政五郎「若旦那!トクさん、何て事をしてくれるんです。もうちょっとで、大惨事になっていましたよ。

後ろから、あっしが付いていたから、貴方(あんた)が大川へ落とした母親と赤ん坊を直ぐに助けられましたけど、一つ間違うと二人揃って今頃お通夜ですよ!

何時も、口を酸っぱくして言ってるじゃないですか?自信が無かったり、二進も三進も行かない時は、無理しないで漕ぐのは辞めて、助けを呼べと、教えてあるじゃないですか?」

徳三郎「親方には、僕の気持ちなんて、分からないさぁ。あの時、橋の上を芸者が通るのが見えたんだ!!

マチルダさんかも?!と、思ったら、竿に余計な力が入っちゃって、船をひっくり返しちまって。。。そしたら、あんな事になちゃって。

僕、あんまり泳ぎは得意じゃないし、突然、あんな事になるし、気が動転して。。。だから、あれは芸者がいけないんだ、そう!悪いのは、芸者なんだ!」


流石に、政五郎、若旦那トクの言い訳に怒り心頭に発して、平手で二回。所謂、往復ビンタを喰らわしました。


パンパン


徳三郎「二、二度も殴ったなぁ、父さんにもぶたれた事ないのに!!」

政五郎「それが甘ったれなんだ!!殴られもせずに一人前になった奴がどこにいるものか!!」

徳三郎「もうやらないからな。誰が二度とチョキ舟なんかに乗ってやるものか!!」

女将「トクさん、いいかげんにしなさいよ。しっかりしてよ!情けないこと言わないで、トクさん、あっお前さん!何処へ?」

政五郎「オイラは、桟橋に行く客を待たしてあるからなぁ。

若旦那!あんたは、そんな料簡で舟動かしてたら、ただの虫ケラだ!

それだけの素質があれば、あんたはこの屋の花形船頭に、ゆくゆくはなる奴だと思っていた。残念だよ、トクさん!」

徳三郎「花形船頭?!、親方!、親方!ブライトさん!」



そんな一件もあり、徳三郎は、客を乗せて舟を扱う仕事はさせて貰えず、一人でチョキ舟を漕いで、舟宿から大桟橋を往復する自主練の毎日でした。

そんな中、舟宿がいよいよ四万六千日様のお客様で、掻き入れ時の最盛期を迎えたある日の事でした。



客A「暑いね。上からは勿論だけど、地ビタからの照り返しがたまらなく暑い。」

客B「私は、貴方と違ってこのコウモリを差していますから、幾分ましです。それに、この灼熱の中をお詣りするから、ご利益があるってもんだ。

それにねぇ、参詣後に頂く、冷やしたお酒の味が一段と美味しくなるんじゃないですかぁ、この暑さで。もう少しですから、頑張りましょう。」

客A「もう少しだなんて、貴方は言いますが、まだあの橋を渡って、何丁も土手を柳添いに歩くんですよ。軽く半刻は掛かりますよ。」

客B「そんな事を言っても、歩くしかないじゃないの!、さっき駕籠屋へ、二軒寄ってみたが、駕籠は全部出払っていて無いんですから。」

客A「それが、ほらあそこ!あの舟宿の前にチョキ舟が一艘舫ってあるでしょう?あの舟宿は、私が常得意なんですよ。

あそこから、舟を仕立て大桟橋まで行きましょうよ。あの舟で大川を斜めに突っ切れば、四万六千日様まですぐです。

川は地ビタと違って涼しい風が抜けているし、こんな照り返しもありませんから、手間賃・酒手は私が出すんで、舟にしましょう?」

客B「嫌です。私は舟ダメなんです。揺れると酔うから乗りません。それに、万一、何かあると泳げませんから遠慮します。」

客A「何を言ってるんです、大川をチョキ舟で渡るだけですよ、揺れませんって。私が請け負うから、ササッ、舟宿へ、行きましょう!行きましょう!」

客B「強引だなぁ、分かりました!分かりました、行きますよ。」


客A「こんにちは。女将!居るかい?」

女将「アラ?旦那、お久しぶりですね、今日は?四万六千日様のご参詣ですか?」

客A「そうなんだよ、友だちと二人で両国からここまで歩いて来たんだが、駕籠屋がどこも出払っててねぇ。

まだ、あと半刻は歩くようだから、駕籠は諦めて舟にしようって話になって、女将ん所に寄ったって訳なんですよ。大桟橋まで、チョキでやってくれないかい?」

女将「あらそうでしたかぁ、でも、せっかく寄って下さったのに、あいにく舟も船頭もみんな出払っていて、

うちの人まで出ている始末なんですよぉ。折角なんで、冷たいお茶をお持ちしますから、休憩だけして行って下さいなぁ。」

客A「おいおい、女将!俺たち、そこの船着場の前を通って来たんだよ。チョキが一艘舫ってあるじゃないか?あれで、大桟橋まで行ってくれよ?酒手は弾むから。」

女将「舟は在りますが、肝心の船頭が居ないんですよ、旦那ぁ。」

客A「船頭が居ないって、あの柱にゆっかかって、昼寝して舟漕いでいるのは、何なんだい?

蜃気楼じゃないよね?まぁ、蜃気楼や桃月庵というよりも、隅田川って風態だけど。

アレは、船頭じゃないのかい?ナリは船頭のナリしてんじゃない。」

女将「あれって、トクさん!!アレは駄目です。あの人は。。。お客さんはちょっと。。。旦那の身に何かあると、いけないので。。。」

客A「何だ、やっぱり船頭じゃねぇかぁ。女将、大桟橋までていいんだから、行って帰えるだけなんだかは、四半刻だ。俺があの若衆に直接頼んでみるから。

おい!若衆、頼む。酒手は弾むから、外のチョキ舟で、俺たち二人を、大桟橋までやってくれ?!頼む。」

徳三郎「はぁ〜、何ですか?ムニャムニャ、エッ、もしかして、お客様?!、大桟橋までチョキで?私がお客様をですか?


ハイ!アムロ、行きま〜す。」


女将「『アムロ、行きま〜す。』じゃありませんよ、若旦那。私が親方に叱られます。止めてください。

それに、ついこないだじゃないですか?赤ん坊と母親を舟から落としたの。だから、止めてください!」

客B「もう、歩いて行こう?縁起でも無い事を言ったよ、女将が。赤ん坊と母親を落としたって。洒落になんないよぉー。

俺、泳げないし、長寿の願掛けしに四万六千日様へ行く途中で、チョキ舟から落とされて死ぬのは、俺はイヤ!乗るなら、君一人で乗って。」

客A「おいおい、ワザと言ってんだよ女将は。舟宿の玄人が客を落とすかよ。しかも赤ん坊を。あの若衆には、先約の貰いが掛かってんだよ。

だから、休憩して何処かへ迎えに出なきゃいけないんで、芝居してんだよぉ、女将は。

俺の勘だけど、おそらくあの若衆は花形、看板船頭に違げぇねぇよ。」

客B「本当か?色は白いし、えらく華奢だぞ?なんか隅田川馬石って感じで、たよんないけどなぁー」

客A「能ある鷹は爪を隠す、人は見かけによらぬものよ。なぁ!若衆。そうだよなぁ?!」

徳三郎「へぃ。バレちゃぁー仕方ねぇ。アォアォアォー!


知らざぁー言って聞かせやしょう。


浜の真砂と、五右衛門が、

歌に残した船頭の、

種は尽きねぇ、大桟橋。

その白波の、昼働き、

以前を言ゞやぁ、鍛冶屋町。

三つ四つで、読み書きソロバン、

十で論語を読み始め、

末は博士か大臣か、

神田の神童とあだ名さる。

やがて二十歳のとある日に、

源兵衛・多助に誘われて、

毎夜、毎夜の明烏。

色香に溺れて、晋代の、

穀を潰して百、二百。

挙句にオヤジに縁切られ、

流れ着いたる舟宿の、

花形船頭、たぁー俺がことだ!!」


女将「トクさん!何を音羽屋気取りの科白タレてんですか?駄目ですよ、お客を乗せちゃ、親方にも止められてんですから?」

徳三郎「大丈夫ですって、あれから毎日朝練・昼練・夕練と舟を操る技量は、間違いなく格段に上がってますから。

もう舟をひっくり返すような事はありませんから。それに、今日は腕が鳴るんです。」


ビュンビュン


客A「二人でブツブツ、クッ喋ってないで、舟出してくれ。女将、若衆も頼んだぜ!」


半ば強引に客に押し切られるかたちで、女将はトクさんを船頭として、客二人を乗せ大桟橋まで向かわせる事になりました。



つづく