丸橋忠彌の拷問が始まってから十日後の八月十八日。加藤市右衛門が評定所に呼び出され、松平伊豆守の詰問が始まった。
何を聞かれても、知らぬ存ぜぬの一点張り。京都の廓遊びで腑抜けになっていた市右衛門ではあったが、牢に入れられて数日のうちに、張孔堂魂が蘇っていた。
本人を責めても埓が開かないので、伊豆守、遂には妻と子を引き出す様にと指図を下した。倅は二人、辰之助十二歳と亀次郎十歳だった。
この二人の倅は、三角木馬を跨がされて、足を屈強な大人から、下へ下へと引っ張られて泣き叫んだ。正に、睾丸が潰れてしまう様な拷問を受ける幼い二人。
それでも、武士の家に男子として産まれた者の心得は、市右衛門から厳しく躾られた二人らしく、伊豆守の家来が、父・市右衛門に白状を促すよう迫られても、二人はこの責を受け続けて、ひたすら我慢した。
すると、此れを見た伊豆守、「責める先を変えろ!!その幼子は死ぬ迄責めても弱音は吐かん!!貴様らそれでも玄人か?!即刻、妻を引き出し、石を抱かせて水責めにするのだ!
よいか?!市右衛門だけの見せしめではないぞ!倅、両人にも、母親の苦しむ姿を見聞させるのだ!!」
正に、伊豆守は鬼神と化して、容赦なく拷問の指図を送った。
引き出された妻は、捕らえられてから、市右衛門が京都島原の浅香に入れ上げていた話を、伊豆守より、再三聞かされていたので、
拷問の取り調べ場所に引き出されるなり、恨めしい表情で、市右衛門の方を見た。しかし、直ぐ様、其処に息子二人が居ると知ると、母親の顔に戻り、悋気の様子は微塵も見せなくなった。
そして、三角の角材のギザギザの上に正座させられて、石を抱かされ桶で冷水が浴びせられ、そして、背中を竹刀で打ち打擲された。
あまりの苦痛恥辱に、武士の妻は、自ら舌を噛み切って死のうとした。がぁ!、知恵伊豆の配下の想定内だった、直ぐに舌を噛めないように、口の中に詰め物を入れて、猿轡が嵌められた。
それでも、この光景を見た幼い二人の息子が、耐えきれず、「父上!母じゃの為に、白状くだされぇ!!」と、泣いて懇願を始めるのだった。
流石に、市右衛門も此れには我慢できず、柴田、佐原、永山の三人が、法華に身を窶し身延山から江戸表に戻った事を白状する。
三人の存在自体は、有竹八蔵の寝返りで既に周知だったが、江戸表に居るのか?地方へ逃げたか?定かではなかったのだが、この市右衛門の白状で江戸市中に、この三人の捜索回状が廻された。
加藤への拷問の成果を見て、町奉行石谷右近将監は、松平伊豆守に対して丸橋忠彌へも、老母、妻、息子の三人を拷問に掛けるべし!と、進言したが、此れに対する伊豆守の答えは、其れには及ばず。本人のみを責めるべし!!だった。
つづく