Twitterで立川志らくさんが、『粋』に付いて呟いていました。咄家らしい視点の『粋』に対する思いが、垣間見る事ができます。
・蕎麦を手繰る音。
・宵越しの金を持たない散財。
・廻しに女郎が来なくても、黙って文句は言わない。
・天ぷら屋で、いきなり「大将!穴子」何て野暮は言わない。
・出世して棟梁に成ろうなんて料簡は持たない。
・体制側が嫌いで、基本的に判官贔屓。
田舎から出て来た奴を、江戸っ子は、野暮と呼んで当たり前の様に差別します。自身が地方の生まれでもお構い無しです。
道灌公の時代から江戸に住んでいたかのように、たった一年・半年の江戸暮らしなのに、江戸っ子は自分の都合で差別する者なのです。
しかし、
一度、腹を割って理解し合うと、昨日まで差別していた江戸っ子が、そんな田舎者に、親切にし出し、やがて差別されていた田舎野郎が、いつのまにか、差別する側に回るのです。
実に、日本人らしいというのかぁ、江戸っ子気質です。そんな機微が落語には、沢山登場しますよね、いちいちネタを引用はしませんが、
『三方一両損』はそんな江戸っ子気質が一番詰まった落語であり、ここに登場する吉公と金公の二人は、江戸っ子の見本的な存在です。
一方で、見栄っ張りな部分、異常なまでの痩せ我慢も江戸っ子の特徴だと思います。落語でいうと『強情灸』の世界ですね。
第三者から見ると見栄だったり、痩せ我慢にしか見えないモノであっても、江戸っ子はある種のプライドだと信じているんだと思います。
ここで、見栄や痩せ我慢は、江戸っ子に限らず、海外の民族や人種の特徴として持っている外国人も存在すると思いますが、江戸っ子/日本人のと言っても良いかと思うのは、
単に、見栄っ張りで痩せ我慢なだけでなく、プライドが加わっている点ですよね、その特質すべきは。
武士は食わねど、高楊枝。
これも、江戸っ子ではないが、日本人気質を感じさせると私は思います。さて、そんな日本人のプライドって何だと思いますか?
私は、諸外国には無く、日本人にしか通じない、所謂、浪花節的な気質、そう!『義』の精神だと思うんです。
お金よりも大切なものぐらいは、諸外国にも存在すると思うのですが、命よりも大切なものを何気に持っているのは、日本人ぐらいだと思います。
『義』為に、命を捧げられるか?!
2011年、東日本大震災の福島第二原発で、あの原発をバカな民主党政権に翻弄されながらも、一人も逃げ出す従業員もなく、
まさに、命懸けで原子炉の停止を遂行した、皆さんは、正にプライドの塊。義に生きる日本人らしいエピソードだと思います。
あれが、よその国の出来事だったら?まず、どんな民族も、我先に逃げると思いますよ。あの原発の所長の人柄も在ったとは思いますが、
所長に、死んでくれるか?とは言われないにしても、お前たちはもういい、先に避難しなさいと言われたにも関わらず、
それを推して原発に止まり、炉心を守った皆さんは、正に日本人気質だと思います。
そして、これとは対照的に思い出されるのが、韓国のセウォル号?の沈没事故ですよ。最低の船長でした。福島原発の所長の爪の垢が必要です。
日本人だと、まず考えられませんよね、沈没する船を残して、我先に逃げるなんて?!『義』とか言う以前ですが、
単に、責任感という次元ではなく、『義』というものに対する意識、価値の違いなのか?ただ、聖書にもアブラハムは、神へのお供物が無いので、我が子・イサクをヤギの代わりに差し出しています。
おそらく、二千年くらい昔は、支配者に我が子の命を差し出すくらいの『義』は、普通に人間は持ち合わせていたんでしょうね、聖書に書いてあるんだから。
その『義』への拘りが、日本人気質を生み、それが、伝統芸能・古典の精神に生きているから、落語や講釈は魅力的な娯楽なんだと思います。日本人の琴線に触れる。
あと、もう一つ思うのが、「死ねば仏」という考え方。落語『らくだ』で屑やが、半次に言いますよね、どんな悪人だって死ねば仏。
この思想も実に日本人らしいと思うし、死んだ後まで故人の悪口は言わないのが、日本人気質を感じる良い精神だと私は思います。
こういう考え、精神って諸外国ではききませんよね、お国為にと戦って死んだ人に、戦犯もくそも無い!靖国を参拝して何が悪い!と、私も思います。
鼠小僧や石川五右衛門の墓はどうなんだ!!死ねば、吉良も浪士もないのが日本人気質だと思いませんか?!
ラグビーのノーサイド、みたいには行かないのかな?