鯉王の呟き

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さて、今回は愛の伝え方と来たもんだ。
愛の伝え方も十人十色、人によって様々な伝え方があるでしょう。
ストレートに相手に伝えたり、ロマンティックに演出したりして伝える等の伝え方が考えられますね。

でも愛と好きは違うんじゃないですか?
ここはまた難しいところで、結構ごっちゃになってしまいますね。
ですが、あるひとつのことでその人に対する気持ちが愛なのか好きなのかわかります。
それは
「常に心の底からその人を必要としているかどうか」
これは人に限りません。
小動物でも無機物でも、心の底から必要としているのであればその気持ちは少なからずとも、愛なのではないでしょうか?

だから私が本物の愛を伝える時は「好きな気持ち」を相手に伝えるのではなく、「常に欲している気持ち」を伝えた方がいいのではないでしょうか?
上辺だけの言葉に流されない人にしかこういったことは伝わらないのでしょうが、人格者であれば伝わります。
そもそも、そういった事を伝えずに無意識に相手に伝えるといった事も可能ではないでしょうか?


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そもそもウイスキーに合うのはビターでしょうよww
一番好きなのはカカオ99%配合のヤツです

あの苦いのがたまらなく好きです

その次はジャンドゥーヤ
アーモンドペースト練りこんでるヤツね

基本的にカカオ分が少ないヤツは苦手ですが、ジャンドゥーヤなら何とかww
だってアーモンドもスキダカラ



むしろチョコレートって酒のつまみでしょ?ww
他の酒は料理酒になってますwww


とある魔術の禁書目録(インデックス)は超能力が科学で解明されている世界である学園都市が舞台のアニメである。

先日挙げた「とある科学の超電磁砲」はこの「とある魔術の禁書目録」のスピンオフ作品である。

さぁ「超電磁砲」では超能力を解明している科学が主だったが、この「禁書目録」では魔術が扱われている。
詳しくは各作品のHPを参考にしていただきたい。それにこれからこれらを見ようと思っている人がいるかもしれないがネタバレ要素を含むので見終わってから読んで欲しい。

とある魔術の禁書目録
http://project-index.net/
とある科学の超電磁砲
http://www.project-railgun.net/

さて、早速本題に入ろうか。
先も言ったが、この作品では魔術が取り上げられていた。
私としては、月詠小萌先生の存在自体が魔術だろ!と突っ込みたくなったが我慢するしかないのであろう。
まぁ色々と胡散臭いものがあるのであるが、それが魔術なのであろうから仕方がない。
神話などを元に神々を信仰し、それらと共に天体の力を借りて魔術を行うと言っていた。さて、果たしてそれらにどういったエネルギーが含まれているのであろうか。
魔術に関しては私は全く無知なので申し訳ないが割愛させてほしい。何か別の力があるのであろう、きっと。
しかし、この作品ないでは魔術そのものは使い手にとって有害になるとのこと。
本来能力がないもののための魔術とあるが、信仰心がなければその身を滅ぼしかねないという。そう、土御門みたいに。
だが、その回で登場した御使堕し(エンゼルフォール)が最も興味深い。
これは天界に存在する天使を人間の地位に落とし、余った天使の枠に人間が昇り上げようとして行われるものらしい。しかし、今回は術者がそれらを狙って発動させたわけでなくたまたまだったので天使がそのまま天界に帰ろうとしたのだが・・・。
それを理解するためにはセフィロトの樹(生命の樹とも言う)をきちんと理解していないと難しいかもしれない。
要するに、人間、天使、神、これらといった種族には席に限りがあり、お互いは干渉することはない。しかし、それらを可能にするのがこの魔術である。
この作品では天使を人間界に落としたわけだが、これが神であったらどうなったであろう?
日本にも天孫降臨などといった神の逸話が残っている。果たしてこれらは神が独自に人間界に戻ってきたのであろうか?
こういう話を聞いたことがないだろうか?
「卑弥呼は天照大神だった」
昔の人間は科学を知らない、いや知ることができなかった。それ故に神に対する信仰が深まったのではないか?
当時の人間の中に呪術者、もしくは魔術師がいたであろう。その人物が神を降臨させたとすれば、それは神を天界から引きずり落とした形になるのかもしれない。しかし、人間界にも席の限りがある、そのために生贄を差し出し、その魂を天界に送る必要があった。だから各所での魔術、呪術では生贄を要したのかもしれない。
だが、神々が人間界に降臨したとはいえ、それらの遺体や痕跡が残されているわけではない。そう、本来差し出した生贄が本来神の入れ物となるはずなのだが、生贄に捧げた人間を殺すことによって発動する魔術もあるであろう。神を降臨させるためにはそれほどのリスクが必要にもなるであろう。そして、神そのものは高エネルギー体であるために、体を必要としなかった。
そして神の死、それは人間界に自分の体を具現化するエネルギーがなくなった時、人間の目から見えなくなり、マナとして広がっていった。という風に考えてみるのもなかなか面白いかもしれない。
そして、その神を信仰しているものが魔術を使用しようとするときにその神が、自らの力を貸して魔術を発動させる。それが信仰心の問題にもなってくるわけだ。
この作品では落とされた天使が天界に戻るために魔術を発動させようとした。しかし、これが発動したらここら一体が滅びるという・・・。
と、いうかここら一体が滅びるだけで天界への道の扉を開くことができるのか、さすが魔術。
起源が古いだけのことはある。
今となっては科学の力で殆どの問題が解決するが、かつてはそんなこともできなかっただろう。だから神の力にあやかるしかなかった。


今となっては殆どの人がそういったものを幻想だとか空想と言っている。
しかし、信仰心があれば発動させることも出来なくないかもしれない。
大昔、その実魔術が使える魔術師が存在していたのかもしれない。


魔術、もしかしたら空想の科学よりも実際はもっと現実的な何かなのかもしれない。