すごく久しぶりのブログです。

 

神田投手と関係ない話で恐縮ですが・・・。

私は「杉尾優衣」さんという方の詩、そして彼女自身のことがすごく好きです。

杉尾優衣さんは、1972年12月に宮崎県で生まれました。

幼い頃から文学や音楽に親しみ、詩作や作曲に才能を発揮しますが、

1988年11月、高校1年生の時、わずか15歳でこの世を去りました。

 

優衣さんのことを少しずつ書いていきたいと思ったのですが、

きっと更新頻度は低いので(^^;))、

わざわざ新たに彼女専用のブログを立ち上げるほどではないかな・・・と思いました。

X(Twitter)やFacebookも一応やっています。

でもXは文字数が少なくて、文字数を気にしながら書いたり連投したりするのはストレスを感じます。

Facebookはリアルな知り合いと繋がっているので、

優衣さんのことを書く場所とはちょっと違うと感じます。

それで、ずっと放置していたこの場所に書くことにしました。

 

神田武夫投手と杉尾優衣さん、全く関係がないですが、

物凄い才能を持ちながら若くしてこの世を去った、という点で共通しています。

結局私は、儚くて美しいものが好きみたいです(^^;))。

 

気まぐれな更新にはなりますが、

杉尾優衣さんのことをご存じの方、お好きな方とも交流できれば嬉しいです。

よろしくお願いいたします。

「八百長リーグ 戦時下最大の野球賭博事件」(山際康之著・角川書店)を読みました。
 
この本は、戦前の職業野球で起こった野球賭博事件について書かれたものです。
野球賭博といえば、黒い霧事件や、ほんの数年前の巨人軍の選手による事件が有名ですが、
実は、職業野球が始まってすぐの頃からあったそうです。
問題が起きるたびに、チームの監督や野球連盟の理事長などが必死になって食い止めますが、
表面的な解決のみで根本的に解決しないせいか、何度も同じことが起こってしまいます。
戦前の職業野球というと、
「社会的地位も低く、いつ戦争に取られて死んでしまうか分からない、今のプロ野球選手に比べるとはるかに不安定で恵まれない環境の中でも、野球への愛と情熱を持って野球界を盛り上げて来た」
と感動的に語られることが多いような気がします。
だから、この本を読んで、戦前の職業野球で八百長が行われていたことを知った時は、本当に驚きました。
 
本の後半では、昭和17年の南海で起こった八百長事件について詳しく書かれています。
ある選手が他の選手を八百長に誘い、それがどんどん広がっていき、わざと負けるためにやる気のない試合を行う姿は、非常におぞましいものでした。
しかし、そんな中でも、八百長を拒んだ選手は何人かいました。その中の一人が、神田武夫投手でした。
そう、昭和17年は、ちょうど神田投手が活躍していた年です。
本の中では、南海が八百長で汚染されていく様子とともに、それとは対照的に、病魔と闘いながら必死に投げ続ける神田投手の姿が、
かなりのページ数を使って描かれています。
神田投手の病気が進行して、周囲の人達が「うつるのではないか」と遠巻きになっていき、孤立していく様子が描かれている部分を読んだときは、「本当なのかな、作者の想像なのかな」と思いながらも(作者の方には申し訳ありませんが・・・)、とても悲しく切ない気持になりました。
まだ新人に近い状態なのに先輩よりも大活躍していることや、八百長を拒んだことで、もしかしたら、周囲から嫉妬のようなものがあったのかもしれない・・・なんて想像したりもしてしまいました。
そんな孤独な状態の中での救いは、沢村栄治投手の存在だったようです。
移動の電車の中などで、神田投手が「沢村さん、沢村さん」と沢村投手に話しかけて相談などしていた、という話は川崎徳次投手が書かれた本でも読んだことがあって、私がとても好きなエピソードです。
沢村投手と神田投手が話し合っている姿、想像するだけで胸がときめいてしまいます。見てみたかったなあ・・・と強く感じます。
 
また、神田投手が雑誌の取材に恥ずかしそうに答えているエピソードも出てきていて、
その部分を読んだときには「かわいい~♪」と叫びそうになってしまいました(^^;))。
と同時に、この雑誌が何なのかとても気になりました。
神田投手を取材した記事、すごく読みたいです。
 
戦前の八百長について書いた本ということで読みましたが、神田投手の話がたくさん出てきて、むしろそちらの方がメインなのではないかと思ってしまったほどでした。
メインと言うと言いすぎかもしれませんが、作者が、神田投手のことを、汚れ切った当時の南海の中で汚れなく咲いた花のように考えていて、そんな神田投手のことを伝えたかったのではないかな・・・と感じています。
 
この本を読んで、神田投手がいかに偉大で素晴らしい選手であるかということ、
そして、これからも多くの人々に伝え続けていくべき選手であるということを、改めて認識しました。
神田投手について書かれた本や資料などを、これからも探していきたいです。
もう2年以上前になりますが、国会図書館に行って、「回想 職業野球の男たち―日本のプロ野球・草創期人物誌」(小川卓著、協和企画)を読みました。
この本は、だいぶ前に神田武夫投手のことをネットで検索して調べていたときに見つけたものです。
それ以来気になっていたものの、ネットで調べても情報がなく(今はアマゾンで中古品も何冊か販売されていますが)、地元の図書館にも置いていなかったので、国会図書館まで行って読みました。
この本では、戦前に活躍した15人~20人ぐらい(神田投手のところだけコピーしたのではっきり覚えていませんが、確かそのくらいだったと思います)の職業野球の選手を取り上げています。その中の一人が神田投手でした。
 
神田投手の話は、長谷川善三さんという方の方のお話を中心に構成されています。
長谷川選手は、神田投手と同じ年に南海に入団した同期で、しかも、甲子園に出場した時に一緒になり、雑談を交わしたことがあったとのことです。
長谷川選手のことは、この本を読むまでは知らなかったのですが、Wikipediaを見ると、途中応召されながらも、10年以上にわたり複数の球団で選手として活躍し、引退後は、評論家、コーチ、スカウトとして活動されていたそうです。
長谷川選手の話には、私が今まで読んできた本には書かれていなかった、初めて知る神田投手の姿が書かれていて、とても興味深く、また嬉しかったです。
特に、以下の話がとても印象に残りました。
 
・神田投手は、長谷川選手に対しては、自分のことを「将軍」、長谷川選手のことを「参謀」と呼んでいたそうです。
→エースとは言え、周りが先輩ばかりで気を遣う環境の中、気楽に接することのできる同期がいたことが嬉しかったのではないでしょうか。
微笑ましい話だと感じたし、神田投手にそのような同期がいて良かった・・・となぜか安心してしましました。
また、自分のことを「将軍」と呼ぶところに、神田投手が、自身の才能への確信と、エースとしての使命感と、をいかに強く持っていたかを感じました。
 
・この本の作者が、「南海ホークス四十年史」に、神田投手がマスクをしてベンチに座っていた、という話が記されていることを長谷川選手に話したところ、長谷川選手は、「そんな記憶は私にはない。自分の病気を悟られまいと極力努めてきた男だから・・・。もしマスクをしていたとすれば、ベンチへ入るまでではなかったか」と首をかしげたそうです。
→「神田投手がマスクをしてベンチに座っていた」というのとても有名な話で、多くの本では、神田投手について書くときは、このエピソードを書いています。
「南海ホークス四十年史」は、私も神田投手について書かれたところを読みましたが、確かにその話が出ていました。
しかし、長谷川選手は、その話を否定しています。
一体どちらが正しいのだろう・・・と私はとても気になってしまいました。
もちろん、マスクをしているかしていないかで、神田投手が野球界に残した功績が変わるわけではありません。
それでも、神田投手の真実の姿を残して欲しいと願う私にとって(それはプロ野球の歴史にとっても必要なことだと思います)、
神田投手を語るときに必ずと言っていいほど語られるエピソードが真実かどうか、というのはどうしても気になってしまいます。
あくまでも私の推測ですが、長谷川選手の話が正しいような気がします。
神田投手が、自分の病気を積極的にアピールするような人にはどうしても思えないからです。
むしろ、どんなに病気が悪化しても、それを表に出さずに、試合に集中していたような印象があります。
長谷川選手もお話されているように、ベンチに入るまでマスクをしていた、というのはあるかもしれません。
神田投手は球場までは電車で通っていたようなので、不特定多数の人が乗っている電車の中では、他人への感染を避けるため、また、他人が持っている何かしらの病気が感染して、自分の病気がより悪化することを避けるためにマスクをする、というのはありうると思います。
だから、ベンチでマスクをしていた、というのは、神田投手が病気と闘いながらエースとして活躍していたことを強調するために、より感動的にするために、後から付け加えたエピソードなのかな・・・という気もしています。
 
・神田投手が亡くなった時、長谷川選手が「トーナメント大会で勝った時の優勝旗を告別式で掲げる」ことを提案したそうです。
提案は受け入れられ、告別式では、数人に担がれた棺のあとを、長谷川選手が持つ優勝旗を先頭にして、南海の全選手が粛々と斎場へ続いたとのことです。
→この部分を読んだとき、涙が出そうになるぐらい感動しました(私の拙い要約では、全く感動が伝わらず申し訳ありませんが・・・)。
今まで読んだ本では、神田投手が自宅でひっそりと息を引き取ったことについて書かれて、それで終わっていました。
あんなに活躍したにも関わらず、一人寂しく亡くなったのかな・・・戦時中だから仕方なかったのかな・・・と悲しく思っていました。
だから、優勝旗と共に選手たちに見守られながら最後の別れを迎えていたことを知り、不謹慎な言い方かもしれませんが、嬉しかったし安心しました。
神田投手にふさわしい最後だと思いました。
また、神田投手が、いかに南海の選手たちに尊敬され、愛されていたか、ということがわかる話でした。
 
神田投手のページはわずか7ページほどですが、他にも印象に残る話がいろいろとありました。
時間が無くて、他の選手の話は数人程度しか読めませんでしたが、他の選手についても、他の本では見かけない話があったりして、
この本は、なかなか読み応えのある良い本でした。
出版されたのが1994年頃で、もう20年以上前なので、当時はご存命でも今は亡くなっている選手もいたりして、情報が古い部分はあると思いますが、情報を更新して、復刊してくれたらいいなあ、と思っています。
3月25日(日)、お茶の水のソラシティで開催された、東京野球ブックフェアに行ってきました。

まず、予約していたトークイベント「野球の本をつくって売りたい!」を聞きに行きました。
ソラシティは、職場から歩いて行けるところで、時にはそこを通って帰ることもあるぐらい身近な場所なのに、
トークイベントの開催場所「お茶ナビゲート」が分からず、ビルの中に入ったり、さんざん迷ってしまいました(^^;))。
トークイベントでは、個人で出版社やプロダクションを経営されている、武田主税さん、堀治喜さん、林さやかさんのお話をいろいろと聞くことができました。
登壇者の方々が現在のお仕事をするに至った経緯など、非常に興味深いものでした。
ご自身が素直に作りたい本を作り、人脈を構築して、書店などの販路を広げていく、その積極的に道を切り開いていく姿にとても心を打たれました。
また、個人的に特に印象に残ったのが、林さやかさんが、特別に野球に詳しいわけではないけれど(野球雑誌で編集をされた経験はあるとのことでしたが)、
「野球」を軸にして、いろいろなテーマを扱う雑誌を作った、というお話でした。
私は、神田投手のことをもっと深く調べたいし、もっと形にしていきたい、という気持がありながら、自分は全然野球に詳しくないから、こんな自分が神田投手のことを深く調べていいのだろうか、そんな資格は無いのではないか・・・という迷いが常にありました。
でも、林さんのお話を聞いて、野球に詳しくない自分でも、自分なりの視点で調べること、そして、神田投手の素晴らしさを伝えていくことがあるのはないか・・・という気持ちになりました。
登壇者のお話を聞きながら、仕事でも、神田投手のことでも、もっと一歩踏み出してみよう、という勇気をいただくことができ、
私にとってとても有意義なトークイベントでした。
トークイベントの後は、ブースを回りました。新刊本、中古本、グッズなどいろいろ販売されていて、見ていて楽しかったです。
欲しいものはいろいろとありましたが、予算の関係もあり、古本を4冊ほどと、「屋上野球」という雑誌を買いました。
それから、ビブリオさんが展示や販売をされていたギャラリー蔵に行きました。
展示・販売は3階まであり、1階は古書の販売でした。
すごい量の雑誌や古書が販売されていてとてもわくわくしました。
戦前の本とか、神田投手について書かれた本があるかな・・・と探していたら、昭和30年に発行された大和球士さんの「野球五十年」という本が見つかりました。
目次を見たら、神田投手に関する項目があって、しかもお値段もそこまで高くはなかったので、即買いしました(^^;))。
貴重な本を手に入れることができて、とても嬉しかったです。読むのがとても楽しみです。
3階には、野球選手のサイン色紙や、サイン入りのバッド等が展示販売されていました。
有名な選手のサインがたくさんあり圧巻でしたが、特に、スタルヒン投手のサインを見たときには、感動と興奮で胸が熱くなりました!
スタルヒン投手も、戦前から活躍され、プロ野球の礎を築いた偉大な方。
とても貴重なものを見ることができて感激でした(さすがに買うことはできませんでしたが・・・(^^;)))。
その後、またブースの方に戻って回っていたら、占いがあったので、タロット占いをしていただきました。
自分の現状をぴたりと言い当てていただいて嬉しかったし、アドバイスも役に立つものでした。
 
トークイベントから占いまで体験することができ、そして、神田投手に関する未読の本も手に入れることができ、とても楽しく、充実した時間を過ごすことができました♪
1年に一度の開催とのことなので、また来年も行きたいと思っています。
「巨人軍に葬られた男たち(湯口事件について)(1)」の続きです。
 
湯口投手は、岐阜短大付属高校で春夏連続甲子園に出場し、「高校生三羽ガラス」の一人として注目を集めます(他は簑島高の島本講平、広陵高の佐伯和司)。
そして、昭和45年(1970年)のドラフト会議で巨人から1位指名を受けて巨人に入団します。
当時の川上哲治監督からも期待されますが、1年目(昭和46年)、2年目(昭和47年)とも、一軍に出ることはありませんでした。
特に2年目は、中尾硯志二軍監督から、フォームの改造など「やりすぎ」と思われる指導もあり、次第に精神的に追い詰められていったようです。
昭和47年のファン感謝デーの紅白戦で滅多打ちにされ、川上監督や中尾二軍監督からひどい仕打ちを受けたことで、完全にダメージを受けます。
病院にみてもらったら「うつ病」と診断され、紅白戦の数日後から神経科病院に入院することになります。
その後、転院して、病院から練習に通ったりしますが、昭和48年2月の都城での二軍春季キャンプで奇行や発狂をして、東京に強制送還されます。
そして、強制送還から約1か月後の昭和48年3月22日、入院している病院で突然死します。わずか20歳でした。
お見舞いに来た親戚が帰ってから、わずか1時間後だったそうです。
 
ネットで大まかなことは知っていたとは言え、中学生の頃から謎だった湯口事件についての本ということで、かなり緊張しながら読みました。
しかし、読み終わってみたら、興味深さはあっても、思ったほどの刺激や衝撃はありませんでした。
どうしてだろう・・・と考えてみたら、現在の多くの社会人の状況に当てはまっているからであることに気づきました。
湯口投手の時代は、うつ病などの精神疾患に対する理解は全くなく、差別され、軽蔑されていたのでしょう。
それで巨人軍も、湯口投手の精神的な病気をひた隠しにしていたのでしょう。
ましてや当時の巨人軍は、絶対に影の部分をみせたくなかったはずです。
この本を読む限りでは、湯口投手は、都城キャンプでの奇行や発狂を除いては、そこまで狂気の沙汰の中にいる感じはなく、
今の時代ならば、入院することも隠すこともなく、通院と投薬で十分な状態のような印象を受けました。
今も、精神疾患に対する無理解や偏見は根強く残っていますが、それでも、精神疾患についてオープンに話せる状況にはなってきていると感じます。
ただ、逆に言えば、現代社会が極めて精神疾患になりやすい状況なのではないでしょうか。
湯口投手が巨人に在籍していた昭和40年代半ばから後半は、まだまだ日本は上り調子でした。
だから、プロ野球のような世界はともかく、一般の会社は、バリバリの終身雇用でリストラの心配もなく、普通に働いていれば給料もどんどん上がっていったのだから、
ごく普通の従業員が心を病むということは、今よりもずっと少なかったのではないか、という気がします。
しかし現在では、湯口事件のような状況が、一般の職場で当たり前のように起こっていると言えるでしょう。
人間関係や業務の長時間拘束により精神的に強い圧迫を受け、心を病んでいく。最悪の場合は死に至ってしまう。
パワハラや長時間労働による自殺や突然死、遺族による裁判が、しばしば新聞、テレビ、ネットで話題になります。
一般社会が湯口事件化しているのではないか・・・と、この本を読みながら強く感じました。
 
この本は、湯口投手と時期が前後した巨人軍の他の選手についても触れており、巨人軍の厳しさや陰の部分について描いています。しかし、特殊な世界の昔のお話、として終わるのではなく、現代の一般社会にも通じる問題を描き出していると感じました。
 
湯口投手のご冥福をお祈りいたします。
また、世の中の精神疾患に対する理解がもっと深まることを願っています。
昨年、神保町野球ブックフェアに行ったことをブログに書きましたが、神保町野球ブックフェアの会場に着く前に立ち寄った古書店で、「巨人軍に葬られた男たち」(織田淳太郎著、新潮OH文庫)という本を見つけて買いました。
この本は、巨人からドラフト1位指名を受けて入団したものの、入院先の精神科病院で謎の死を遂げた湯口敏彦投手のことを書いたものです(他に王貞治監督の解任劇についても書かれておりますが、ここでは湯口投手のことだけを取り上げます)。
 
私が初めて湯口投手のことを知ったのは、中学生の頃です。
当時、母親が図書館で自分の本を借りるついでに、プロ野球に興味を持っていた弟のために、よく野球の本を借りてきていました。
私もその本をよく読んでいて、それで神田武夫投手のことを知り、忘れられない存在になったのですが、
もう一つ、神田投手とは違った意味で印象に残ったものがありました。それが湯口投手のことでした。
確か巨人のドラフト1位の選手の名前とその現在を一覧にしたページがあって、その中に「湯口敏彦 在籍中に死亡」とあったのです。
何だかそこだけが他の人たちの部分とは違っていてちょっと怖く奇妙な感じがして、とても印象に残りました。
好奇心がくすぐられましたが、当時はネットもなく、これ以上湯口投手について知ることはできませんでした。
しかし、それからだいぶたってネットが出てきてから、湯口投手の名前で検索して、いわゆる「湯口事件」の概要と、それについての本が出ていることを知るようになりました。
ずっと読みたいと思いながら読む機会がなく、今回、やっと手に入れて読むことができました。
 
→(2)に続きます。
11月3日、「東京野球ブックフェア」さんが主宰する「神保町野球ブックフェア」に行ってきました。
神田武夫投手について書かれた本をいつも探していて、かつ、本そのものも大好きな私には、絶対に行きたいイベントでした。
「日本文芸社ビル」とのことだったので、「日本文芸社」と書かれたビルに入ったら、エレベーターを押しても全然反応がありませんでした(^^;))。
それで、少し歩いたら、野球の服を着て呼び込みをしている女性の方がいらしたので、それですぐにわかり、無時にたどり着くことができました。
野球ブックフェアは、主催者の方をはじめ、野球関係の本を出版している出版社や、書店の方や、野球の雑貨を作っている作家の方などが出店されていました。
全部で10店舗ほどだったと思います。
書店でよく見かける雑誌や本も販売されていましたが、普段あまり見かけないながらも、隙間な領域を深く追求している雑誌もあり、興味深かったです。
雑貨も、可愛いものがいろいろあり、観ていて楽しかったです。
また、古い「週刊ベースボール」などの古書も少し販売されていました。
見ているといろいろ欲しくなってきて迷いましたが、結局、「最弱球団 高橋ユニオンズ青春記」(長谷川晶一著)と「屋上野球 Vol.3」と、野球をモチーフにしたイヤリングを買いました。
講演もあったようですが、私はそれには参加できず、ブースだけ見て帰りました。
短い時間でしたが、いろいろ見ることができて楽しかったです♪
毎年3月には、もっと大規模な野球ブックフェアをやっているそうなので、そちらにも行けたらいいなと思っています。
また、ちょうどその日は、「神保町ブックフェスティバル」が開催されていました。
古本や新品のバーゲン本が、屋台のようにずらっと並んでいます。
ものすごい人だかりでした。
屋台や古書店の本もいくつか見ましたが、その中に、大和球士さんの「プロ野球三国志」が全12巻1万円で販売されていました。
大和球士さんが神田投手のことを書いていた、という話を聞いたことがあったので、とても欲しかったのですが、さほど分厚い本ではないとは言え、12巻となるとかなりの分量だったので、恥ずかしながら、物があふれていて、今まさに物を減らしている最中の自分の部屋に持ち込む勇気が持てず、購入を断念しました(><)。
アマゾンなどで見るとかなり高値になっているので、12巻1万円なら決して高くはなかったんですけどね・・・。
私の地元の図書館には在庫が無いようなので(大和球士さんの他の本ならいくつかあったのですが)、リクエストして他の図書館から取り寄せてもらうか、国会図書館で読むかしたいと考えています。
私は、例えば初版本を集めるとか「本そのもの」に価値を見出すタイプではなくて、あくまで「内容」が見たいタイプなので、大和球士さんが神田投手のことをどのように書いたのか、その部分が分かれば良いのです。
でも、大和球士さんの本は、今となっては内容は古いのかもしれませんが、野球の歴史資料として大変な価値があるものだと思うので、絶版にしないで、古書店以外でももっと簡単に手に入るようにして欲しいです。
神保町野球ブックフェアも、神保町ブックフェスティバルも、本が大好きな私には、とても楽しいイベントでした。
でも、いざ買うとなると、お金のこととか、収納スペースが無いとか、読む時間が確保できない(すでに家にはまだ読めていない本が何冊もあるのです(^^;))とか、そういうことをつい気にしてしまうのが、本当に情けないし悲しいです。
いつか、お金とか部屋のスペースとか読む時間とか、そういうことを一切気にせずに、好きな本を好きなだけ買えるといいな・・・と思いました。
HKで放送された「土曜ドラマスペシャル 1942年のプレイボール」を見ました。
今年(2017年)8月の終戦記念日の少し前に放送されたものですが、録画したままなかなか見る機会がなく、今になって、やっと見ることができました(^^;))。
(ウィキペディアを見たら、10月22日に再放送したみたいですね。)
これは、戦前から戦後にかけて、兄弟4人が職業野球で活躍した野口兄弟の話をドラマ化したものです。
野口兄弟の中の、野口二郎については知っていました。
戦前の職業野球について調べていると必ず出てくる投手です。33勝とか40勝とか、今の時代では信じられない勝利数をあげています。
4兄弟が職業野球で活躍した、というのは、今回初めて知りました。
ドラマでは、兄弟4人、一緒にプロのグラウンドに立つという「約束」を軸に、長男野口明の恋愛、出征や、1942年5月24日、延長28回を野口二郎一人で投げぬいた伝説的な試合のことなどを描いていました。
戦争が迫ってくる中で野球を続けることに対する周囲の白い目や葛藤など、戦前の職業野球に関する本を読んでいるとよく出てくる話です。
しかし、映像で見ると、よりリアルにその葛藤が伝わってきて、思わず感動してしまいました。
また、延長28回を投げぬいた試合の様子は、当時の様子がうまく再現されていると感じました。
選手の人数も少なく、環境も整備されておらず、そんな中で、1回1回を丁寧に投げて、打っていく・・・。
そんな選手たちの情熱は、今の時代とは比べ物にならないような気がします。
当時の試合を生で見てみたかった、その思いが改めて沸き上がりました。
終戦記念日の直前に放送されたものなので、戦争について考えることがテーマなのだと思いますが、それでも、あまり暗い感じにならず、戦前の職業野球について知ることができるドラマとして、野口4兄弟の青春ドラマとして、興味深く、時に感動しながら見ることができ、良かったです。
もちろん、戦争という下らないもので、野球や命を奪われたことについての怒りも感じました(4兄弟の一人、昇は戦死しています)。
また、戦前の職業野球の選手について取り上げてくれた、というのも嬉しかったです。
なお、番組の最後に、「このドラマは、実在した野口兄弟の話を基にしたフィクションです。」という趣旨のことが書かれておりました。
どこからが真実で、どこからがフィクションなのかは、ちょっと気になりました。
野口明の恋愛の話(特に、女性の料理に関する話)はフィクションっぽいかな、と思いました。
 
1942年ということで、神田武夫投手がちょこっと出てくるかな・・・とちょっと思いましたが、出てきませんでした。
でも、野口二郎投手と神田投手が投げ合ったことはあるはずで、どんな感じだったのかな・・・とドラマを見ながらも考えてしまいました。
また、神田投手のことも、ドラマとして取り上げてくれないかな・・・ということも考えてしまいました。
ここで、俳優に詳しい人であれば、「●●に神田投手を演じて欲しい」と思うのでしょうが、普段ドラマや映画を見る習慣がなくて、俳優に疎い私は、特に誰に演じて欲しいとか、誰が演じたら似合う、というのはありません。
ただ、神田投手のことをドラマにするならば、「フィクション」の形にはして欲しくない、と個人的には考えています。
あくまでも、事実だけをドラマにして欲しい。彼の真実の姿だけを伝えて欲しい。
もちろん、ある実在の人物の伝記を書いたりドラマにしたりする場合、「話を盛る」ことは普通に行われているでしょう。
日常の会話でも、何かを伝えるときに、多少の差はあっても「話を盛る」ことは誰でもしているわけで、それが悪いこととは言えないでしょう。
それでも、神田投手の真実の姿を知りたいと思っている私にとって、実際には無かったエピソードなどを盛りすぎると、どこまでが真実でどこからが創作なのかが分からなくなって、混乱してしまいます。
神田投手については、感動的な創作のエピソードをいくらでも付け加えられそうなので・・・。
 
今、プロ野球では、ドラフトや日本シリーズのことで盛り上がっていますが、やはりプロ野球の原点は、戦前の職業野球だと思います。
職業野球や、その選手のことが、もっともっと取り上げられればいいな・・・と思っています。
先日、東京ドームシティのラクーアの野外ステージで、私が応援しているパフォーマンスグループのライブがあったので、東京ドームの方に行きました。
ライブは3回行われたのですが、1回目のステージと次のステージとの間に時間があったため、野球殿堂博物館に行ってきました。
ちょうど昼食の時間で、レストランやカフェはどこも混んでいて、入る気になれず、時間をつぶす場所として、真っ先に野球殿堂博物館が浮かんだのです(^^;))。
その日は、都市対抗野球がちょうど開催されていた影響か、野球殿堂博物館も結構混んでいました。
展示も、都市対抗野球にちなんだものが展示されていました。
また、野球殿堂の表彰式のようなものが先日行われたとのことで、新たに野球殿堂入りされた方々(星野仙一さん、平松政次さん等)のユニフォーム等の展示もありました。
一通り展示を見た後、図書室に行きました。
神田武夫投手のことを調べるために、戦前の雑誌「野球界」などを閲覧申請して読みたいのはやまやまだったのですが、それをやりだすと時間が足りなくなりそうだったので(今回のメインはあくまでもライブだったので)、閲覧席側にある本(つまり、閲覧申請の必要のない本)をパラパラと見ていました。
その中に、「選抜高等学校野球大会60年史」「全国高等学校野球選手権大会 70年史」という本を見つけました。
前者は第1回から第60回までの選抜高校野球の各大会について、後者は第1回から第70回までの夏の甲子園の各大会について、1回戦から決勝戦を記録したものです。
神田投手は、京都商業時代、甲子園は第25回大会(昭和14年)、第26回大会(昭和15年)の2回、選抜は第17回大会(昭和15年)の1回出場しています。
これらの大会に関する箇所を見たところ、やはり、神田投手のことが取り上げられていました。
特に多く取り上げられていた昭和15年の選抜、昭和15年の甲子園を複写してきました。
昭和15年の選抜では、京都商は決勝まで行きますが、惜しくも決勝で岐阜商に破れ、優勝はできませんでした。
しかし、神田投手の投球内容は良かったようで、「大会総評」には、「一方、準優勝の京都商は、大島(注:岐阜商のエース)と並ぶ好投手神田の力投と名捕手徳網の好リードで接戦を勝ち進んだ。神田は球威こそ大島に劣るものの、外角低めを突くカーブの制球がよく、直球とのコンビネーションで、うまく打たせる投球術が光った。」と書かれています。
また、優秀選手賞にも表彰されています。
この大会で好投して決勝まで行ったためでしょうか、その年の夏の甲子園では、神田投手はものすごく注目されていたようです。
第26回大会の記事の中には、「神田は、完全に近い制球力という評判で、どこが果して彼を打てるだろうかと興味が持たれるほどだった」と書かれています。
しかし、期待に反して、3回戦で海草中に敗退してしまいます。
同じ記事の中には、「(海草中は)第2戦の京都商では救援を仰ぎ、相手の神田投手の乱調に救われた。」「また京都商も神田投手の不調に悩んだ。」とあります。
しかし、海草中との対決では不調に悩んだ一方で、2回戦の台北一中戦では素晴らしい投球をしたようで、「神田、白眉の名投」という見出しとともに、台北一中戦での神田投手の写真が掲載されたコラムがありました。
台北一中戦での投球は、飛田穂洲氏に「白眉の名投」とたたえられたそうです。
実際、写真に写ったピッチングフォームは、野球に詳しくない私から見ても本当に美しくて、ほれぼれするものでした。
神田投手のかわいらしい顔立ちとフォームの美しさが相まって、写真を見ながら胸がドキドキしてしまいました(^^;))。
今までも、いくつかの資料を読みながら、神田投手は美しい投球をしていたんだろうな・・・というのは感じていました。
実際のピッチングフォームの写真で、その美しさをこの目で確かめることができて、嬉しかったです。

今回、別の用事の空き時間に、ついでという感じで入った野球殿堂博物館でしたが、神田投手に関する貴重な資料を得ることができて、とても良かったです。
また時間を作って野球殿堂博物館や国会図書館などに行って、神田投手に関する資料を少しずつでも集めていきたいと改めて思いました。
澤宮優著「後楽園球場のサムライたち 沢村栄治から城之内邦雄まで」(現代書館)を読みました。
去年、澤宮優さんの本についてブログで書いたところ、嬉しいことに澤宮さんご本人からコメントをいただいて、
この本に神田武夫投手について書かれていることを教えていただきました。
それで、教えていただいてから時間がたってしまいましたが、読んでみました。
この本には、巨人軍で活躍した6人の選手について取り上げています。
すでに戦死した沢村選手以外は、直接ご本人に取材をされていて、とても貴重な話を読むことができます。
以下、選手ごとに簡単に感想を書きます。
 
(1)沢村栄治
沢村投手は、戦前の職業野球とか、プロ野球の歴史とか、その手の本には必ず取り上げられる方なので、今までもそれなりに読んできました。
さらに、彼について書かれた本で、電子書籍で購入していながらまだ読んでいない本も2冊ほどあります(^^;))。
この本には、小田野柏さんと多田文久三さんの、沢村投手についてのエピソードが書かれています。
小田野柏さんという方は、ノンプロとプロ野球を行ったり来たりされた方のようで、ノンプロ時代に沢村投手と対戦をされました。
その時(昭和10年)は、まだプロ野球が巨人軍しかなくて、ノンプロと対戦していた頃だったのですが、その時の沢村投手の球はとにかく凄かったそうです。
一方、多田文久三さんは、巨人軍で活躍された方(この本でも取り上げられています)で、昭和18年、沢村投手の最後の球を受けられたそうです。
そのときの球は、昔の勢いはなくて、見るも無残な出来栄えだったとのことです。
沢村投手が2度の戦争ですっかり勢いが落ちてしまった、という話はすでに知っていましたが、作者の方が、沢村投手の球を実際に受けたことのある人から直接聞かれた話なので、よりその重みを感じ、何とも悲しい気持になりました。
素晴らしい才能を戦争や巨人軍にことごとく利用され、潰され、最後は命まで奪われて・・・なんてかわいそうな人生なのだろう、と、悲しく腹立たしくやりきれない気持になります。
沢村投手については、あまりにも思うこと、考えさせられることが多いので、未読の本を読んでから、また改めて書きたいと思っています。
(2)川崎徳次
戦前は南海で活躍し、戦後は巨人、西鉄で活躍された投手。
神田投手についても触れられているのは、この方の話の中です。
川崎投手は、南海に在籍されていた昭和16年、17年(1941年、1942年)に、神田投手と一緒になり、選手不足の中、試合のほとんどを二人で投げています。
この本の中での神田投手に関する記述は少ないですが、それでも、神田投手がどれだけ才能のある素晴らしい選手であったかが、充分に伝わってきます。
特に、川崎投手が南海に入団して神田投手を見たときのことを「そのとき彼(注:川崎投手)はチームに今までも見たことのない偉大な投手を眼にする。」
と書いているのがとても印象的でした。
この本や、川崎投手ご自身で書かれた本(「戦争と野球」)で神田投手について語っているのを読んで、川崎投手は、選手および監督として活躍され、どんなに多くの優秀な選手を見ても、神田投手の存在は特別であり続けているようなような印象を受けました
(私のひいき目かもしれませんが・・・)。
やはり、神田投手は、川崎投手が今までに見たことのない才能やセンスを持っていた、そして、それだけでなく、才能や実績を超えた何かを持っていたのでしょう。
神田投手が活躍していた時代におそらく一番近い存在であった川崎投手が、神田投手についての思い出を残してくださったことに感謝です。
もちろん、川崎投手も素晴らしい投手です。今の時代では見られない豪快な試合を多くしています。
特に、昭和24年4月26日の大映戦で、13点を取られながらも自ら3本の本塁打を打って完投勝利した試合の描写は、読んでいてとてもハラハラしながらも気持ちが良かったです。
(3)多田文久三
戦前から戦後にかけて、投打の両方で活躍された方。
投手と捕手の間を行ったり来たりされ、その両方で素晴らしい活躍をされています。
投手と捕手を行ったり来たりしたのには、戦争などで人手が足りなかった、という事情も大きかったようですが、
そのような恵まれない環境の中で、チームのためにどんな役目でも引き受けた姿は、本当に「サムライ」という言葉がぴったりで格好いいです。
余るぐらい人材がいて、競争過多で、役割が完全に分業化された今の時代には考えられないし、今後も現れることはないでしょう。
現在、大谷選手が「二刀流」と言われていますが、本当の意味で「二刀流」と言えるのは多田選手のような人だと強く感じました。
(4)千葉茂
今回の本で取り上げられた話は、どれも感動的でしたが、その中でも特に私が感動し、うるうると来てしまったのが、千葉茂選手の話です。
千葉選手は、昭和50年代ぐらいに、「週刊ベースボール」に昔の野球選手のことを連載で書いていて、その中に、神田投手について書いているものもありました。
そのことで、千葉選手は私にとって存在感のある選手だったのですが、この本を読んで、千葉選手をますます尊敬しました。
千葉選手は、本当に野球が好きで、亡くなるときまで、野球を発展させていくことにその人生を捧げた方だと感じました。
巨人軍時代は、スター選手として華のある打撃、超人的な守備をされていたようですが、タイトルは取れなかったそうです。
タイトルが取れなかったことについては、決してご本人が意図されたことではなく、悔しい気持もあったと思いますが、しかし私は、個人のタイトルよりも、巨人の優勝に貢献すること、魅せるプレーで観客を喜ばせることを優先した結果のような気がします。
引退後は近鉄の監督になりましたが、三年連続最下位のためチームを去らざるを得なくなり、その後はユニフォームを着ることは無かったそうです。
しかし、それで野球と縁を切ったわけではなく、オールスターゲームの松山(千葉選手の故郷)での開催に尽力したり、近所の小学生に野球を教えたり、亡くなる直前まで野球の発展のために生きた人生でした。
神田投手など、昔の選手について週刊ベースボールに書かれていたのも、「昔の素晴らしい選手のことを後世に残したい」という気持ちからだったのでしょう。
性格的には、繊細で人見知りだったということなので、現役時代の大胆で豪快なプレーも、引退後の積極的なご尽力も、すべて、ご自身の名誉や自己顕示欲のためではなく、野球のためだったんだな・・・と感じました。
千葉選手のようなプレー、そして生き方ができる選手は、もう現れないような気がします。
(5)村瀬広基
村瀬投手のことは、この本で初めて知りました。
昭和36年の途中で巨人に入団し、いきなり登板を命じられ、シーズン中に5勝を挙げて巨人の優勝に貢献します。
しかし、翌年は期待されたにも関わらず成績が振るわず、結局昭和40年限りで巨人を引退します。
村瀬投手の話も、今の時代では考えられない話だなあ、と驚いてしまいました。
シーズン途中で入団、というのは今の時代には無いことだと思います。
村瀬投手は、最初が華やかだったがゆえに、2年目以降はどんなに辛かっただろう・・・と考えてしまいます。
今は、野球をきっぱりとやめて、全く違う板前の道に進み、お店を開いて順調に行っているようです。
彼のお店のホームページを見てみましたが、お店の歴史のところに、巨人軍に入団したことも書いてありましたので、彼の中でも、巨人軍で活躍したことは、
今の彼に繋がっている、なくてはならない経験だったのでしょう(もし消したい過去ながらば、あえて書かないと思うので・・・)。
もともと野球選手は寿命が短くて、若い頃に栄光を受けた分、引退後の生活は大変だろうな、惨めになることもあるだろうな・・・なんて思ってしまっていたのですが、村瀬投手の引退後の生き方は、こういう生き方もまた良いかもしれないな・・・と思わせてくれました。
(6)城之内邦雄
巨人のV9時代にエースとして活躍された方。
この本の中では、他の選手の2倍以上のページ数を使って書かれています。
新人でいきなり開幕投手になり、その後5年間で100勝を挙げるという素晴らしい活躍をします。
巨人のV9は、彼がいたからこそ達成できたのだろうな、と思いました。
恥ずかしながら、この投手のことは存じ上げていなかったのですが、彼について読んで、とにかくカッコいい人だと感じました。
人一倍練習し、体力づくりに励むストイックな姿勢。
迫力のある独特な投球フォーム。
彼の試合や投球について書かれた文章を読んでいたら、実際に投げているところを見たくてたまらなくなりました。
最後は腰を悪くして巨人軍を去り、その後、1年半ほどして少しだけロッテに復帰し、半年ほど在籍後、完全に引退します。
しかし、一旦引退して野球評論家として活躍していた時も体を鍛えていたようで、それで、ロッテに復帰することができたそうです。
常に手を抜かずに自分を鍛え続けるその姿勢は本当にカッコいいと思いました。
また、城之内投手について少し検索したところ、2年ほど前に、「巨人V9の真実」という本の出版を記念して行われた座談会の記事が出てきました。
その座談会に城之内投手も出席されて、彼の写真も出ていたのですが、今でも現役時代のような男らしさ、カッコよさがにじみ出ていました。
彼こそが、本当の「男の中の男」なのだと感じました。

どの選手の話も、とても印象深く感動的で心に残るものでした。
巨人軍には記憶や記録に残る選手がたくさんいる中、沢村投手以外は比較的取り上げられることの少ない、それでいて素晴らしい選手を取り上げたことも良かったです。
作者はこの本で「男とは何か」を追い求めた、とあとがきで書いていらっしゃいますが、その通り、豪傑で大胆で男らしい、まさにサムライという呼び方がふさわしい人ばかりでした。
今の時代は、戦争でどうせ死ぬのだから思い切り好きなことをしよう、という時代でもなければ、明日は今日よりも良くなる、ということを確信できる時代でもない。
先細りで漠然とした不安が漂う時代、周囲と合わせて和を乱さないように生きることが大事だとされています。
そんな時代では、たとえプロ野球選手でも、この6人のように生きることは難しいでしょう。一般の社会人であればなおさらです。
それでも、この6人の方々の存在を忘れずに、自分のできる範囲で、信念をもって大胆に生きていけたら・・・と思いました。