九月十二日は、先代道場主であり正雪の師匠、楠不傳の命日なり。正雪は、月命日には、季節の花を手向、命日には牛込清松寺で一門の師範、準師範、合わせて三百を伴って法要せり。
現、張孔堂は、この楠不傳の築いた石杖に成り立っている。門弟数五千を超えた張孔堂ではあるが、そのうち三千は、不傳の代からの門弟である。
更に、芸人で言う所の太い贔屓。これに相当する道場の後見と呼べるタニマチは、ほぼ全てが、不傳の代からなのである。
その不傳を、殺したのは誰あろう、由井正雪自身なのだ。正雪も人の子なれば、この主人殺しに対しては、十字架を背負う気分で、後悔は微塵もないが、日々反省する毎日なのである。
然るに、正雪、この一連の法要を単なる供養とは考えず、大望成った暁には、師匠楠不傳も、自身を許してくれるに違いない!と、思いたい一心だった。
一方、正雪には師匠の供養以外に、幻術の修行を十日に一度、月に三回行うのも日課である。こちらは、とにかく神経を研ぎ澄ます修行が必要で、
更にその三度の内に一度は、七日の断食を伴う心身を飢餓状態にして、神経を極限まで研ぎ澄まし、闇に落とした針の音を感じ、それが眼を閉じて、探し当てられるくらいであった。
そんな正雪の枕元に、ある日遂に、不傳の亡霊が現れて、「正雪!お前を迎えに来た、涅槃で待つ!!」と、言い放ったのだ。
「お前は日影忠男社長か!!俺は、沖雅也じゃない!!」と、正雪が叫んだか?どうか?は定かではありませんが。。。ギャグが古い!古過ぎる!
正雪は、直ぐに村正を抜いて、不傳の亡霊を真っ二つにした。そして、不傳の亡霊はすぐに白気と化して消え失せたが、正雪は高熱に倒れて、生死を二十日間彷徨いました。
張孔堂の門弟をはじめ、周囲の介護の甲斐あって、正雪は一命を取り留めた。そして、この一連の出来事について、正雪なりに起こった出来事を精査した。
なぜ、不傳の死霊が現れたりしたのかと。
張孔堂は、現、徳川の幕府を倒し、新たな政を立ち上げて、民衆を解放し、この国を今よりも豊かで幸せなものにする志を持って決起している。
その首領であり指導者の私が、幻術など切支丹、バテレンの術(神技)を用いて良いのか?!徳川家打倒を果たしても、天子様、天皇家、公家一党がそんな私を支持下さるや?!
そう悟った正雪は、幻術を卑しみ、切支丹の法を全て天に返す決断を、ここにするのでした。そして此から後は、仏法にのみ帰依する正雪でした。
つづく