かくして松平伊豆守は、奥村・田代両人からの訴状を受けて翌日二十五日早朝、大老酒井讃岐守はじめ、譜代の主だった御三家、老中、大目付、側用人などを集めて、一味の謀反対策の評議を開いた。

ただし、知恵伊豆らしく、緊急登城の理由は、『将軍家綱公急病の事』とした。即位間のない幼君に何事!と、召集された諸侯はおっとり刀で駆けつけた。


「家綱公は?ご無事!!」


と、全ての面々が集まった所で、伊豆守。実は、張孔堂正雪が豊臣の残党を中心に六千の兵を持って内乱を計画あり。

明日二十六日に、江戸、駿府、京都、大坂の四ヶ所で同時に決起する。既に数年をかけて、弓鉄砲はもとより、地雷火なる爆薬、毒薬なども大量に準備した上での決起である。

故に、賊が決起して活動を開始する二十六日となる前、本日二十五日中に、少なくとも江戸と駿府の一味を捕らえてしまいたいと、考える。


ここまで、伊豆守が謀反ありの訴状を昨日二十四日に入手して、なるべく対応できる範囲は、本日二十五日までに制圧すべし!と、考えを述べると、

水戸光圀公が、先の天草の戦でも総大将を務め、現在は老中筆頭の松平伊豆守、貴方が、この件も、全権を委任するので、全てを仕切りなさい!!と言い出す。

すると、酒井讃岐守以下の面々も、正雪の乱への対応を松平伊豆守に一任する方向で、賛成され、評議は思いの外、早く決着する。


一任された伊豆守。大目付・駒井右京之進に命じ、昨夜より既に駿府へ走らせた関八州の隠密四十人と同心八十人を指揮して、本日中に首謀者である由井民部之助正雪を捕らえよ!と、命令します。

また、町奉行石谷右近将監を呼んで、伊豆守直々に、丸橋忠彌を捕まえる為の、秘策についての打合せを始めるのでした。

そして、町奉行石谷殿が、その場を立ち去る間際、伊豆守自ら重ねて、「この一味には、連判状があるはずだ。そこから芋蔓式に一味を召し捕るべし!」と指図されました。


丁度その頃、紀伊家にも「将軍家綱公、急病!」の知らせが入り、紀州大納言殿も登城されていたが、評定所前室にて足止を喰っていた。

その大納言頼宣殿への対応には、目付方の老中井伊掃部頭が当たっていて、頼宣公が張孔堂の面々、由井正雪、丸橋忠彌らと面識がある事から、評議の場へは通せないと説明をしていた。

頼宣公は、本日は評議で呼ばれたのでは無く、将軍様急病が理由だ!兎に角、将軍様に会わせろ!と、掃部頭を責め立てた。

押し問答となりながら、掃部頭は、のらりくらり慇懃丁寧な応対で、頼宣公をその場から、登城を諦めさせて、江戸屋敷へと戻すのである。


一方、伊豆守は田代と奥村からの情報で、江戸城の本丸、火薬庫に爆薬が既に仕掛けられていて、その手引をしたのが、長谷川重助という者だと言うので、これを突破口に、江戸城の探索も指示した。

既に五日前に、重助は閑職となり逃げてはいたが、火薬庫周辺の二十数本の地雷火が発見され、撤去された。因みに、この長谷川重助は後に召し捕られて、御詮議の上白状して火炙刑となります。



つづく