初対面の後、忠彌と八郎右衛門は、正雪から食事を御馳走になった。張孔堂の客間に、仕出料理屋から折りが届き、酒も用意された。
ひとしきり武芸談義に花が咲いた後、酒に酔った忠彌が、張孔堂正雪様は、幻術を用いるとの噂があるがと切り出した。
即座に、奥村八郎右衛門は、そんな迷信か都市伝説のような戯言を、民部之助の前で失礼だと恐縮したが、忠彌はどうしても、その真意が知りたい様子だった。
正雪は、ここまで打ち解けた二人だから、特別に幻術を披露する事、やぶさかではないが、一つだけ約束して欲しい事は、むやみに此れを見たと口外しない事。
二人にそれを誓わせて、どんな幻術がよいか?と、二人に望みがあれば、それに沿って幻術を披露できる!と、正雪は言う。
例えば、楽しい幻想的な、御伽の国のような幻術もあれば、妖怪、魑魅魍魎が飛び出して来る恐怖の幻術もある。お二人はどちらを好むや?
奥村八郎右衛門は、楽しい幻術をと言うが、忠彌は、そのような女子が喜ぶ絵本の如き世界より、武士ならば、恐怖の幻術を見て、あえて笑い飛ばさん!と、意見が分かれた。
なかなか、同時にちゃんぽんした幻術はできないので、二人で議論して決める事になったが、結局、奥村が忠彌に押し切られて、恐怖の幻術になった。
正雪は庭へ降りて、地面になにやら魔法陣を描いてその中心に立った。そして例によって手を胸の前で合わせて、指を立てて、祈るように呪文を唱えた。
すると、にわかに真っ暗いはずの闇が、明るさを取り戻し、庭の方から野原が座敷に迫ってきた。
そして、その野原には背の高い草木が茂り、忠彌は奥村が、奥村は忠彌が、だんだん見えなくなり、二人の心にぼんやりとした不安が芽生え始めた。
忠彌は、この原中を不思議な気持ちで彷徨うのだった。どこまで分け行っても奥村には出会えず、そうしているうちに風が生暖かくなり、四方から黒い雲が何時の間にか辺りを覆い始めた。
そして、あんなに明るかった野原が真っ暗になり、雷鳴が轟き稲光が遠くに見えた。すると、今度はこの稲光が次第に近くなり、眩いばかりの閃光になって行った。
遂に、雷が原中に落ちて、当たった大木が真っ二つに裂け、火の手が上がった。怪しむ忠彌が、この落雷の跡を確認すると、六尺はあろうかと言う大女の生首が現れた!!
空元気で、忠彌はケラケラと笑ってみせるが、生首は血がしたたり、おどろおどろしさを増して忠彌の方へ浮遊して襲い来る。忠彌、脇差を抜いて、これに斬り掛かりたいが、全身が痺れて刀な抜けない。
生首が襲い来て、同時に雷鳴が近くなり、遂に雷は真横に飛び交う。人生最大の恐怖に包まれた忠彌は、「張孔堂正雪殿!降参です、私を助けて下さい。」と生まれて初めて弱音を吐いた。
正雪が一喝すると、生首も、雷も、野原も無くなり元の庭と座敷に戻ったが、忠彌と奥村は、ただ茫然と立ち尽くし、暫くは言葉も出ない。まだ、夢の中の様な気分だった。
この後、二人の正雪への思いが乖離していく。忠彌は、益々、正雪を尊敬し、関羽、張飛が劉備玄徳を兄としたった様な関係になっていた。
一方の奥村は、正雪には逆らえない!とは思うのだが、心を恐怖で支配され心地よいものではない。やがて、奥村は張孔堂に対して無意識に疎遠となって行った。
つづく