選挙戦のあとしまつ
選挙戦はゼロ確で決まり、事務所前での熱狂の様子が画面には映し出されたが、前回の初戦と同じく再選した今回も有効票数の過半数は取れなかった。投票率の増加により100万票のラインは積み上げたが得票率でいうと前回とさほど変わらず、次点には前回よりもわずかながら僅差になっている。しかし選挙はトップになってこそ、積み増した票数を旗印に現在まで支持者と当人はその正当性を誇っている。
選挙期間中の問題が浮上したことでその正当性にゆらぎが生じているものの、それが立件されない限りはそのゆらぎはゆらぎのまま、消えることはない。
第三者委への対応に重なるもの
百条委で提起されたパワハラの可能性に対して、逆の可能性を主張したときには、よほど第三者委ではそれが認められないであろう自信があったのかと思っていたが、第三者委の結論は断定的に指摘される結果となった。一方は文書の正当性を元に懲戒処分撤回を求め、他方は第三者の中立性を疑問視するほか、懲戒処分撤回までにはあたらないとする意見に寄り添い、文書の正当性を改めて認めない両方に別れているようにみえる。
知事は県会の会期終了後に第三者委への対応を示すとしたが、自分はこれに不信任案が可決され失職するまでの七日間を思い出した。知事は失職するまでの期間で失職 or 辞職 or 議会解散の選択を渋り、報道各社への対談形式により相次いで出演した。結果として失職し選挙戦へ向かうことになったのだが、あの過程で主張を展開してそこをきっかけに味方となった人間もいるのではないだろうか。まさしく自己演出にすこぶる長けていると思う。
今回も支持者による第三者委へ対する疑義が起こす流れを見極めつつ、会期終了後に対応を示すという、計算された流れがあるようにみえてならない。
第三者委への県の対応の是非を問う機会が県議に与えられないとすれば、県議会にとって損失のように思えるがどうだろうか。
知事に対する希望
まず前提としてパワハラを指摘されたのは前回の任期中の出来事である。再選して改められたというのなら、どう改善したのかを県民は知る権利があるのではないだろうか。あった無かったの水掛け論に終始するのではなく、改めるべきところがあったとして再選後どのように態度を改めたのかを自分は問いたい。文書については、ただその処分の正当性を主張し続ければいいという節が見受けられるが、仮にそうだとしても順序が間違っていたことは今回の報告からも明らかである。現に首長経験者からその判断ミスを理由に首長欠格とする指摘もあるが、それとは関係なく対応順序のミスについては謝罪されるべきではないだろうか。今のままでは訂正することが恥だと思っているように見えてしまい、それでは他候補に投票した50%以上の県民からの心象は変わらない。
支持者による第三者委への疑義に同調し、その報告を毀損するようなことのないよう願うばかりである。