明けて享保六年、松も取れて早くも二月半ば、十五日の朝。日本橋の長町は、黒山の人だかりになっておりました。
従来、ここ長町は表通りは道頓堀へと続く道で、当時も道頓堀には芝居小屋が五座ありまして、大変な繁盛でした。
更に裏町長町は、堺へと抜ける街道で紀州からの人や品物、そして熊野詣に参る人々で、それはそれは賑やかな所ではありますが、それにしても何事か?と言う人集りでした。
徳川天一坊御旅館
そんな大きな看板が、島屋の前に掲げられて、三方の塀には紅白の幕が張られて、正面玄関には葵の紋所の入った幕になっております。
更に、その玄関には、黒羽二重の紋付に袴を履いた門番が二人、槍を持って立って居ました。此れを見た野次馬が集まっていたのでした。
江戸では、葵の紋は珍しくはありませんが、ここ大坂では非常に目立ちます。それで、野次馬が集まって、こんな立ち話をしておりました。
野次馬A「此処に、『徳川天一坊』と書いてあるが、徳川とあるからには、公方様のお血筋かのう?!」
野次馬B「そうじゃろう?公方様のお子さんじゃろう?」
野次馬A「公方様のお子さんなら、八方様じゃろう?」
野次馬B「そんな事を軽々しく言うと、叱られますよ!!」
そんな事を言っては、島屋の前に立ち止まるので、往来の妨げとなるので、二人の門番が野次馬に対して『通れ!』『通れ!』と声を掛けて人通りを促していた。
その様子に島屋文右衛門も気付き、自分の旅籠の前が偉い騒ぎに成っていると知り、様子を見て隠居所に戻ると、西町奉行松平日向守様から今直ぐ奉行所へ出頭せよと、使いが来たと言われて、その手続同心藤井三十郎と面会した。
文右「ハイ、私が島屋文右衛門に御座います。」
藤井「その方の旅館、島屋の玄関に『徳川天一坊旅館』と看板が掲げてあるが、アレは何じゃぁ?!」
文右「私も今日初めて見ましたもんで。若殿様が泊まられるから、他の客を泊めてはならぬと、昨年暮に旅籠『島屋』を貸切にさせて頂いきました。
てっきり、九州辺りの田舎大名だとばかり思っていたら、公方様のお子様だった様子で、家来の皆さんも多数お泊りです。」
藤井「ならば、その家来の中から、代表者に西町奉行所まで、出向いて説明する様に申し付けろ!良いなぁ、本日、なるべく早くに参れと伝えろよ。」
文右「わかりました、必ず、お伝えします。」
そんなやり取りがあり、用人山村甚之助と感応院が西町奉行所へと出向いて、日向守役宅にての申し開きと相成ります。
つづく