老赤川大膳の駕籠、その後も駕籠が続き、茶瓶、長柄傘合羽駕籠が五つ、そしてそして、大膳たちが大坂で召抱えた百人が、この行列の最後尾を固めていたのでした。
沢山の見物客、野次馬が沿道を埋め尽くし、大坂はちょっとした天一坊フィーバーです。表現が古い!!
早くも行列の先頭は、城代屋敷の大門に到着。一番駕籠、お墨付と形見の短刀を乗せた駕籠と、その後ろの天一坊の駕籠だけは、この大門から通されましたが、
続く行列は、潜り門の方に回されての屋敷入りで、先に天一坊の駕籠が、屋敷に横付けされて、後から草履取りの奴が参る形になりました。
ここは、講釈だと修羅場の見せ所!!
さて、もう九分九厘一味の陰謀は成功しているように思えますが、流石、知恵伊豆です。大坂城代に対して、確認事項を用意しておりました。
まず、十五歳まで平澤村で暮らした天一坊こと法澤について、当時を知る生き証人に首実見しなさい!!と言うのです。
まず、感応院とサワの再婚を世話した仲人の名主勘右衛門。既に、七十近い高齢を、城代は馬と駕籠で大坂へ連れて来ていた。
そして、もう一人が感応院のご近所、二丁離れてはいるが、家族包みの付き合いだった百姓の喜助。こちらも、六十を過ぎている。二人に法澤を見せると。。。
勘右「間違いありません!!法澤だあー、元気していたか?法澤!!立派になって。。。お役人様、こやつは感応院とこに居た法澤に間違い有りません!!」
役人「此れ!将軍家の御烙印に対して失礼だぞ!控えおろう。」
喜助「おーぉー、法澤だぁ、鼻垂らした悪ガキが、こんげん立派になって。。。」
役人「将軍家、御烙印様なるぞ!言葉を慎め!」
喜助「すいません、お鼻垂らした、お悪い、おガキ様だったのに、確かに法澤です。」
首実見の結果、法澤が天一坊だと確認されたので、玄関の隣の使者の間に止め置かれた一同は、屋敷の客間へと案内された。
そこで、遂に天一坊以下、家老赤川大膳、宗門師匠常楽院天忠、御守役感応院、用人山村勘之助の五人が通されて、
大坂城代土岐丹後守、大目付久松織部、御目付蘇我権之助、御加番奥平和泉守、町奉行の稲垣淡路守と松平日向守が応対した。
丹後守「其処元が、ご家老で御座るか?」
大膳「拙者、天一坊様の家老役、赤川大膳と申します。」
丹後守「赤川氏、天一坊様は宗門僧侶の身でありながら、なぜ、飛び道具など所持なさるのかな?」
大膳「天一坊様は、僧侶である以前に、申します通り、八代様御烙印であらせられます。万に一つ悪人現れて命を狙われんとも限りません。
家康公は、安和二年駿河にて、病気療養中庭を散歩されていた時に、真田の残党、車丹波守の舎弟、車善七に命を狙われております。
また二代秀忠公は鶴岡八幡宮遊覧の折に、関ヶ原の石田の残党に礫にて負傷されておりますし、三代家光公は京都の遊山旅にて豊臣の残党から襲撃を受けておる。
つまり、将軍家の血筋は多くの思わぬ外敵より命を狙われるものでして、警護に飛び道具を用いるは必定、其れ無くして防ぐ事は不可能と心得まする。」
丹後守「飛び道具の件は、あい分かった。ならば、行列に用いる駕籠に付いて伺いたい。白木の乗輿は『天子』、塗網代の乗輿は『将軍』、そして、飴色網代の蹴出し乗輿は『宮家』のものに御座る。
なぜ、天一坊様は『宮家』の飴色網代の輿を用いるのか?ご返答願いたい!!」
大膳「元々、宮様は京の地にあって帝を補佐なさるお方でありながら、徳川家の人質なれば、上野に居なせれて、即ち、官位無き身分にて江戸ではお過ごしである。
よって、官位無き身分の宮家と同じく、かつ、徳川家への忠信を示すに、飴色網代の輿は最も相応しいと判断して、この輿を選び申したが、何ぞ不満がお有りか?!」
丹後守「ウぅ〜、よい!乗り物の件も、あい分かった。此上は、『お墨付』と『備前長光の短刀』を拝見したいが?構わぬか?」
大膳「御意に。では常楽院殿、お願い申す。」
赤川大膳が声を掛けると、まず、お歴々の前に行列の先頭に居た『唐櫃』が、小姓によって運ばれて来て、常楽院天忠が、唐櫃に鍵を入れて、中の『奉書』を目八分目に掲げてから、漆塗りの葵の金紋入りの箱へ入れて、此れを一同の前に運びました。
そして、一同の前に広げると、二十年の時代を感じさせる奉書の紙に、書かれた文面を、常楽院が大きな美声で読み上げます。
「其の方、懐妊に及び、候事覚えあり。即ち、我が子なれば、男子出生の折は、召し出されるべし。また、女児の折は、婚礼の祝いを用意するものなり。
元禄十五年八月二十四日 夜認 源六郎。」
併せて、錦の袋に納められた、鞘には葵の御紋入りの備前長光が出されて、一同は、興奮の面持ちで、『奉書』の鑑定に呼ばれた紀伊家の古参家来が、まず、十中八、九上様の手によるお墨付であると、土岐丹後守に進言します。
更に、大坂の刀の目利きが、短刀は紛れもなく備前長光の作で、光貞公所有の物を、三男源六郎君に譲られた品であると、報告するのでした。
大坂城代土岐丹後守は、ここに、天一坊を御烙印だと判断して、一気にお近付きになろう!!と、接待攻勢に入ります。
その日は、天一坊を上座に座らせての酒宴でのもてなしとなり、万事上手く運んだ悪党一味はほくそ笑みながら、島屋へと帰ります。
つづく