私の人生って?
当たり前に思い描いてきて周りにいっぱい居てそれが普通だと思っていた10代の頃。
たった一本の電話で私と私の家族の人生が変わった。
昨日の事のように思い出す。
単身赴任でたまに一年帰ってこない事も多々あり、帰ってくると約束をしても仕事を抜けられずごめんねと
言われる度に私は泣いたり怒ったりふてくされていた。
ある時は、なんの連絡もなく帰ってきていて私が学校から帰ってきて玄関に父の靴を見つけた時の嬉しさは今でも覚えている。
父ほど強く優しい人はもう出会えないだろうと思う。
そんな父と出会えた母は羨ましいがその分私が想像できない哀しみや後悔もあるだろう。
父に怒られた事は一度もないしダメだと言われた事もない
ただ一つだけ許してもらえなかった事がある。
それは、学校を休む事だ。
数年に一度あるかないかで母が旅行に行く時がありここぞとばかりに思いっきり甘えた。なんでも叶えてくれた。
だけど、
『学校休んでいい?』には『ダメ。学校は行きなさい。』とそれだけは許されなかった。
母も厳しい人だったから父なら休ませてくれるだろうと思っていたがダメだった。
ガン通告をされて、たった3ヶ月で私たちの前からいなくなった。
治ると思っていた。
そこから私の言葉に表せない哀しみが喪失感が時間が経てば経つほど積もっていった。
時間が解決してくれることはほんの少しでほとんどの出来事は自分で解決するしかない。
自分は何を思っているのか
自分の負の感情もずるい所も弱い所も逃げている事も全部全部受け入れて初めて前に進める。
正直、11年経った今も涙は消えないしまだまだ出る。
会いたい、話したいという気持ちになる。
この11年間、父の事を思い出さなかった日はない。本当にないのだ。
父は私が娘で幸せだったのか?
父は本当は何をしたかったのか何を望んでいたのか。
もうそれを聞く術はないし一生わからないことなのは頭では理解しているつもりだ。
でも一つ、父の死から学んだ事がある。
それは、人間いつ死ぬかわからないということ突然居なくなる事もある事。
だからこそ伝えたい事、本当の気持ちをその時その時に正直に伝える事の大切さ、尊さを知った。
いつか、次、はこの世にはないという事。
私も父のような強く優しい人間でありたいと思っている。
・・・が仕事と子育ての両立はなかなかハード。
世の中の育児をしている方達を心底尊敬する。そして母親は強いんだなぁと頭が上がらない。
父が生きていたら・・・
一緒にお酒を飲みたかったなぁ
息子を抱っこして欲しかったなぁ(きっと甘々にするんだろうな。)なんて事を思いながら
必死に一日一日を生きている。
父の死を無駄にしないように父の行動言動思いを私は私なりにして生きたいと思う。
来世でもまた親子として転生したいな。
To be continued