三両貰った感応院は、質屋から正装の衣を受け出して久しぶりに袈裟を付けて、若松屋の藤井六之助を訪問した。
一方、六之助は酒、肴を揃えて感応院をもてなし、だいぶん酒に酔って来た頃を見計らって、法澤を『徳川天一坊』として幕府に訴え出る話を切り出した。
感応院「私も、おさん婆さんが生きていた時に、紀州家へ訴え出るつもりで居たんですよ。それを、女房のサワが反対して。。。
あの女は、いやに硬い所がありまして、法澤も母親贔屓で、御烙印のフリをするのを嫌がりましてねぇ、結局、お墨付と短刀を持って家出されたんで、私は諦めていたんですが。。。
藤井様が、やると仰るならば、勿論、私は協力させて頂きます。」
六之助「サワ殿は、この件を反対しているんですか?産みの親から、法澤は偽者だ!と言われては、この計画は上手く行かない。困りましたねぇ。」
感応院「サワは、ご覧の通り病人です。もう長くはないと思います。早く死んでくれたら、計画が運び易くなるのに。」
六之助「取り敢えずサワ殿を置いて、感応院さんは、大坂へ私に同道しては貰えませんか?越後村松の守門山に、私の水戸藩時代の同僚で、香洲喜十郎と申す男が、
今は住友様之助と名乗り浪人頭をしていて、この男が、この陰謀の金主役であり、現在、法澤を預かってくれているのです。その様之助を大坂で紹介します。」
感応院「分かりました、明日貴方と大坂へ経つ準備をこれから帰り致しますが、サワには何と言って出掛けましょう。」
六之助「サワさんには、ここに三両有りますから、此れを渡して一ヶ月くらい留守にすると、いい聞かせて下さい。ただし、まだ、陰謀の話は内緒に願います。」
感応院「分かりました。藤井様から頂いた仕事だと申して大坂へお伴致しまする。」
藤井六之助と感応院は、サワ一人を平澤村に残して大坂へと翌日旅立った。サワは感応院が『また、何やら悪い事をするのでは?』と胸騒ぎがしたが、病人で動くのがやっとの体では、何にも出来ずに悶々として居た。
二人は大坂に入ると島屋文右衛門と言う立派な旅籠に逗留した。徳川天一坊旗揚げまでは数日あるので、感応院には、ここでゆっくり待つ様に指図した。
そして六之助は、越後に法澤たちを迎えに行ってから再度、大坂入りすると、感応院へは言って出たが、実は、サワを始末する為だった。
若松屋があと一泊なら泊まれるので、大坂から平澤村へと蜻蛉帰りして若松屋へと戻った藤井六之助。
女中「お客さん、今日が約束の五日目だからね。宿賃はもう済んとるからええけんど、明日は何刻に立ちますか?」
六之助「そうだなぁ、七ツには立ちたいから、朝飯は握飯と何か汁を用意してくれ。もしかすると八ツに出るかもしれんから、八ツの鐘が鳴ったら、廊下に置いてくれたら食べて出る。」
女中「分かりました。そうそう藤井様、主人と女将が顔を見せて、挨拶できぬが、よろしくと。」
六之助は夕飯を食べると、女中に祝儀を渡し、床に入った。八ツの鐘で目が覚めると女中が朝飯を届ける気配を感じたので、
起き上がり支度をして、朝飯を掻き込んで若松屋を出た。闇の中、何度か通った道を感応院へと走る六之助だった。
その頃サワは、大坂へ行った亭主が心配で、また、法澤に何やら悪い事をするのでは?と、母親としてのサワの心はザワ付いていた。
漸く起きて火を起して、薬を煎じて飲むサワ。すると、庭で物音を感じる。『野良犬か?』と思って這うようにして廊下を進むと、いきなり、雨戸が蹴破られて、
黒い覆面の男が、刀を抜いて斬り掛かって来た。『泥棒!人殺し!』とサワは叫んだが、隣家は二丁も離れていて、この深夜である。誰にも知られず、無残にも斬り殺されてしまうサワ。
藤井六之助は、自身の息子に乳をくれ、育ててくれたサワを殺すのは、流石に抵抗があったが、この陰謀最大の障害を取り除くには、消すしかないと思った。
『南無阿弥陀仏』と呟き、強盗の仕業に見せかける為に、部屋を荒らし感応院がサワに渡した三両を奪って現場を立ち去った。
いよいよ次回は、大坂で徳川天一坊の旗揚げです。
つづく