さて、この二人の物語は?です。ダレ場の少ない本であっては、必要?と思う感じの貴重なダレ場です。
張孔堂正雪が抱えている武具長屋、そこの甲冑組の頭で、岩井河内と言う者があり、楠木家の古文書や、鎌倉・室町時代の甲冑の資料を集めて、楠木正成をイメージさせる兜と甲冑が一揃い完成したというので、それが張孔堂へと届いた。
その日、たまたま、岡田彦兵衛と言う浪人の絵師が正雪を訪問していたが、その楠木正成モデルの一揃いを着た正雪を観て、その甲冑・兜で馬に跨がり、采配を振るえば、正に、楠木正成その人の再来だ!是非、その姿を絵に残させて欲しい!と、申し出る。
その絵を描き上げた後、益々、張孔堂正雪に対しての尊敬の念を強くして、この岡田彦兵衛は入魂し、一味に加わる。ただ、この絵師の活躍はまだ書かれていない。
また、張孔堂の近所に、材木屋又兵衛と言う男が住んでいる。毎日朝、又兵衛は正雪に、天気の質問ばかりする。
すると、正雪は又兵衛に親切に、晴れ・雨は勿論、風の向きや強さ、特に天候の急変、台風や水害の予測を含めて教えた。
なぜ、又兵衛が正雪からお天気情報を聞き出していたか?その理由が、一年半を経過して分かる。その日、又兵衛は木彫りの立派な大黒様を持参して、正雪に献上したいと言う。
正雪が、毎日挨拶をするだけの関係で、甚五郎作ではあるまいが、高価な大黒様の彫り物を、なぜ?と尋ねると、又兵衛答えて、正雪から聞いたお天気情報を元に、材木の仕入をして、
火事や水害、台風の襲来前に材料を押さえる事ができて、商売に非常に役立ったと感謝する。その本の御礼が大黒様だと言うのだ。
その又兵衛を見て、張孔堂正雪は、こんな話をして聞かせる。大黒様は人の心の中に宿る神で、外にはない。三福神の中心も大黒天、左右に弁財天、毘沙門天である。
昔、ある出家修行僧が、一身に大黒天を拝ん!と、瀧に打たれて、不動尊像を念じ、そねが誠の大黒天だと言われている。
また、大黒天を彫るには、橋板の三枚目を四方四角にして、上目蓋を深く彫るを秘伝とし、又、神棚へ飾る場合は中段に置く。家内の安全安心と質素倹約すべしとするものである。
人の道の福徳は外から得るものではなく、大黒天のように内から求めなさい!と、又兵衛に正雪が助言すると、又兵衛はいたく感じ入りて、正雪を尊敬するようになる。
つづく