いよいよ、長い長い慶安太平記も残すところ、十頁となりました。何ともお名残惜しい気持ちになっております。

とは言え、まだ、今回を含めて、あと四話あり、最後に総括したいと思います。蛇足さんをはじめ、最初からお付き合い下さった皆さんは、一ヶ月のお付き合いですから、有り難い事です。

読んで下さる方あっての「読書感想文」であり、明治の言葉を出来る限り、風味を残しての現代訳で御座います。次は何を読むか?早くも思案中です。


松平伊豆守が上方の御目付役として派遣した駒井右京之進は、駿府に滞在していた。梅屋で自害した由井正雪を始め十人の首を梟木に処す為である。

また、駿府の町奉行所には、草履取りの和田助都、足洗村半左衛門とその身内親戚など十一人が牢獄にあり、この十一名も処刑と決まった。

尚、半左衛門には十に満たない女児四人と乳飲み児の男子が一人在ったが、これらはお構い無しと決まり釈放された。

駒井右京之進が、ここまでの調べを行い、由井から岡部の宿場町を残党狩りするのに、二十四日の歳月を要し、ようやく一味の梟木に漕ぎ着けたのである。

そしてこの梟木の噂は駿府から鎌倉へと届き、そうです!あの仇討姉妹・宮城野信夫の耳に届きます。彼女達は尼となっていたが、由井正雪の梟木の件に大いに嘆き、

二人して江戸表に出向き、公儀に正雪を葬いたいと訴え出た。姉妹の父の仇討ちに正雪が尽力した事実は、仇討の許可を出した公儀も知っているので、

直ぐに駿府までの通行許可と手形を発行してはくれたが、梟木の差配は駿府町奉行所に一任されているから、そちらに願書を出すようにと言われる。

姉妹は、三日半掛けて江戸表から駿府に到着し、早速、町奉行所に行き、由井正雪の首を回向したいので引き渡して欲しいと願い出ると、

これから七日間梟木に晒した後渡すので、八日後に来いと言われる。晒しモノにするのよしとするのなら、わざわざ江戸表から嘆願には来ない!!

正雪様は天下の罪人かもしれないが、我ら姉妹にとっては、父の仇討ちを成就させてくれた大恩人なんです。今すぐ首を渡しなさい!!


時の町奉行は、大いに困ってしまいます。姉妹の願う気持ちは、重々分かるし二人共大変美人だし。。。しかし、法度では七日間梟首を晒すのが掟。

板挟みの町奉行、苦肉の策に打って出ます。尼の姉妹にこう言います。明日から梟木に晒される事になるが、

今夜はなぜか?梟木台の番人が居ない。なぜか?番人が今夜だけ不在である。今夜限りですからねぇ。

そう言われた、尼姉妹は町奉行に感謝して、その夜、十人の首を全部盗んで、安部川弥勒町にある菩提院と言う寺に葬るのでした。

その後、明暦三年七月二十五日。由井正雪七回忌の法要がこの菩提院で執り行なわれましたが、その時、姉妹は正雪の石碑を建立したいと願いでましたが、

流石に寺方から激しい反対にあい、石碑は諦めて十三体の仏像を造り、これを寺に建立して正雪の供養とした。この後も殊勝なまでに、姉妹は正雪への回向を続ける。

そして、安部川弥勒町界隈には、こんな狂歌が残っているそうです。


正雪の元は紺屋でありし故

ごくもんつきの 美事なりけり



つづく