紀州を出た由井正雪は、まず美濃國へ入り、青野ノヶ原を通る際に、一人の虚無僧と道連れとなった。これまで互いに体験した各地の珍しい話や、不思議な体験を披露し合ううちに、かなり打ち解ける仲になっていた。
二人は途中、広い原中に出た時、ここらで休憩をと言う事になり、まず、民部之助が松の根方に在る大きな石に座る。虚無僧も、何処ぞに適当な腰掛けに成る物を探すが、なかなか見当たらない。
すると、松の下枝、枝廻りが二尺はあろうかと言う物を片手で悠々とへし曲げて、それに腰掛けたのである。これには、流石の正雪も驚いた。
私は、由井民部之助正雪と申す武芸者で、諸国を武者修行で巡る途中であるが、もし都合が悪くなければ、そなたは?と、虚無僧の人並みならぬ怪力を観て問いかける。
すると虚無僧、答えて、私は別木平之進と申します。父は別木喜右衛門と申す大坂方の残党なれば、江戸市中に隠れて住んでいました。
ところが、若州小濱の城主・酒井讃岐守の裏切りにあい、無実の罪で斬首とされてしまいました。その時、私はまだ六歳。
そして、このような虚無僧の姿に身をやつし、讃岐守に対して、父の恨み!一太刀なりとも浴びせ仇を討たん!とは、思いますが、相手は今は老中。なかなか、仇討ちとはいきません。
そんな中、江戸は芝増上寺において、徳川家の法要、一萬部読経の執行があり、酒井讃岐守と松平伊豆守の二人以外は男子禁制。
女人のみが参詣を許されると言うので、私は婦人の姿に身を変えて参詣の列に紛れ込み、讃岐守に太刀を浴びせる機会を伺っていました。
すると、鐘を突くにあたり、一番鐘が酒井讃岐守、二番鐘が松平伊豆守だと分かり、その鐘突き堂の、出来るだけ近くで、襲撃の機会を狙っていたら。。。
突然、伊豆守が配下に下知を飛ばしたのです。「この中に、女人に紛れた謀反人がある!!皆の者、一人ずつ、面体を改めい!!」と。
それで、ここで捕まったら百年目!!
増上寺の全ての門は閉められ、探索が始まりましたが、私は何とか塀を飛び越えて逃げるのに成功しました。
しかし、もう江戸には居られないので、虚無僧として、正雪同様に諸国を武者修行しておるのですと、言って落涙する平之進であった。
この後、二人は木刀にて勝負をして、勝った正雪が師となり敗れた平之進が門弟となった。二人は深い契りを交わした。
そして、三日旅して尾州に掛かった所で二人は分かれ、正雪は木曽路を抜けて奥州を目指し、一方の平之進は、若狭、山陰と抜けて西を目指した。
別れ際に、正雪から平之進は必ずお前の仇討ちを本懐遂げさせる、よって、また江戸表で逢おう!と声を掛けられ、平之進も、
江戸には剣術なら柳生但馬守、槍術ならば阿部十四郎、また軍学馬弓ならば北条安房守。そして兵法家、楠木流の軍学の達人、楠不傳が居ますが、
貴方様は、此れらと比べても、どの分野でも引けは取らない技量が在りなさる。大いに奥州の地でも、その名を轟かせて下さい。
つづく