三遊亭圓朝が、三題噺としてこさえたと言われるこのお噺。題は「鉄砲」「卵酒」「護符」からとも、「熊の膏薬」「卵酒」「護符」とも言われておりますが、
どちらに致しましても、この噺は、四代目橘家圓喬と言う名人がトドメを刺していて、この名人の前に落語で、申し上げても、考える工夫が愚の骨頂と言われかねないので、
今回は、正攻法の落語ではなく、釈の香りの文語調・七五調子のいい立て・修羅場と、同じく道中付けを駆使しながら、この話を、本寸法に料理してみたいと思います。
昭和の名人たちが、天才!名人!と口々にその伝説を語る圓喬は、芸は確か何んだが、芸人のくせに愛想が無いと、寄席に客が溢れ返るような人気者では無かったそうです。
しかし、それがまた、この橘家圓喬と言う咄家の魅力で、芸一筋で客に媚びないのが、同業者や玄人には受けたに違いない。
特に、この師匠が演じる月乃戸花魁・お熊の、旅人が胴巻から出入れする銭を見た瞬間の目付がモノ凄かったと、そう口々に語る昭和の名人たち。
現役の演者も、このお熊が演じられないと、後半の筏での逃走劇に迫力と、リアリティーが生まれて来ません。
やろうとする咄家は、現役にも少なくないと思いますが、私が想像するお熊の目には、なかなか出逢う事はありませんし、
個人的には、小満ん師匠、志らく師匠、そして三三師匠のものが好みなんですが、おそらく圓喬のモノは、そんな次元を遥かに超えた所にある芸なんだろう?と、想像します。
一方、鰍沢といえば身延山、法華の身延詣が話の発端なのですが、身延にお詣りする順番は決まっていたもので、青柳の昌福寺(しょうふくじ)へお詣りをして、
それから小室山で毒消しの護符を受け、法論石(ほうろんせき)へお詣りをして、いったん鰍沢へ出て、ご本山・身延山久遠寺へお詣りをするという順路です。
六代目圓生の音源などでも、このお詣りの順路について、話の冒頭で触れて、主人公の旅人が、法論石から鰍沢へ出る道中で、道に迷っている事を、それとなく匂わせております。
江戸時代、熱心な法華は江戸から一生に一度はこのルートでお詣りしたい!と、願ったそうで、その為に講を興して集団でのお詣りが行われます。
その講が、現在にも残り、法華経を支えているのだから、法華経・日蓮宗と身延山の結び付きの強さを感じさせられます。
さて、今回はそんな『鰍澤』を、私らしい演出でお届け致します。