二十六日の決行に向けて、柴田三郎兵衛と佐原、永山の火遁地雷火の仕込みに関する打合せは、連日深夜に及んだが、
江戸攻め総大将の丸橋忠彌は、攻め口を突く当日まで、暇を持て余していた。そんな時、考えなくても良い事を考えてしまいがちで、馬鹿な考え休むに似たりである。
その暇な時間に忠彌は、それを考えてしまった。それとは、万一、大望成らずして敗れた場合、志を立てて戦った浪人たち自身は、喩え敗れ殺されても本望なれど、
残されし妻や子供は、みじめで不憫なものである。その事は長曽我部元親の実子として味わった自身の半生から、忠彌は誰よりも身に染みて知っていた。
だからこそ、隊員一人一人に与えられる軍用金は大切であり、この金子が、残された妻と子供の人生を大きく左右すると、忠彌は強く思った。
できるだけ、軍用金を沢山集めたい!!部下の隊員に少しでも多くの金子を与えたい!!その思いが、また、むくむく首をもたげて、忠彌はまた、居ても立っても居られず、よせばいいのに金策に走り始める。
しかも、特に名案があっての金策ではない。前回同様に、「薩摩藩から槍術指南番として士官が叶った」と言う理由で、借金を申し込むのだ。
しかも、金策に走る今日は七月二十四日。あと二日後の二十六日には決起するので、隊員に金子を配るには明日二十五日には必要である。
この無謀な条件で、金策に走った先が、丸橋道場を江戸で開く際に、土地の手配や下男・下女の口入屋の紹介を受けた金持ちで、
柴田三郎兵衛、奥村八郎右衛門とも関係の深い絹織物の卸問屋を営む田村又左衛門だったのだ。
又左衛門は、忠彌が薩摩藩への士官と偽り、弓師藤五郎から二千両を借りた噂を、既に耳にしていたので、直ぐに、借金の使い道を怪しみカマを掛けた。
すると、又左衛門が事前に仔細は、柴田から聞いていると言うのを間に受けて、極秘作戦の概略を話て、明日までにどうしても、二千両が必要だと訴え始めたのだった。
今月日光山を攻めたら、この手に三百万両が手に入るから、来月には、二千両を二万両にして返すとまで、又左衛門に言い出す忠彌だった。
驚いた又左衛門は、了解したふりをして、二千両を明日の八ツ過ぎ迄に用意すると、忠彌へは答えておいて、柴田は忠彌と伴に決起すると言うので、とりあえず奥村邸を訪ねる。
田村又左衛門は、奥村の腹を探った。『こいつも張孔堂に入魂しているのか?』話をするうちに、奥村は忠彌、柴田とは異なり、張孔堂正雪とは距離を置いていて、一味に加担していないと確信する。
そこで、奥村に、忠彌から今しがた聞いた、諸浪を五千八百人集めて決起し、京都、大坂、駿府・府中、そして江戸の四ヶ所同時多発テロが、明後日二十六日に決行されると告白する。
非常に驚く奥村だったが、これまでにも、幻術の件なども見ていたので、張孔堂正雪ならば、天下に弓を引いても不思議ない!と、思った。
奥村は、直ぐに訴状を認めて、田村を連れて松平伊豆守の江戸屋敷を訪ねる。天下の一大事で御座る。即刻、伊豆守様と接見したいき議これあり。
と、奥村が言上し、訴状を伊豆守へと渡す。直ぐさま、目通り許す!と、伊豆守より沙汰が下り、両人は丸橋忠彌と柴田三郎兵衛ら一味が、由井正雪の指図で江戸、駿府、京都、大坂を攻める話をする。
これを聞いた伊豆守は、その報告の『丸橋忠彌』と言う名前に反応した。あの時、千代田の城を下見していた浪人だ!!と、思い出したのだった。
委細承知
二人に褒美の金子と膳部を取らせる伊豆守。そして、江戸中の伊豆守支配下の家来を全員集めるように下知を飛ばす。
更に、駿府へは関八州に正雪召し捕りの指図を、また、京都・大坂の奉行所へも早飛脚を飛ばして一味の召し捕りを指図する伊豆守。
実に、一味の決行二日前、二十四日の夕刻七ツの事でした。
つづく