村松の木賃宿を出た、法澤は「守門山」目指して急いでいたが、東西南北、街道筋が入り乱れており、迷路の様な道に苦労していた。
と、申しますのも、「守門山」の近くて遠い二里半程離れた場所に「守門村」と言う村が御座います。この「守門村」と申しますのは、天目山の戦いで滅んだ武田氏、武田勝頼の家臣を中心とした残党が、
新田開発、畑の開墾、河川の整備などなど、武田氏のノウハウをこの土地に持ち込んで、八百戸を超える集落を形成し、年貢を納めて郷士として、その勢力が認められている村なのでした。
それに対して、「守門山」は食い詰めた浪人たちが集まり、あまり治安が宜しくない部落でして、ここの浪人たちのリーダー、浪人頭が住友様之助と言う人でした。
ところが、四年前に現れた香洲喜十郎が、この様之助の女房と不義密通をして、様之助を毒殺するんです。そして自身が浪人頭に取って代わり、二代住友様之助を名乗っていた。
そうとは知らない法澤は、香洲喜十郎殿を知りませんか?!と、村松から尋ねるもんだから、当たりの住友様之助には巡り会えずにいた。
そんな所で、『坊さん!!連れになろうか?』と、忠臣蔵五段目風に大きな声で、法澤を呼び止める、男女の二人連れが現れた。
男「坊さん、滅法足が早いなぁ〜!ゆんべぇ、坊さん、村松のムジナ屋に居なすったよね?よね?」
法澤「確かに、ムジナ屋と申す間狭なる宿に、雑魚や有象無象と一緒に泊まりましたが、如何に?」
男「俺たちもムジナ屋に居たんだよ、でぇ、坊さんは、何方へ行かれるんです?!」
法澤「守門山と言う浪人村です。其処へ香洲喜十郎と言う人を訪ねて参ります。」
男「俺たちも、目的地は守門山なんだ、浪人頭の住友様之助って人に用があるんだ、俺たちは。同じ守門山に行くんならぁ、旅は道連れって言うじゃねぇかぁ、一緒に行こうぜ!坊さん。」
法澤「ハイ、構いませんよ、こちらこそ、宜しくお願い申します。」
女「アラ、お坊さんが一緒して下さると心強いワねぇ、あんた。ところで、お坊さんは何方からですか?」
法澤「私は紀州からなんです。お二人は?」
男「あっちら、江戸は浅草からです。」
男は江戸者らしく、粋な旅姿で二十五、六。女も二十歳凸凹の色の白い年増で、爪折笠を被っていた。
さて、これより三人連れ立って守門山を目指しますが、『水は方圓の器に従い、人は善悪の友による』と言うのは、古からの金言で御座います。
ここ村松にて、法澤はこの男女に出会ってしまったのが、身の災難でして。。。ここより、この男、伝蔵のお話に暫くなります。
この伝蔵は、下総八幡宿の生まれで、荒物屋の伝右衛門の一人息子でした。ただ、幼い頃から盗っ人根性が御座いまして、
四ツ五ツの頃には、欲しくなると他所の家から玩具を盗む、駄菓子は口に入れる。ですから、頻繁尻を叩かれておりましたが、全く改心する様子は在りません。
ですから、跡取りの一人息子なのに、父親の伝右衛門は五歳の伝蔵を、大いに持て余しておりました。
伝右「おい!おっかぁ、また、伝蔵の野朗、駄菓子屋の婆さんの目を盗んで、飴玉をかっぱらったそうだ。
あの野郎、このまま、大人になると、親兄弟も親戚も一族郎党縄付きにされてしまいかねねえ、大悪党になるぞ!!」
女房「縁起でもない!!子供なんだからさぁ、育て方次第で、まだまだ、何とでもなるよ、伝蔵は五つだよまだ。
小児は白き糸の如しってねぇ、染めようで、赤にも青にもなりますって。」
伝右「いいヤ。アレはもう黒に染まってるよ。お前は知らないだろうがぁ、こないだ、魚屋が来てた時。荷を置いて、長屋へ得意先廻りしてたんだ。
そこに伝蔵がふんどし一丁で現れて、干物を五枚くすねたんだ。何処へ隠したと思う?野郎、背中と黒板塀の間に干物を隠して、
手を叩きながら惚けたふりして遊んでやがったから、魚屋は全く気付かず行っちまった。その後、おっかぁ!お前も一緒焼いて食ったろう?だからお前は野郎と同罪だ!!」
女房「あらまぁー、あん時の干物はそんなぁ、因縁が?!あんた、知っていたなら、そん時に伝蔵に小言の一つも言わないと、駄目じゃないかぁ。」
伝右「俺の小言で直るなら、遠の昔に漂白されて、白い糸になってるって!!末恐ろしい餓鬼だぞあの野郎は。流行病で死んで欲しいわぁ。」
女房「人の生き死ににを、そんな風に言うもんじゃないよ!アンタ。そのうち直るって。」
伝右「どー贔屓目に見ても、俺は直らないと思う。」
伝右衛門は、完全に、伝蔵に対して子育てを放棄していた。匙を投げた状態だった。その年の夏。五月二十八日。父親の伝右衛門が、両国の川開きに、伝蔵を連れて花火見物すると言い出した。
言われた伝蔵は大喜びで、付いて行った。下総八幡から両国は四里あまり、五歳の伝蔵の足でも何とか歩いて行ける距離だった。
この本では、蜀山人の狂歌を紹介して、更には、講釈『鋳掛松』の話を更に、引用して、伝蔵の将来を暗示する辺りは、実に講談研究会の編集らしい。
見渡せば 泡雪花火 橋のしも
値千万 両国の景
下見れば 及ばぬ事の 多かりき
上見て通れ 両国の橋
鋳掛松は、両親が亡くなるまでは、親孝行しながら日に百五十から二百の手間の鋳掛屋稼業に辛抱したが、
ある日、両国橋を裸足で歩かされている子供と、みるからに貧乏な母親に出会う。子供が、足の裏が熱い!熱い!と言うが、
僅か十五文の草履を母親は買えずに居て、子供に我慢させて、歩くように促している。
そんな親子が渡る橋の下を、お大尽が芸者幇間を挙げて、ドンチャン騒ぎをしながら、屋形船で通る。
この様子を見比べて、鋳掛松は、商売道具を橋から川へ放り投げて、盗っ人になる決意をする。
人生五十年、太く短く生きてやらぁ〜
そう言って、親子の元に走り寄り、売り貯の二百十五文を渡して、それから盗っ人になると言う、長い長い『鋳掛松』の発端です。
さて、話を伝右衛門と伝蔵に戻します。六ツの鐘時分は、まだ、花火は上がらないので、両国橋の近くの茶店へ行き、花火がよく見える場所を確保しようと致します。
何とか場末ですが、伊豆屋と言う茶店の端の席に座り、伝蔵は肩車してやると、丁度花火が上がり始めて、夢中で見ている伝蔵でしたが、五ツを過ぎると、花火も止み、家路に向かう人々でなかなか、伊豆屋から出られません。
伝右衛門は、「ちょっと用足しに行く」と言って、伝蔵を伊豆屋の女中に預けて出て行きましたが、それっきり戻らず、浅草の宿にその日は泊まり、翌朝、上総八幡へと帰ります。
捨てられた伝蔵。
火が付いた様に泣き叫ぶだけで、五歳の伝蔵には、上総八幡の荒物屋伝右衛門の息子伝蔵ですとは、言えませんでした。
つづく