思わぬ展開だった。


銀南は、ここ大宮で軍資金と評判を手に入れて、江戸へと凱旋する青写真を描いていたのだが、その効果が大き過ぎたのである。

銀南自身は、軽い気持ちで。。。いや、死神に苦しんでいる人を、呪文で助けられるなら、正義だと思うし、何より報酬と評判が欲しかった。


欲しかった評判と、そして報酬も手に入ったが、人の命を奇跡的に続けて二つも救うと、自身が神様だ!と祀られてしまうとは思わなんだ。。。短期にやり過ぎた!と、結果を出した後で、後悔した。

しかし、もう、賽は投げられた。坂道を転がる石のように、銀南が止まりたくても、もう止める事は出来なかった。


徳兵衛「銀南さん!!大宮の氷川神社のやつらが、こっちに勝負を挑んで来ました!!いい、機会です、はっきり、白黒付けてやりましょう!!」

銀南「今度は、何が起きたんですか?」


銀南は、知らなかった、大宮と浦和が、こんなにも長きに渡り反目し合っていたとは。浦和の人は、常々、氷川神社を上げては、自慢する上から目線の大宮の人々を快くは思っていなかった。

それが、900年近く続いていたのだ!!そこへ、救世主の如く、銀南が現れて、浦和のナンバーワン!地主徳兵衛の命を救ったのだ。


千載一遇


氷川神社に対抗して、新たに浦和の象徴!!銀南神社を立ち上げた。氷川神社の主祭神にはスサノヲが祀られている、それに対して、なぜ?!私が。。。そう思う銀南だった。


徳兵衛「何が有った?!聞いてないんですか?お上からのお達しで、将軍様のご病気を、銀南先生に治して欲しいと、ご命が下ったんです。

そこへ。。。大宮の奴らから横槍が入って、氷川神社を通して古河のお殿様に進言がなされたんだそうです。

そして、将軍様の病を治す役目を、銀南先生に一任ではなく、大宮側が推挙する古河のお殿様の御典医、堂庵との治療勝負となりました!!」

銀南「治療勝負?病を治すのは武術とは違いますよ!勝負だなんて。。。私は反対です!」

徳兵衛「貴方が受けないと、浦和が大宮に負けた事になり、私の立場が無くなります。この勝負、是が非でも受けて、貴方には勝って貰わないと!!」


もう、銀南に選択する余地は有りませんでした。銀南神社が出来る際に、主祭神に祀られるのを断れなかった事を、今更ながら後悔したがもう!後の祭り。

ここで、病の将軍様というのは、幼くして即位した七代将軍徳川家継。この時、肺炎を患って床に伏していました。


銀南「おっかぁー今帰った。大変な事になったぞ!明日から暫くは江戸へ行く事になる。」

お崎「エッ?王子稲荷で、神社の神様の寄合かい?お稲荷さんは、関係ないから、新井薬師かねぇー?」

銀南「俺はまだ、ピンピンしてるから、神様の寄合があっても、まだ呼ばれたりしないさ!そうじゃなくて、かくかくしかじか。。。」

お崎「あんた!将軍様の脈を取るのかい!!おめでとう!なら、お耳は二十歳!」

銀南「?」


銀南「おめでたいもんか!?ここ、大宮の近在近郊で、患っている人を治すつもりだったんだ!!

まぁ、百歩譲って行く行くは、医師としての名声が天下に轟き、将軍様や天子様の脈が取れればと、夢に描いた事もあったが。。。

早すぎるだろう!!だった二人だぞ!!奇跡的な回復で生還させたのは。言い換えるなら、たった二人!!それを神だなんだと。。。

また、戦う相手は、日の本一の名医・堂庵先生と来たもんだ!!勝つとか、勝負する以前の問題だ!!」

お崎「何を戦う前から弱気に成ってるんだい!!この人は。幇間で、明日の暮らしどけろか?!今現在に窮していたんじゃないかい!!

今のあんたなら、何んとか成る。いや、何んとかして、私と銀太郎をビックリさせてくれますよ!!」

『何んて、楽天家なんだ!!』と、お崎の言動にイラっ!とした銀南だったが、そんな太い神経で性善説なお崎の料簡に、これまで、何度も助けられた。


銀南は、江戸は千代田の城に居た。見た事もない数の武士に取り囲まれて、控え室で待たされる事、二刻・四時間!!

もう、どうでも好きにしてくれ!!と、半ば諦めていると声が掛かり、長い廊下を通されて、将軍様の在わす部屋へ、案内された。


枕元だ!!


銀南は、先に室内に居た大先輩医師である古河藩お抱えの堂庵に、丁寧なおじぎをし、慇懃に受け取られない配慮を十分にして、

先に、堂庵が気の済むまま、将軍の診察をさせた。その堂庵に、促されて、ゆっくりと、幼い将軍に近づいて、脈を取り、難しい表情を作り、銀南の方から堂庵に話掛けた。


銀南「先生、私は正直に申し上げますが、今の将軍様を、お助けする医術を持ち合わせておりません。

ですから、お薬を出すとか、無用なあがきを、この後、見せるつもりは、御座いません。」


堂庵は、銀南のあまりに早い敗北宣言に、やや狼狽した。しかし、そこは、この道三十年の大ベテランである。

若い銀南が、あまりに恐れ多い舞台に、自ら退散したと勘違いをして、勝ち誇ったように、上から自分の見立てを述べ、一月の内に自分なら治して見せる!と、宣言してしまった。


この結果を知り、大宮・氷川神社派と、古河藩は、歓喜した。浦和の田舎モンが!銀南神社などとは、百年早い!!そう、口々に罵り、浦和の徳兵衛一派は窮地だった。

直ぐに、建立したばかりの銀南神社は廃止となり、銀南親子は大宮の叔母の家にも居られなくなった。

現金な昨日までは神と崇めていたのに。。。銀南親子は、大宮に敗れたと浦和からは嫌われて、大宮からは、裏切り者と罵られた。


お崎「どうすんだい?!村八分だよ!いや、この嫌われ様は、十分かもしれない!!」

銀南「そんな事を言ったって、枕元は駄目なんだ。あの将軍様は、寿命だ。次期に台が変わる。死るのは時間の問題だ!

それより、助けると大見栄切った堂庵先生は、どうなさるおつもりだろう?」


間もなく銀南の見立ては的中した。堂庵と銀南の見立て勝負から10日後に、七代将軍家継は身罷ったのである、享年8歳。

側近の新井白石と間部詮房は激怒した。命は助かる!と見立てた堂庵は、即日、切腹!お家は断絶となり、古河藩も三万石を領地召し上げられる。

更に、その余波で氷川神社にも、古河藩ならの寄進が半分に減らされた。そして、この噂はたちまちに、大宮・浦和に留まらず、江戸中へと広まったのである。


江戸の各藩からは、典医として銀南を迎えたいと言う申し出が殺到した。更に大宮の診療所は、引っ切り無しの賑わいで、寝た切り患者への往診の申し出も度々だった。

銀南が治る!と、胸を叩いた患者は死の淵から蘇り、これは寿命ですよと引導を渡した患者の家族は、限られた別れの時間を大切にした。

こうなると、もう、銀南は徳兵衛たちに神社に祀られていた時よりも、輪をかけて神のような存在になっていた。


子供の名前を付けてくれ!名付け親にと恋われたり、争いの仲裁を願われたり、ある時は悪党が悔ひ改めに来たりもした。

それだけではなく、銀南の弟子になりたい!それがダメなら近くで働きたい!と、願い出る若者も数知れず、だった。


ある日、そんな銀南の元に、代代わりしたばかりの幕府から使者がやって来た。それは、八代将軍徳川吉宗の懐刀、大岡越前守からであった。

使者「銀南先生の診療所は、こちらですか!?」

下男「はい!暫く、こちらでお待ち下さい。銀南先生!江戸、南町奉行所より、遣いの方がお見えです。」

銀南「これはこれは、こんな田舎へ、ようこそお越し下さいました。で、御用の向きは何んでしょう?」

使者「私は、江戸南町奉行、大岡忠相の遣いで参りました。南町与力・橘市之丞と申します。これは幕府老中筋よりのお沙汰に御座います。どうか、銀南先生に御目通りを。」



と、書かれた書面を渡された銀南。中身を読んでみると、江戸の小石川に、幕府公認の診療所が新たに開設されると書かれていた。

江戸南町奉行、大岡越前守忠相がその監督の任に着き、そして、その初代所長を銀南に引き受けて欲しいと書かれていた。



つづく