らくごカフェのこの会も、一日2回公演で16回目なんだそうです。春・三月と秋・九月に開催されております。
今年もこの季節になりました。春一番の様な強く生暖かい風が吹き荒れた神保町。お隣の九段下の靖國神社では、ソメイヨシノの開花が観測された!!
そんなお彼岸の落語会「宗助・吉坊二人会/昼の部」こんな内容でした。
・トーク
・厄払い…吉坊
・住吉駕籠…宗助
お仲入り
・天王寺詣り…吉坊
お囃子…恩田えり
1.トーク
上方には、真打制度が無いから、口上付きの落語会は、基本的に襲名披露になると言う話題からトークが始まりました。
宗助さんは、「ざこば襲名披露」が初めて生で見た襲名披露だったそうで、口上以外にも、各界からの著名人が、襲名のお祝いを持って、
一言、ざこば師匠に、お祝いの言葉を直接語り掛けると言う、そんな儀式が「ざこば襲名」の大阪興行では在ったそうなんです。
宗助さんが一番印象に残ったのは、このお祝いの席での京唄子師匠。そのスイッチの切り替えが、流石、女優さん!と関心させられたそうです。
舞台袖で出演者やマネージャーとケラケラ笑いながら談笑していたのが、自分の挨拶の番になると、
いきなり号泣して「朝丸チャン!ほんまにおめでとう!!」と、声を震わせながら手を握り締めたそうです。
一方、吉坊さんは、松竹の中座で開催された「小春團治襲名披露」。米朝事務所に所属しているから、松竹の小屋の楽屋は初めてで、
あの有名な藤山寛美先生が、窓から雨に向かって「わいが、藤山寛美や!」と、恨めしそうに声掛けたと言う伝説の楽屋に、少し感動したと言っておられました。
この後、お約束の小米朝の米團治いじりになりましたが、ここに書けない内容なので、省略します。繁昌亭のこけら落としの話は何度聞いても大爆笑です。
また、「いつごろから襲名で揉めるようになったのか?!」も語られましたが、これもSNSでは差し障りがあるので、割愛します。
2.厄払い/吉坊
東京でもたまに聞く噺ですが、東京の咄家さんは、この厄払いが実は節分に行われていた行事で、節分に年を改めていた時代の噺だとは、説明しません。
暮れの噺にして、しかも、主人公は与太郎で演じます。短い噺ですし、暮れの寄席でやる場合は特に、節分の解説をマクラで話す時間もないし仕方ないのは理解します。
そんな『厄払い』について、節分からマクラで説明する吉坊さんでした。そして、節分と言えば今旬な話題の「恵方巻」についても触れました。
関西では、「恵方巻」が当たり前に昔から行われていたかのようにコンビニやスーパーは宣伝しているが、家庭によってやったりやらなかったり。明らかにマイナーなイベント。
ちなみに吉坊さんの家はやっていたそうです。それでも「恵方巻」は海苔屋の陰謀か?コンビニの計略なのか?こんなにメジャーな行事ではない。
更に、近年は便乗して、恵方巻スイーツとかまで登場しているし、恵方巻は元来素朴な精進モノの海苔巻やのに、海鮮恵方巻!肉入り恵方巻!挙句に一口サイズの恵方巻!まで。
そんな「こんな、恵方巻は嫌だ!なマクラを挟みつつ、本編の『厄払い』へ。
なかなか、地味な噺で、吉坊さんかやっても、元来、爆笑になる噺ではありません。帰ってから米朝師匠の音源を聴いたら、
この日の吉坊さんが、この米朝師の『厄払い』を忠実に伝承されているのが、再認識されました。
江戸では、厄払いと言うと芝居の「三人吉三」で、大川端、お嬢吉三が夜鷹のおとせを川へ放り込んでね、
カ~ッと!!見得を切りますなぁ、ボ~ンと鐘が入って「月も朧に白魚の、篝も霞む春の空……」
こんなのを、きっちり決めてくれるのが、吉坊さんらしいと思います。師匠の吉朝さん譲りの芸だと思います。
3.住吉駕籠/宗助
出囃子が百栄師匠の「月の巻」でした。そして、この三味線の間と言うか溜の感じでえりチャンがお囃子さんかな?と、思いました。
マクラでは、タクシーの話を振りながら、その関連で江戸時代のタクシー的存在の駕籠について触れて、オチに関係する雲助の説明を軽くやってから本編に入りました。
まず、最初に登場する茶店のオヤジのキャラクターがいい。真前の雲助に駕籠を薦められて切れる展開は、東京の『蜘蛛駕籠』と同じですが、
茶店のオヤジが雲助に切れて怒鳴る啖呵が、てなもんや三度笠のあん掛の時次郎みたいで、あの有名な「口ん中に、手ぇー突っ込んで奥歯ガタガタいわすぞ!!」的な啖呵を切ります。
「ボ~ッとしてたら、いっぺんそのド頭ニュ~ッと胴にエ込まして、へその穴から世間覗かしたろか?!」
「頭と足と糞結びに結んで、口からケツの穴に青竹通して裏表こんがり火ぃであぶって、人間の焼きもんこしらえたろか?!」
「まごまごしてけつかったら踏み殺すぞ!!」
この啖呵は、40年前に聞いた枝雀さんも言ってましたから、『住吉駕籠』の定番なんやと思いますが、ここを聴くと咄家さんの技量が分かります。
宗助さんの茶店のオヤジは、なかなか迫力があり切れた啖呵で、新米雲助がビビり捲りでした。
この後、姫の駕籠の行方を聞きに来る侍を挟んで、この噺のメインと呼んでも差し支えない、酔っ払いの登場です。
少しだけ、『風邪うどん』の酔っ払いに似てる感じですが、こちらの酔っ払いは、やや行儀が悪くて、ゲロを吐いてしまいます。
ここもなんですよね、芸人の技量が問われるの。下手が調子こいてやると、客はドン引になりますからね、下手すると。
勿論、宗助さんはちゃんと笑いに変えて、最後の二人乗りの客に繋いで、最後は、『蜘蛛駕籠』と同じ下げになります。
4.天王寺詣り/吉坊
この噺を生で聴くのは、マジで40年ぶりくらいかもしれません。勿論、音源では聴くんですが、上方から来た咄家さんも、あんまり江戸ではやりません。
と、言うのがこの噺の舞台、四天王寺とその界隈を知らない土地でやって、どんだけ伝わるんですか?みたいな噺なんです。
生は、先代文枝師匠と枝雀さんしか聞いてないです。先代文枝師匠が、得意ネタだったから文枝一門の弟子は存命中はやらなかったネタです。
なんばや通天閣にも近い四天王寺さん。お彼岸とお盆は、物凄い参詣の人で賑わいます。昔はなんばの入江があり、四天王寺の側まで船で行けたんやそうです。
近くに茶臼山があり、四天王寺には五重の塔が在るから、これらが大阪の海の玄関のランドマークだった時代のお噺なんです。
四天王寺には、日本三大鳥居の一つと言われる石の鳥居があります。残り二つは、安芸の宮島・厳島神社の鳥居と、奈良は吉野、金峯山寺の鳥居です。
四天王寺の鳥居は、お彼岸の中日に、その真ん中を通って夕日が沈むと言われていて、鳥居の前で極楽浄土へ沈む夕日を拝みます。
ちょっと面白いですよね、ご来光ではなく沈む夕日を拝むというのは。まぁ、西の空に沈むから極楽浄土の方角ではあります。ちなみに、私はこの光景を見た事はありません。
さて、お噺は、ちょっと与太郎がかったお調子モンが、賢者の友人から薦められて、犬と父親の供養に、天王寺詣りに出掛ける珍道中物語です。
そんなに笑いが豊富にある噺ではないのですが、吉坊さんは巧みに、四天王寺の様子・風景を入れて客席が飽きないように噺を進めました。味のある吉坊さんの『天王寺詣り』でした。
今年もこの季節になりました。春一番の様な強く生暖かい風が吹き荒れた神保町。お隣の九段下の靖國神社では、ソメイヨシノの開花が観測された!!
そんなお彼岸の落語会「宗助・吉坊二人会/昼の部」こんな内容でした。
・トーク
・厄払い…吉坊
・住吉駕籠…宗助
お仲入り
・天王寺詣り…吉坊
お囃子…恩田えり
1.トーク
上方には、真打制度が無いから、口上付きの落語会は、基本的に襲名披露になると言う話題からトークが始まりました。
宗助さんは、「ざこば襲名披露」が初めて生で見た襲名披露だったそうで、口上以外にも、各界からの著名人が、襲名のお祝いを持って、
一言、ざこば師匠に、お祝いの言葉を直接語り掛けると言う、そんな儀式が「ざこば襲名」の大阪興行では在ったそうなんです。
宗助さんが一番印象に残ったのは、このお祝いの席での京唄子師匠。そのスイッチの切り替えが、流石、女優さん!と関心させられたそうです。
舞台袖で出演者やマネージャーとケラケラ笑いながら談笑していたのが、自分の挨拶の番になると、
いきなり号泣して「朝丸チャン!ほんまにおめでとう!!」と、声を震わせながら手を握り締めたそうです。
一方、吉坊さんは、松竹の中座で開催された「小春團治襲名披露」。米朝事務所に所属しているから、松竹の小屋の楽屋は初めてで、
あの有名な藤山寛美先生が、窓から雨に向かって「わいが、藤山寛美や!」と、恨めしそうに声掛けたと言う伝説の楽屋に、少し感動したと言っておられました。
この後、お約束の小米朝の米團治いじりになりましたが、ここに書けない内容なので、省略します。繁昌亭のこけら落としの話は何度聞いても大爆笑です。
また、「いつごろから襲名で揉めるようになったのか?!」も語られましたが、これもSNSでは差し障りがあるので、割愛します。
2.厄払い/吉坊
東京でもたまに聞く噺ですが、東京の咄家さんは、この厄払いが実は節分に行われていた行事で、節分に年を改めていた時代の噺だとは、説明しません。
暮れの噺にして、しかも、主人公は与太郎で演じます。短い噺ですし、暮れの寄席でやる場合は特に、節分の解説をマクラで話す時間もないし仕方ないのは理解します。
そんな『厄払い』について、節分からマクラで説明する吉坊さんでした。そして、節分と言えば今旬な話題の「恵方巻」についても触れました。
関西では、「恵方巻」が当たり前に昔から行われていたかのようにコンビニやスーパーは宣伝しているが、家庭によってやったりやらなかったり。明らかにマイナーなイベント。
ちなみに吉坊さんの家はやっていたそうです。それでも「恵方巻」は海苔屋の陰謀か?コンビニの計略なのか?こんなにメジャーな行事ではない。
更に、近年は便乗して、恵方巻スイーツとかまで登場しているし、恵方巻は元来素朴な精進モノの海苔巻やのに、海鮮恵方巻!肉入り恵方巻!挙句に一口サイズの恵方巻!まで。
そんな「こんな、恵方巻は嫌だ!なマクラを挟みつつ、本編の『厄払い』へ。
なかなか、地味な噺で、吉坊さんかやっても、元来、爆笑になる噺ではありません。帰ってから米朝師匠の音源を聴いたら、
この日の吉坊さんが、この米朝師の『厄払い』を忠実に伝承されているのが、再認識されました。
江戸では、厄払いと言うと芝居の「三人吉三」で、大川端、お嬢吉三が夜鷹のおとせを川へ放り込んでね、
カ~ッと!!見得を切りますなぁ、ボ~ンと鐘が入って「月も朧に白魚の、篝も霞む春の空……」
こんなのを、きっちり決めてくれるのが、吉坊さんらしいと思います。師匠の吉朝さん譲りの芸だと思います。
3.住吉駕籠/宗助
出囃子が百栄師匠の「月の巻」でした。そして、この三味線の間と言うか溜の感じでえりチャンがお囃子さんかな?と、思いました。
マクラでは、タクシーの話を振りながら、その関連で江戸時代のタクシー的存在の駕籠について触れて、オチに関係する雲助の説明を軽くやってから本編に入りました。
まず、最初に登場する茶店のオヤジのキャラクターがいい。真前の雲助に駕籠を薦められて切れる展開は、東京の『蜘蛛駕籠』と同じですが、
茶店のオヤジが雲助に切れて怒鳴る啖呵が、てなもんや三度笠のあん掛の時次郎みたいで、あの有名な「口ん中に、手ぇー突っ込んで奥歯ガタガタいわすぞ!!」的な啖呵を切ります。
「ボ~ッとしてたら、いっぺんそのド頭ニュ~ッと胴にエ込まして、へその穴から世間覗かしたろか?!」
「頭と足と糞結びに結んで、口からケツの穴に青竹通して裏表こんがり火ぃであぶって、人間の焼きもんこしらえたろか?!」
「まごまごしてけつかったら踏み殺すぞ!!」
この啖呵は、40年前に聞いた枝雀さんも言ってましたから、『住吉駕籠』の定番なんやと思いますが、ここを聴くと咄家さんの技量が分かります。
宗助さんの茶店のオヤジは、なかなか迫力があり切れた啖呵で、新米雲助がビビり捲りでした。
この後、姫の駕籠の行方を聞きに来る侍を挟んで、この噺のメインと呼んでも差し支えない、酔っ払いの登場です。
少しだけ、『風邪うどん』の酔っ払いに似てる感じですが、こちらの酔っ払いは、やや行儀が悪くて、ゲロを吐いてしまいます。
ここもなんですよね、芸人の技量が問われるの。下手が調子こいてやると、客はドン引になりますからね、下手すると。
勿論、宗助さんはちゃんと笑いに変えて、最後の二人乗りの客に繋いで、最後は、『蜘蛛駕籠』と同じ下げになります。
4.天王寺詣り/吉坊
この噺を生で聴くのは、マジで40年ぶりくらいかもしれません。勿論、音源では聴くんですが、上方から来た咄家さんも、あんまり江戸ではやりません。
と、言うのがこの噺の舞台、四天王寺とその界隈を知らない土地でやって、どんだけ伝わるんですか?みたいな噺なんです。
生は、先代文枝師匠と枝雀さんしか聞いてないです。先代文枝師匠が、得意ネタだったから文枝一門の弟子は存命中はやらなかったネタです。
なんばや通天閣にも近い四天王寺さん。お彼岸とお盆は、物凄い参詣の人で賑わいます。昔はなんばの入江があり、四天王寺の側まで船で行けたんやそうです。
近くに茶臼山があり、四天王寺には五重の塔が在るから、これらが大阪の海の玄関のランドマークだった時代のお噺なんです。
四天王寺には、日本三大鳥居の一つと言われる石の鳥居があります。残り二つは、安芸の宮島・厳島神社の鳥居と、奈良は吉野、金峯山寺の鳥居です。
四天王寺の鳥居は、お彼岸の中日に、その真ん中を通って夕日が沈むと言われていて、鳥居の前で極楽浄土へ沈む夕日を拝みます。
ちょっと面白いですよね、ご来光ではなく沈む夕日を拝むというのは。まぁ、西の空に沈むから極楽浄土の方角ではあります。ちなみに、私はこの光景を見た事はありません。
さて、お噺は、ちょっと与太郎がかったお調子モンが、賢者の友人から薦められて、犬と父親の供養に、天王寺詣りに出掛ける珍道中物語です。
そんなに笑いが豊富にある噺ではないのですが、吉坊さんは巧みに、四天王寺の様子・風景を入れて客席が飽きないように噺を進めました。味のある吉坊さんの『天王寺詣り』でした。