法澤、伝蔵、そしてお兼の三人は、やっと守門山へと到着し、田畑が広がり人家集落が三、四十もある村へと出た。
早速村人に、「浪人頭、住友様之助殿の家は?」と、尋ねると、「冠木門の立派なお屋敷だ!あの高台に在る」と教えられる。
そして、長屋と隣接したその大きな屋敷へ、三人は門を潜ると、すぐ門番に止められた。
伝蔵「浪人頭の住友様之助様に御目通り願います。」
門番「何方から参った?」
伝蔵「私と妻は、美濃、長洞の常楽院天忠殿の使いで、書状をお持ちしました。」
門番「そちらのご出家は?何方から参られた?」
法澤「私は紀州和歌山は、平澤村から参りました。法澤と申します。親方様にお会いして、お話ししたい儀これあり。宜しくお取継ぎを。」
門番「暫時、お控え下さい。」
門番は、奥へと消えて、三人は玄関脇の次の間へと通された。暫くすると、食べ物や酒、肴が運ばれて、道中空腹だった三人はご馳走になる。
やがて、三人は奥の客間に夜具が用意されて、その日は住友様之助には会えず、そのまま疲れて寝てしまう。烏カァーで夜が明けて、朝飯を客間で頂く。
すると、下男が伝蔵とお兼を、奥へと呼びに来た。昨日渡した書状の件で、様之助が逢いたいと言うのである。
様之助の書斎らしき部屋に通されると、床の間に太刀が大小三振り飾られ、脇には甲冑も置かれている。
その前に座っているのが、住友様之助らしく四十ニ、三の品のいい侍である。また、横に小姓が一人付いていて、その前に家来らしき男が三人控えて居た。
様之助「あなた方が、美濃、長洞の天忠殿のお仲間でぇ、伝蔵さんとお兼さんですね?時期に天忠殿も越後へ見えるとか。
それまで、ご両人を預かって欲しいとの事なので、ここは何も有りませんが、越後見物などしながら、遊んで居て下さい。」
伝蔵「何から何まで、ありがとう御座います。」
様之助「長旅でお疲れでしょう。この屋敷は、風呂だけが自慢ですから、ゆっくり、旅の垢を落として下さい。」
伝蔵「では、早速、湯を頂戴します。」
と、二人と入れ替わりに法澤が呼ばれ、部屋に通された。
様之助「お坊さん、貴方は紀州の何方から?」
法澤「和歌山の在、平澤村です。」
様之助「して、何用で、越後へ参られた?」
法澤「御意。私の父は、貴方と一緒に水戸藩を追われた藤井六之助。母はその妻、梅です。此方へ伺えば、両親に逢えるのでは?と、思って参りました。六之助が一子、法澤に御座います。」
様之助「そちが、亀澤村の庚申堂で生まれたと言う藤井氏の倅かぁ!噂は聞いておる。おさんと申す産婆に預けたと聞いたが、相違無いか?」
法澤「御意に。よくご存知で。おさんの娘が育ての母で、平澤村に一緒に住んでいましたが、事情があり、十五ん年に平澤村には居られん様になりましてぇ。
両親の名前と水戸藩浪人と言うのを手掛かりに、四年近く探し続けて、飛騨の山奥で、貴方様が父を知っていると聞いて、守門山まで訪ねて参りました。」
様之助「惜しい事をしたなぁ、一年前に来ていたら逢えたのに。夫婦で藤井氏はここに来て、暫く居たんだが、する事もなく半年ぶらぶらしていたんだが、流石に飽きたらしく、
江戸表へ出たいと言うんでなぁ、商売の元にと百両持たせて、去年の八月に送りだしたんだぁ。だからまだ、江戸表に居ると思うぞ。
しかしなぁ、江戸は広い、探すとなると大変だが、暫くここで骨休めして江戸へ行きなさい。路銀くらいは出しますから。」
三、四日、守門山の住友様之助邸に滞在している三人。そこへ、江戸の常楽院天忠から手紙が届く。
何でも、江戸は新寺町の青雲寺とう寺での祈祷がバカ当たりで、暫くは越後へは行けないと言うのである。
代わりに、伝蔵とお兼には江戸へ帰って来い!と言って来たのだった。法澤も、暫くしたら両親の居る江戸表へと言っているので、
また、三人して江戸表を目指す旅になるのだが。。。折角ここまで来たんだから、越後と佐渡は観てみたい!!
と、三人は江戸表へ出発する前に、越後・佐渡見物の遊山旅をする事になるのでした。
つづく