家族のことを時折考え込んでしまう
どこにでもある普通の家庭、笑顔が絶えない明るい家庭だった。
母は時折厳しくもあるが気前のよい大雑派な人だった
父はつまらないギャグをよく言い、毎朝早くから自営業のトラックに乗り込み、一家を支える大黒柱だった。
昔から俺は下らない事で親に迷惑をかけていた。
親から盗んだお金でゲーセンに行き友達におごった事、中学生の時に親父をボコボコに殴った時、学費を払ってもらい入った高校をサボり続けて一年経たずに辞めてしまったこと…
数え上げればキリがない、両親が俺の為にと思い、やってくれた、殆どの事を途中で投げ出してきていたのだった。
学校を辞めてからは遊ぶためにアルバイトをした。
実家に住みながら、一円も家にお金を入れずに、自分の部屋、時間になればでてくる美味しいご飯、そんなものを当たり前だと思っていた。
やりたい事を好きかってやって生きてきた…
16歳の時母が病気にかかった。どうやらガンらしい、
少しふっくらしていた顔はやせ細り、いつだって大きな声で話していた母は気がつけば、小さくかすれた声に変わってしまっていた…
もう先は長くないかもという話も聞かされた。
倒れたり、苦しむ母を見て胸が痛くなった…
だけど俺はそんな事から目を背ける様に遊んでいた
母の命の明暗を分ける大手術の日だってそうだ
俺は病院に行かずに友達とのうのうと旅行に出かけて行ったのだ。
19歳の秋に初めての一人暮らしを始めた。家賃は5.75万の1ルームだ。
初めての1人暮らしは想像よりも辛かった…
甘ったれ生きてきた俺には全部自分でやる。当然の事だが出来るはずもなく、金も無駄遣いして、給料日前になると貧乏でろくな食事もとらず、イライラして給料が入るとイライラを解消するために無駄遣いやパチンコに行ってしまう。
当然部屋も汚かった、食べたままほったらかした弁当のごみなどがゴロゴロと転がっている…
仕事もうまくいかず、しょっちゅう怒られる毎日
そんな生活を続けていると「実家に帰りたい」といつも頭によぎる様になっていた
そんな矢先に携帯に母からの着信があった
「元気にやってる?ちゃんとご飯たべてるの?」
その言葉に色んな気持ちがドッと溢れそうになったがこらえて話す
「大丈夫!!元気だよ。どうしたの?」
母に訪ねてみたら、どうやら少し前から親父の仕事が無くなってしまったらしい
どうやら息子に言いにくいから隠していたみたいだった
その数日後、久しぶりに実家に帰って見た。
母は大雑派な性格の為いつも冷蔵庫の中は沢山の食料品が入っていたのだが、冷蔵庫の中身はスカスカ。
テーブルの上に溜まった請求書のハガキ。
俺は何とか頑張って用意した10万円を親に渡した。
たかが10万円じゃ、ちょっとの助けにしかならないのは分かってたつもりなんだけど、俺は変な満足感を感じ
嫌な事から目を背ける
またいつも通りのダメな生活に戻ったのだった。
そして20歳の夏にひょんな事から俺は東京に転勤する事になった。
東京での暮らしもロクなもんでは無かったが何とか暮らしていた
正月に実家に帰った相変わらずスカスカになった冷蔵庫
何とかなれない日雇いの仕事でつなぐ親父。
のうのうと生きるそんな俺に両親は変わらず優しかった…
東京に戻る時に実家を出た瞬間母の声が聞こえた
後ろから追いかけてきてダメ息子にこう言った
「ちゃんとご飯たべるんやで、たまに連絡してきや」
手には甘い物が好きな俺のためにチョコレート、そして少しくしゃっとした一万円札が握られていた。
帰りの新幹線の中でチョコレートをかじりながら俺は涙が止まらなかった…
少し遅れて追いかけてきたのは、お金がないから悩んで、それでも何かしたくて葛藤していたからじゃないのか
そんな事を考えると余計涙が溢れ出した
新幹線の中で泣くのは恥ずかしいから俺は寝たふりをした。
東京に住んで約一年で大阪に帰って来ることになった
大阪に帰り実家に住むことにした。バイクの専門学校に通いたい!色んなやりたい事を見つけ日々が充実を感じた
そして、久々に実家にすむことで、色々な事にありがたみを感じる事ができた。
少しずつでも人を大切にできる大人になれるようにと思うようになった。
まず毎月家賃10万円を家にいれるようにした。
知り合いの不動産に頼み、親のために地元で一軒家を買ってあげることも決めた。
そして、毎月少し余るお金で昔から欲しかったバイクの免許とバイクを買った
高認試験の勉強も少しずつ初め、16.7歳の時から止まっていた時間が動き出したような高揚感にかられた
だがある日、家の呼び鈴がなり母が出た。声からして結構歳のいった男の声だった…何かを怒りながら話している。
俺はもしかしてと思い玄関に向かった、そこに立っていたのは、スーツにハットの偉そうなおじいさんだった。
「あんたが息子さんか」偉そうなおじいさんが俺に話しかけてくる。
「私はこの家の大家だが、再三に渡る忠告を無視し、連絡もとらん。賃貸契約解除と明日までに立ち退きを申し渡す」
そういわれ俺は一瞬とまどいながら聞き返す
「どういう状況かわかっていないんで教えて頂いてよろしいですか?」
おじいさんは苛立った口調で説明する。どうやら俺の親父は家賃を一年近く滞納し、連絡を無視し続けて、口では払うと言って逃げていたらしい。
「あんたんとこの親父さん訴えてやるからな」そういって大家は去っていった。
俺は母に色んな事を聞いた。
病気以来は色んな心労が続き、すっかり昔と違う声でもうしわけなさそうに話し出した。
どうやら親父は俺が渡していたお金を使い込み、家賃を約100万円程滞納していたらしい、挙げ句の果てに保証人の親父の兄さんに金を払わせようとしていたらしい…
怒り、不安、恐怖、情けない
なんだか色んな感情が込み上げてきた。
親父が帰ってきて思いっきり怒った。
言い訳をしながら、逆に怒りだす親父を見て心底俺は呆れた…
あの日の毎日下らない親父ギャグをいいながら、一家の為に頑張る親父の面影はなかった。
しかも姉も直接家賃が積もり積もっている事を知ってて、俺に話さなかったらしい。
誰も俺に相談してくれなかった事が本当に本当に寂しかった。
寂しさから怒り口調になりながらも「後は俺がやる任しとけ」
そんな言葉が自然に口から出た
大家と不動産屋に話をつけ、念書を書き。家賃と家賃滞納の返済で月々家に15~20万円を払う事にした。
同時に来年から専門学校に通うという目標も崩れていった…
その苛立ちからか
自分がやるべき事をわかりながらも、酔っ払った時に落ちている高認試験の参考書を拾い「お前らのせいで夢を諦めるわ」などとつらくあたってしまったりした事もあった
他にも色んな事で怒った、ただ本音で親とこんなに話すのは初めてだった。
「一軒家を買うという話は止めて欲しい」
ある日母が言ったその言葉は思いがけもなく嬉しいと感じた。
肩の荷が軽くなったからじゃない、母がこういう事になってから自分から自分の意見を言ってきたからだ。
相談の後に木造二階建ての賃貸に引っ越した。
前のマンションに比べりゃ設備や造りもボロい。親の事を不憫にも思えるがが一緒に決めた事だこれでいいと思えた。
そしてまた実家を離れる日、俺の子供の時のアルバムを開いた。
ちょいちょい写真の下に添えられてるコメント
「将也4歳元気に成長してます」
「将也小学1年の運動会頑張って走ってました」
あぁ俺ってやつは本当に親に愛されて育ってきたんだな…
何だかまた泣きそうになったが、こらえた。
家を出る時母が「本当に色々ごめん、本当にありがとう」
結局家を出て少しだけ涙がこぼれた…
昔のように大声で豪快な母に戻ることもないだろう。
昔のように下らないシャレでニヤニヤする親父に戻ることもないだろう。
あの明るく仲の良い5人家族に戻ることもないだろう。
だけどこうやって思い返すと
いつ帰っても俺を心底心配し「おかえり」と優しくしてくれる両親に
俺は最後まで優しくしたいと思った。
親だけでなく優しくしてくれる色んな人に幸せを与えることのできる人になろうと思う。
どこにでもある普通の家庭、笑顔が絶えない明るい家庭だった。
母は時折厳しくもあるが気前のよい大雑派な人だった
父はつまらないギャグをよく言い、毎朝早くから自営業のトラックに乗り込み、一家を支える大黒柱だった。
昔から俺は下らない事で親に迷惑をかけていた。
親から盗んだお金でゲーセンに行き友達におごった事、中学生の時に親父をボコボコに殴った時、学費を払ってもらい入った高校をサボり続けて一年経たずに辞めてしまったこと…
数え上げればキリがない、両親が俺の為にと思い、やってくれた、殆どの事を途中で投げ出してきていたのだった。
学校を辞めてからは遊ぶためにアルバイトをした。
実家に住みながら、一円も家にお金を入れずに、自分の部屋、時間になればでてくる美味しいご飯、そんなものを当たり前だと思っていた。
やりたい事を好きかってやって生きてきた…
16歳の時母が病気にかかった。どうやらガンらしい、
少しふっくらしていた顔はやせ細り、いつだって大きな声で話していた母は気がつけば、小さくかすれた声に変わってしまっていた…
もう先は長くないかもという話も聞かされた。
倒れたり、苦しむ母を見て胸が痛くなった…
だけど俺はそんな事から目を背ける様に遊んでいた
母の命の明暗を分ける大手術の日だってそうだ
俺は病院に行かずに友達とのうのうと旅行に出かけて行ったのだ。
19歳の秋に初めての一人暮らしを始めた。家賃は5.75万の1ルームだ。
初めての1人暮らしは想像よりも辛かった…
甘ったれ生きてきた俺には全部自分でやる。当然の事だが出来るはずもなく、金も無駄遣いして、給料日前になると貧乏でろくな食事もとらず、イライラして給料が入るとイライラを解消するために無駄遣いやパチンコに行ってしまう。
当然部屋も汚かった、食べたままほったらかした弁当のごみなどがゴロゴロと転がっている…
仕事もうまくいかず、しょっちゅう怒られる毎日
そんな生活を続けていると「実家に帰りたい」といつも頭によぎる様になっていた
そんな矢先に携帯に母からの着信があった
「元気にやってる?ちゃんとご飯たべてるの?」
その言葉に色んな気持ちがドッと溢れそうになったがこらえて話す
「大丈夫!!元気だよ。どうしたの?」
母に訪ねてみたら、どうやら少し前から親父の仕事が無くなってしまったらしい
どうやら息子に言いにくいから隠していたみたいだった
その数日後、久しぶりに実家に帰って見た。
母は大雑派な性格の為いつも冷蔵庫の中は沢山の食料品が入っていたのだが、冷蔵庫の中身はスカスカ。
テーブルの上に溜まった請求書のハガキ。
俺は何とか頑張って用意した10万円を親に渡した。
たかが10万円じゃ、ちょっとの助けにしかならないのは分かってたつもりなんだけど、俺は変な満足感を感じ
嫌な事から目を背ける
またいつも通りのダメな生活に戻ったのだった。
そして20歳の夏にひょんな事から俺は東京に転勤する事になった。
東京での暮らしもロクなもんでは無かったが何とか暮らしていた
正月に実家に帰った相変わらずスカスカになった冷蔵庫
何とかなれない日雇いの仕事でつなぐ親父。
のうのうと生きるそんな俺に両親は変わらず優しかった…
東京に戻る時に実家を出た瞬間母の声が聞こえた
後ろから追いかけてきてダメ息子にこう言った
「ちゃんとご飯たべるんやで、たまに連絡してきや」
手には甘い物が好きな俺のためにチョコレート、そして少しくしゃっとした一万円札が握られていた。
帰りの新幹線の中でチョコレートをかじりながら俺は涙が止まらなかった…
少し遅れて追いかけてきたのは、お金がないから悩んで、それでも何かしたくて葛藤していたからじゃないのか
そんな事を考えると余計涙が溢れ出した
新幹線の中で泣くのは恥ずかしいから俺は寝たふりをした。
東京に住んで約一年で大阪に帰って来ることになった
大阪に帰り実家に住むことにした。バイクの専門学校に通いたい!色んなやりたい事を見つけ日々が充実を感じた
そして、久々に実家にすむことで、色々な事にありがたみを感じる事ができた。
少しずつでも人を大切にできる大人になれるようにと思うようになった。
まず毎月家賃10万円を家にいれるようにした。
知り合いの不動産に頼み、親のために地元で一軒家を買ってあげることも決めた。
そして、毎月少し余るお金で昔から欲しかったバイクの免許とバイクを買った
高認試験の勉強も少しずつ初め、16.7歳の時から止まっていた時間が動き出したような高揚感にかられた
だがある日、家の呼び鈴がなり母が出た。声からして結構歳のいった男の声だった…何かを怒りながら話している。
俺はもしかしてと思い玄関に向かった、そこに立っていたのは、スーツにハットの偉そうなおじいさんだった。
「あんたが息子さんか」偉そうなおじいさんが俺に話しかけてくる。
「私はこの家の大家だが、再三に渡る忠告を無視し、連絡もとらん。賃貸契約解除と明日までに立ち退きを申し渡す」
そういわれ俺は一瞬とまどいながら聞き返す
「どういう状況かわかっていないんで教えて頂いてよろしいですか?」
おじいさんは苛立った口調で説明する。どうやら俺の親父は家賃を一年近く滞納し、連絡を無視し続けて、口では払うと言って逃げていたらしい。
「あんたんとこの親父さん訴えてやるからな」そういって大家は去っていった。
俺は母に色んな事を聞いた。
病気以来は色んな心労が続き、すっかり昔と違う声でもうしわけなさそうに話し出した。
どうやら親父は俺が渡していたお金を使い込み、家賃を約100万円程滞納していたらしい、挙げ句の果てに保証人の親父の兄さんに金を払わせようとしていたらしい…
怒り、不安、恐怖、情けない
なんだか色んな感情が込み上げてきた。
親父が帰ってきて思いっきり怒った。
言い訳をしながら、逆に怒りだす親父を見て心底俺は呆れた…
あの日の毎日下らない親父ギャグをいいながら、一家の為に頑張る親父の面影はなかった。
しかも姉も直接家賃が積もり積もっている事を知ってて、俺に話さなかったらしい。
誰も俺に相談してくれなかった事が本当に本当に寂しかった。
寂しさから怒り口調になりながらも「後は俺がやる任しとけ」
そんな言葉が自然に口から出た
大家と不動産屋に話をつけ、念書を書き。家賃と家賃滞納の返済で月々家に15~20万円を払う事にした。
同時に来年から専門学校に通うという目標も崩れていった…
その苛立ちからか
自分がやるべき事をわかりながらも、酔っ払った時に落ちている高認試験の参考書を拾い「お前らのせいで夢を諦めるわ」などとつらくあたってしまったりした事もあった
他にも色んな事で怒った、ただ本音で親とこんなに話すのは初めてだった。
「一軒家を買うという話は止めて欲しい」
ある日母が言ったその言葉は思いがけもなく嬉しいと感じた。
肩の荷が軽くなったからじゃない、母がこういう事になってから自分から自分の意見を言ってきたからだ。
相談の後に木造二階建ての賃貸に引っ越した。
前のマンションに比べりゃ設備や造りもボロい。親の事を不憫にも思えるがが一緒に決めた事だこれでいいと思えた。
そしてまた実家を離れる日、俺の子供の時のアルバムを開いた。
ちょいちょい写真の下に添えられてるコメント
「将也4歳元気に成長してます」
「将也小学1年の運動会頑張って走ってました」
あぁ俺ってやつは本当に親に愛されて育ってきたんだな…
何だかまた泣きそうになったが、こらえた。
家を出る時母が「本当に色々ごめん、本当にありがとう」
結局家を出て少しだけ涙がこぼれた…
昔のように大声で豪快な母に戻ることもないだろう。
昔のように下らないシャレでニヤニヤする親父に戻ることもないだろう。
あの明るく仲の良い5人家族に戻ることもないだろう。
だけどこうやって思い返すと
いつ帰っても俺を心底心配し「おかえり」と優しくしてくれる両親に
俺は最後まで優しくしたいと思った。
親だけでなく優しくしてくれる色んな人に幸せを与えることのできる人になろうと思う。