こんにちはニコいい天気ですね、春の風が吹いていました。

マスクは手放せませんが(花粉症で)

晴れているということが、少し気持ちを明るくしてくれています。

 

今日は父の命日です。

あれから8年が経ちました。8年…って結構色々とありましたね。

もしかしてその頃の私にとっては大きなターニングポイントだったのかもしれません。

 

父は前立腺原発の平滑筋肉腫でした。

なんとなくお腹の調子が悪いと検査してみたら発覚し、

発覚したときには、もうすでにリンパ腺と肺に転移が見られました。

余命は2年だと伝えられました。

 

あの時のガーンという気持ちは今でも思い出されます。母と言葉を失いました。

何かできることはないかと、そのときに調べられることは調べまくりました。

 

平滑筋肉腫の専門医を調べて検査結果を見せに行ったり話を聞いたり。

京都では手術できないと言われ、東京でも転々とし、検査を重ねて。

父のどうしても腫瘍を取りたいという希望をなんとか聞いてあげたいと

熱海の病院で手術をすることになり、母は近くのホテルに泊まり込みました。

 

あの手術が良かったのかは、正直わかりません。

取り切ったとはいえ、内臓全摘という体への負担は相当のもの。

人工肛門と膀胱になりその後もかなり生活は不便だったと思います。

 

私は東京、父は母と京都でその後は過ごしていたので

あまり身近で見ていることはできませんでした。

 

時々その頃小学生だった長男と年中さんだった次男を連れて帰省したり

こちらへきた時に会うぐらいでした。

 

抗がん剤治療や放射線治療もしていましたが、副作用が辛くて

2年が経った頃でしょうか、治療をやめて様子を見ることになりました。

 

その間に実家を売り払い、父と母は京都の中心地のマンションへ引っ越しました。

全てを整理し、自分の清水焼の作品をほとんど私へ送ってきていました。

 

自宅で緩和治療をしていましたが、骨転移があったようで

転んだ拍子に骨折し歩けなくなりました。

 

京都の病院の緩和病棟に入り、1ヶ月が過ぎた頃。

ちょうど次男の卒園式の日のことでした。

終わるのを待っていたかのように、昏睡状態になったと連絡が来ました。

 

次の日に子供たちを連れて、京都へ戻りましたが

それから3日間、意識が戻ることはなくそのままお空へかえりました。

 

父が亡くなる1週間前、私のお腹の中に三男がいることが判明しました。

が、そのことを伝えることなく父は亡くなりました。

 

そういうタイミングだったんでしょうね。

私は三男のおかげで、そこまで落ち込まずに済んだように思います。

 

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その頃の長男と次男。

2人はいつも賑やかで、父の葬儀の時も2人で走り回っていたなぁ(笑)

昏睡状態の父の周りにシャボン玉をいっぱい置いて遊んでいたなぁ。

 

お父さん、お空の上から子供たちの成長を見守ってくれていますか?