久しぶりの落語会。早目に仕事を片付けてお江戸日本橋亭のある三越前へ。
16時ちょっと前に到着すると、前の昼開催の「長唄の会」が終わったばかりで、
お客様を送り出していた。赤い長椅子で待っていると、すぐに常連の知合いが。。。
17時過ぎに小満ん師匠と奥様が見えて、早目に開場となり、定位置に座り開演を待つ。
すると、小満ん師匠の奥様から、この日の演目にちなんで、ご常連に桜饅頭が振舞われました。

さて、そんな今年二回目の「小満んの会」、こんな内容でした。
・勉強 … 寿袢
・饅頭こわい … 小満ん
・帯久 … 小満ん
お仲入り
・鰍沢 … 小満ん
1.勉強/寿袢
三代目金馬のライブ音源がyoutubeにも残っている『勉強』と言う、金馬作の昭和初期の新作落語です。
元は、江戸で「清書無筆」、上方では「無筆の親」と言う古典の元ネタがあり、それを義務教育が始まった昭和初期に、金馬師匠によって改作されて、誕生した噺らしい。
金馬師匠のオリジナルのサゲは、後でも書きますが、「ダンサー募集」と言うもの。如何にも言葉の響きが、昭和らしいモダニズムである。
さて、寿袢さんも五月からは二つ目。二つ目用のネタとして、この『勉強』をわざわざ仕入れたのか?そうだとしたから、かなりの変わり者です。
『勉強』と言う話は、無筆の両親、特に職人の父親と、義務教育が定着し、小学校へ通い始めた息子の、ジェネレーション・ギャップを落語にしています。
尺は15分くらいの噺で、確かに被る心配の無い寄席サイズの噺ですが、ツク事を考えると、珍しい割には、ツキ易い。
途中のくすぐりは、金馬師匠の原作に忠実に演じていましたが、流石に「ダンサー募集」のサゲは、「ギター教室の生徒募集」に変えて演じておりました。
2.饅頭こわい/小満ん
マクラは、竹馬の友について語る小満ん師匠。それは、目白の小さん師匠と、落語協会の事務員の佐野さんの話。
私は、このマクラを三度くらいは聞いています。佐野さん、小さん師匠を「盛夫!」と呼び捨てにできる、小学校の同級生です。
この佐野さんの方が、落語に夢中な少年で、末は芸人に成ると固い決意を持っていたが、両親に大反対されて、成った職業が幇間。
芸人の成れの果てが幇間かと思っていましたが、芸人になるよりは、幇間の方がまだ、当時はマシだったのか?
ただ、佐野さんは、幇間一筋ではなく、意外とアッサリ足を洗って、サラリーマンに転職されたそうです。
転職先は日産化学と言う会社で、ユニホームのクリーニングを専門にやる部署で、クリーニング職人となり、クリーニングを極めるのです。
そして、脱サラし目白にクリーニング店をオープンさせると、近所に竹馬の友の盛夫が居る!ってんで、「盛夫!汚れた洗濯物は、全部俺が綺麗にしてやる!持って来い!」と、仕事を取りに行く。
すると、目白の師匠が訊いたそうです。「定吉!お前の腕は確かなのか?」と、すると、佐野定吉さんが答えた「あぁ!お前の落語よりは、俺のクリーニングの方が上手いヨ」ってネ。
そんな関係が続いて、佐野さんのクリーニング店は繁盛したが、70歳で佐野さん自身は引退して隠居となります。
その噂を聞いた小さん師匠、「お前、暇してんだろう?うちの協会で事務員やれよ!!」と薦めたのを受けて、佐野さんは二つ返事でこれを引き受けたのです。
さて、この佐野さんが事務員になって、落語協会の咄家さんは、一つだけ困った事に悩まされてしまます。それは、寄席の代演です。
と、言うのも、誰かが急な代演を申し出ると、事務員の佐野さんは釣り合いなんてお構いナシに、まず、全部目白の師匠に頼むんです。理由は言い易いから。
これには、代演を申し出た師匠連中が、後から知って恐縮し、後日、菓子折を下げて目白詣でをしたそうです。
だから、佐野さんが事務員だった頃、突発で代演を頼む師匠が極端に少なかったそうです、特に池袋は、目白から近いので、佐野さんが直ぐ「モリちゃん!」と電話するから。
そんな佐野さんの話から、竹馬の友のマクラは、同窓会の話になり、小満ん師匠自身の思い出なのか?
金鳥の蚊取り線香の空き箱を土俵にして、紙相撲をした話をされました。確かに!あのくらいの箱が丁度良いんですよね。
私は、もっと大きなお菓子の箱でも、やりましたが、名刺サイズの紙の力士を闘わせるなら、金鳥の箱は打って付けです。
そんな、竹馬の友の話題から、職人たちが集まりて、今日は俺の誕生日だ!なんて噺になると、この噺の幕開けです。上手い調子で、小満ん師匠らしく『饅頭こわい』へと入りました。
小満ん師匠の『饅頭こわい』は、基本的に、目白の師匠もやっていた流れと同じです。談志師匠も、この『饅頭こわい』は好きで、たまに掛けていましたが、それも目白の師匠を踏襲していた。
「えな」つまり臍の緒を、金神様の災いを避ける方位に埋めるんだと思うのだが、その埋めた「えな」の上を通るムシを、人は苦手なムシ感ずる。そんな迷信から、この噺は始まります。
『饅頭こわい』で、えな=臍の緒や、金神の話まで解説して、この話をするのは、如何にも小満ん師匠らしいと思います。
多くの咄家は、「えな」の上をムシが通ると、人はそのムシを嫌いになるとは言うが、深くこれを解説してくれる咄家は少ない。
殆どの人が、この迷信を親や祖父母から聞いて知っているのであれば、説明などいらないが、今の時代は、マクラで解説するくらいで、ちょうどよいのかもしれません。
この「えな」の下りから、嫌いなモノが、蛇・カエル・ナメクジの三すくみになり、ムシケンみたいだ!と、なって、
ナメクジが嫌いな奴が、俺はナメクジが嫌いだから、スキーも嫌いだ!と言う。これは談志師匠も言ってましたね、目白の師匠は???
私は、このスキーが通った跡がナメクジに似てて嫌いの下り、ちょっと気に入っています。だから、これを言うかな?って必ずチェックします。
あと、嫌われ者で、俺には嫌い!怖い!なんてモンは無いと豪語する熊さん。彼が納豆の糸が足らないと蜘蛛を入れて掻き回すと言う。
これを実証してみよう!と、談志師匠は、実際に庭で弟子に蜘蛛を捕まえさせて、試してみたって話を、お弟子さんから聞いたような?
勿論、食べはしないけど、納豆に入れられた蜘蛛はいい迷惑だと思います。
小満ん師匠の『饅頭こわい』は、細かいギャグが師匠らしいエスプリで、上品な笑いを生んで、決して前座噺の『饅頭こわい』ではありません。
3.帯久/小満ん
帯久
期待しました、小満ん師匠の『帯久』を。和泉屋与兵衛をどう演じるのか?と。うーん、かなり肩透かしを喰った。
小満ん師匠らしく、コンパクトに演じようとされたのはよく分かるのだが、その為に、地で展開する部分が、どうしても増えます。
まず、そこで落語らしく物語に引きこまれて行かない。起承転結の配分も難しいくらい、コンパクトな三十分の『帯久』でした。
まずは、帯屋が和泉屋に借金する場面、大晦に最後に借りた百両を帯屋が和泉屋へ返すがそれを盗んでしまう所から和泉屋の没落から火事まで。
更に没落し切った和泉屋が元番頭で別家していた分家・武兵衛に助けられ、漸く、床を上げて武兵衛の為に、恥を承知で帯屋に借金を申し込む。が!、
帯屋にはニベも無く断られて、一瞬、仏の与兵衛の心に魔がさし、帯屋の増築中の離れの現場に入り、オガ屑や木っ端の山に火を付けてしまう。
そして、最後は大岡様のお裁きとなり、帯屋を懲らしめる為に、帯屋の人差し指と中指を半紙で巻き留めて封印する越前守。
困り果てた帯屋は、返済に持参した百両を持ち返ってしまったと白状します。そして、これに対して元金利息を合わせて二百五十両を払えと命じる大岡忠相でした。
更に、借金の返済を年譜にしてやると帯屋に持ち掛けて、50年間一両ずつ、これが完済するまでは、和泉屋与兵衛の火炙りの刑は執行せず!と、申付けるのでした。
あの米朝師匠でも、45~50分。志の輔師匠がやると、一時間を必ずと言っていいくらいに要した噺を、流石の小満ん師匠でも、30分は無理がありました。
初めて『帯久』を聞いた人には、ストーリーやサゲが理解できたかな?と、すら少し思うできでした。
なかなか、端折る事が難しい噺ですからねぇ。特に、和泉屋与兵衛のスッキリした善人像を客に十分伝えてこその、大岡裁きだから。
4.鰍沢/小満ん
最後は、小満ん師匠の十八番『鰍沢』です。マクラはいつものように、圓朝作で元は三題噺から。三題は「卵酒」「鉄砲」そして「鰍沢」。
一説には最後は「毒消しの護符」とも言われております。更に、この日は、「雪の鉄砲」と「卵酒」が詠み込まれた川柳を、それぞれ二つ紹介された小満ん師匠。
どちらの句も、落語『鰍沢』とは無縁な句なんですよね。「雪の鉄砲」は河豚を寒い雪の日に頂く句だし、「卵酒」は昔は精力剤だったから、色恋に絡めた艶っぽい句でした。
更にいつものように、ここから日蓮上人と法華宗の話を振りながら、身延山参詣の正しいルートの解説をして本編の『鰍沢』へ。
まず、身延に参る途中、鰍沢へ抜ける道。これに迷った参詣の旅人、商人の新助の様子が、本当に雪ん中を彷徨い、やっと火にありついた感じが素晴らしい。特に掌の演技が秀逸!
一方、月乃兎花魁のお熊は、ハナは無愛想で冷たくつっけんどんな印象だが、旅人が江戸から来たと知ったあたりから、水っぽい色気が出始める。
ここの微妙な表現・表情が若い咄家には、なかなか真似できない。ハナから色気ムンムンで艶やか過ぎだと、ヤッパリ違う感じになります。
また、お熊で言うと、帰って来た旦那が誤って毒入り卵酒を飲んで苦しむ場面、訳が分からず、お熊も最初は快方しようとするが、
小満ん師匠のお熊は、毒入り卵酒が原因だと分かると極端に冷たい態度に。この豹変で笑いに変えて、旦那の死を重くしない。
口では、「この鉄砲で、あんたの仇を討つ!」とか言ってるが、悲壮感より滑稽に倒しておいてから、この後の狂気に満ちた急流での、旅人新助とのバトルとの対比を見せる演出です。
この日も、小満ん師匠ならではの『鰍沢』で、大満足でした。
次回、小満んの会は、五月十三日の月曜日です。
16時ちょっと前に到着すると、前の昼開催の「長唄の会」が終わったばかりで、
お客様を送り出していた。赤い長椅子で待っていると、すぐに常連の知合いが。。。
17時過ぎに小満ん師匠と奥様が見えて、早目に開場となり、定位置に座り開演を待つ。
すると、小満ん師匠の奥様から、この日の演目にちなんで、ご常連に桜饅頭が振舞われました。
さて、そんな今年二回目の「小満んの会」、こんな内容でした。
・勉強 … 寿袢
・饅頭こわい … 小満ん
・帯久 … 小満ん
お仲入り
・鰍沢 … 小満ん
1.勉強/寿袢
三代目金馬のライブ音源がyoutubeにも残っている『勉強』と言う、金馬作の昭和初期の新作落語です。
元は、江戸で「清書無筆」、上方では「無筆の親」と言う古典の元ネタがあり、それを義務教育が始まった昭和初期に、金馬師匠によって改作されて、誕生した噺らしい。
金馬師匠のオリジナルのサゲは、後でも書きますが、「ダンサー募集」と言うもの。如何にも言葉の響きが、昭和らしいモダニズムである。
さて、寿袢さんも五月からは二つ目。二つ目用のネタとして、この『勉強』をわざわざ仕入れたのか?そうだとしたから、かなりの変わり者です。
『勉強』と言う話は、無筆の両親、特に職人の父親と、義務教育が定着し、小学校へ通い始めた息子の、ジェネレーション・ギャップを落語にしています。
尺は15分くらいの噺で、確かに被る心配の無い寄席サイズの噺ですが、ツク事を考えると、珍しい割には、ツキ易い。
途中のくすぐりは、金馬師匠の原作に忠実に演じていましたが、流石に「ダンサー募集」のサゲは、「ギター教室の生徒募集」に変えて演じておりました。
2.饅頭こわい/小満ん
マクラは、竹馬の友について語る小満ん師匠。それは、目白の小さん師匠と、落語協会の事務員の佐野さんの話。
私は、このマクラを三度くらいは聞いています。佐野さん、小さん師匠を「盛夫!」と呼び捨てにできる、小学校の同級生です。
この佐野さんの方が、落語に夢中な少年で、末は芸人に成ると固い決意を持っていたが、両親に大反対されて、成った職業が幇間。
芸人の成れの果てが幇間かと思っていましたが、芸人になるよりは、幇間の方がまだ、当時はマシだったのか?
ただ、佐野さんは、幇間一筋ではなく、意外とアッサリ足を洗って、サラリーマンに転職されたそうです。
転職先は日産化学と言う会社で、ユニホームのクリーニングを専門にやる部署で、クリーニング職人となり、クリーニングを極めるのです。
そして、脱サラし目白にクリーニング店をオープンさせると、近所に竹馬の友の盛夫が居る!ってんで、「盛夫!汚れた洗濯物は、全部俺が綺麗にしてやる!持って来い!」と、仕事を取りに行く。
すると、目白の師匠が訊いたそうです。「定吉!お前の腕は確かなのか?」と、すると、佐野定吉さんが答えた「あぁ!お前の落語よりは、俺のクリーニングの方が上手いヨ」ってネ。
そんな関係が続いて、佐野さんのクリーニング店は繁盛したが、70歳で佐野さん自身は引退して隠居となります。
その噂を聞いた小さん師匠、「お前、暇してんだろう?うちの協会で事務員やれよ!!」と薦めたのを受けて、佐野さんは二つ返事でこれを引き受けたのです。
さて、この佐野さんが事務員になって、落語協会の咄家さんは、一つだけ困った事に悩まされてしまます。それは、寄席の代演です。
と、言うのも、誰かが急な代演を申し出ると、事務員の佐野さんは釣り合いなんてお構いナシに、まず、全部目白の師匠に頼むんです。理由は言い易いから。
これには、代演を申し出た師匠連中が、後から知って恐縮し、後日、菓子折を下げて目白詣でをしたそうです。
だから、佐野さんが事務員だった頃、突発で代演を頼む師匠が極端に少なかったそうです、特に池袋は、目白から近いので、佐野さんが直ぐ「モリちゃん!」と電話するから。
そんな佐野さんの話から、竹馬の友のマクラは、同窓会の話になり、小満ん師匠自身の思い出なのか?
金鳥の蚊取り線香の空き箱を土俵にして、紙相撲をした話をされました。確かに!あのくらいの箱が丁度良いんですよね。
私は、もっと大きなお菓子の箱でも、やりましたが、名刺サイズの紙の力士を闘わせるなら、金鳥の箱は打って付けです。
そんな、竹馬の友の話題から、職人たちが集まりて、今日は俺の誕生日だ!なんて噺になると、この噺の幕開けです。上手い調子で、小満ん師匠らしく『饅頭こわい』へと入りました。
小満ん師匠の『饅頭こわい』は、基本的に、目白の師匠もやっていた流れと同じです。談志師匠も、この『饅頭こわい』は好きで、たまに掛けていましたが、それも目白の師匠を踏襲していた。
「えな」つまり臍の緒を、金神様の災いを避ける方位に埋めるんだと思うのだが、その埋めた「えな」の上を通るムシを、人は苦手なムシ感ずる。そんな迷信から、この噺は始まります。
『饅頭こわい』で、えな=臍の緒や、金神の話まで解説して、この話をするのは、如何にも小満ん師匠らしいと思います。
多くの咄家は、「えな」の上をムシが通ると、人はそのムシを嫌いになるとは言うが、深くこれを解説してくれる咄家は少ない。
殆どの人が、この迷信を親や祖父母から聞いて知っているのであれば、説明などいらないが、今の時代は、マクラで解説するくらいで、ちょうどよいのかもしれません。
この「えな」の下りから、嫌いなモノが、蛇・カエル・ナメクジの三すくみになり、ムシケンみたいだ!と、なって、
ナメクジが嫌いな奴が、俺はナメクジが嫌いだから、スキーも嫌いだ!と言う。これは談志師匠も言ってましたね、目白の師匠は???
私は、このスキーが通った跡がナメクジに似てて嫌いの下り、ちょっと気に入っています。だから、これを言うかな?って必ずチェックします。
あと、嫌われ者で、俺には嫌い!怖い!なんてモンは無いと豪語する熊さん。彼が納豆の糸が足らないと蜘蛛を入れて掻き回すと言う。
これを実証してみよう!と、談志師匠は、実際に庭で弟子に蜘蛛を捕まえさせて、試してみたって話を、お弟子さんから聞いたような?
勿論、食べはしないけど、納豆に入れられた蜘蛛はいい迷惑だと思います。
小満ん師匠の『饅頭こわい』は、細かいギャグが師匠らしいエスプリで、上品な笑いを生んで、決して前座噺の『饅頭こわい』ではありません。
3.帯久/小満ん
帯久
期待しました、小満ん師匠の『帯久』を。和泉屋与兵衛をどう演じるのか?と。うーん、かなり肩透かしを喰った。
小満ん師匠らしく、コンパクトに演じようとされたのはよく分かるのだが、その為に、地で展開する部分が、どうしても増えます。
まず、そこで落語らしく物語に引きこまれて行かない。起承転結の配分も難しいくらい、コンパクトな三十分の『帯久』でした。
まずは、帯屋が和泉屋に借金する場面、大晦に最後に借りた百両を帯屋が和泉屋へ返すがそれを盗んでしまう所から和泉屋の没落から火事まで。
更に没落し切った和泉屋が元番頭で別家していた分家・武兵衛に助けられ、漸く、床を上げて武兵衛の為に、恥を承知で帯屋に借金を申し込む。が!、
帯屋にはニベも無く断られて、一瞬、仏の与兵衛の心に魔がさし、帯屋の増築中の離れの現場に入り、オガ屑や木っ端の山に火を付けてしまう。
そして、最後は大岡様のお裁きとなり、帯屋を懲らしめる為に、帯屋の人差し指と中指を半紙で巻き留めて封印する越前守。
困り果てた帯屋は、返済に持参した百両を持ち返ってしまったと白状します。そして、これに対して元金利息を合わせて二百五十両を払えと命じる大岡忠相でした。
更に、借金の返済を年譜にしてやると帯屋に持ち掛けて、50年間一両ずつ、これが完済するまでは、和泉屋与兵衛の火炙りの刑は執行せず!と、申付けるのでした。
あの米朝師匠でも、45~50分。志の輔師匠がやると、一時間を必ずと言っていいくらいに要した噺を、流石の小満ん師匠でも、30分は無理がありました。
初めて『帯久』を聞いた人には、ストーリーやサゲが理解できたかな?と、すら少し思うできでした。
なかなか、端折る事が難しい噺ですからねぇ。特に、和泉屋与兵衛のスッキリした善人像を客に十分伝えてこその、大岡裁きだから。
4.鰍沢/小満ん
最後は、小満ん師匠の十八番『鰍沢』です。マクラはいつものように、圓朝作で元は三題噺から。三題は「卵酒」「鉄砲」そして「鰍沢」。
一説には最後は「毒消しの護符」とも言われております。更に、この日は、「雪の鉄砲」と「卵酒」が詠み込まれた川柳を、それぞれ二つ紹介された小満ん師匠。
どちらの句も、落語『鰍沢』とは無縁な句なんですよね。「雪の鉄砲」は河豚を寒い雪の日に頂く句だし、「卵酒」は昔は精力剤だったから、色恋に絡めた艶っぽい句でした。
更にいつものように、ここから日蓮上人と法華宗の話を振りながら、身延山参詣の正しいルートの解説をして本編の『鰍沢』へ。
まず、身延に参る途中、鰍沢へ抜ける道。これに迷った参詣の旅人、商人の新助の様子が、本当に雪ん中を彷徨い、やっと火にありついた感じが素晴らしい。特に掌の演技が秀逸!
一方、月乃兎花魁のお熊は、ハナは無愛想で冷たくつっけんどんな印象だが、旅人が江戸から来たと知ったあたりから、水っぽい色気が出始める。
ここの微妙な表現・表情が若い咄家には、なかなか真似できない。ハナから色気ムンムンで艶やか過ぎだと、ヤッパリ違う感じになります。
また、お熊で言うと、帰って来た旦那が誤って毒入り卵酒を飲んで苦しむ場面、訳が分からず、お熊も最初は快方しようとするが、
小満ん師匠のお熊は、毒入り卵酒が原因だと分かると極端に冷たい態度に。この豹変で笑いに変えて、旦那の死を重くしない。
口では、「この鉄砲で、あんたの仇を討つ!」とか言ってるが、悲壮感より滑稽に倒しておいてから、この後の狂気に満ちた急流での、旅人新助とのバトルとの対比を見せる演出です。
この日も、小満ん師匠ならではの『鰍沢』で、大満足でした。
次回、小満んの会は、五月十三日の月曜日です。