同じ病院に入院してるのは変わりないのに
出産の前と後では、天国と地獄のようにまるっきり違う世界のよう・・
と思うのは私だけなのかな・・汗

あっという間に出産を終えた私は、かなり呆然としてた。
すぐに旦那が来て、「産まれちゃったよ」とか話も普通にして
あっという間に前の病棟から荷物が運ばれてきて、もう戻ることはない・・

すぐに旦那は子供の様子を見に行ったり説明を聞きに行ったり
手続きをしに行ったりと、出たり入ったり忙しい。
私は、といえば処置を終えてガランとした部屋で一人、横になってた。
2時間ほどは動けないので、時々助産婦さんが様子を見に来てくれる。

後陣痛で少し子宮は痛むけど、もうお腹の中には赤ちゃんはいないし
張りにびくびくすることもないし、出血におびえることもないんだな・・
ほっとする気持ちと同時に、寂しい気持ちも。

しばらくしてお昼ご飯が運ばれてきて、産後は食事も産前とは違うのね。
産後御膳と書いてあり塗りのお盆で少し豪華な感じだ。
静かな部屋で一人、昼ご飯を食べた。朝ご飯は食べてないもんな・・

主治医の先生から少し話しを聞いたら、羊水が濁っていたらしい。
そうか~羊水が汚れてて、赤ちゃんも苦しかったんだろうな、早く出たかったんだろう。
落ち着いて考えてみると・・なんで私は早産したんだろう?原因が気になる。
結局後から聞いた話では
「胎盤の検査をしたところ、絨毛膜羊膜炎が陽性だったので炎症が原因だろう」とのこと。
でも、はっきりとした事はわからず、私の体質や子宮頸管無力症もあるかも、と。
確かに、二人目の早産の時もはっきりとした原因はわからずじまいだった。

「次の時は、早いめに大きい病院に行ってくださいね」
「・・いやいや、もう次はないです」

本当に、出産を終えて旦那に言った言葉は「もう出産はいいや」
これで最後だ。一度は普通に産みたいと思ったけど、無理な運命らしいし。

歩いてトイレに行けるようになったので、分娩室から普通の部屋へ戻った。
産んだ人がいる階へ連れて行かれ、配慮もあって
私が入った4人部屋は、みんな赤ちゃんがNICUにいて搾乳してるママばかりの部屋だった。

隣のベッドのママさんは、双子ちゃんを帝王切開で産んだママ。
産んですぐに歩いている私を見て「もう歩けるんだ!」と驚いてた。
会陰はすこ~し切れてしまったけど3ミリほどだし、痛みはたいしたことない。
まだこのときは後陣痛もそれほどひどくなくて体はつらくなかった。
精神的ダメージの方が大きくて、やっぱり思い返すと怖いし落ち込む。

昼過ぎまでは旦那がいてくれたので、車いすに乗せてもらって
NICUへ赤ちゃんに会いに行った。
ついさっきまで私のお腹の中にいた、私の赤ちゃん。
足をよく動かしてるのを見て、胎動が激しかったよね、この動きか~と。
小さく産まれたけど、元気ですよ、と聞いてひと安心。

でも一人になると、なんだか気持ちが落ち込んで涙が出た。
産後ってブルーになるんだね、やっぱり。
次男の時も同じような状況だったけど、必死だったからか
落ち込んでる暇はなかったんだけどなぁ、やっぱり歳かなぁ・・・

産後の入院中6日間は、とにかく長く感じた。
赤ちゃんのために私が出来る事といえば、母乳を出すこと。
二日目から少しずつ出始めて、3時間おきの搾乳が始まった。
4人部屋だったけど、私が入院してる間に、二回も一人きりになった(寂)
一人っきりって、めちゃくちゃ寂しいのよ~~しょぼん

ナースステーションに近い部屋は赤ちゃんと母子同室の人たちばかり。
すごく賑やかで、夜中も赤ちゃんの声がして・・・
大変だとは思うけど、とてもうらやましい光景。

私は少し離れた部屋で、一人で3時間おきに搾乳し
その時だけナースステーションで搾乳用のカップをもらいに行き、
そして絞った母乳をまた持って行く・・その繰り返し。夜中は特に寂しかった~

母乳のためにも栄養のあるもの食べなきゃ、と食事は残さず食べる。
ここの病院食はとても美味しくて「ありがたいな~」と感謝しつつ食べる。
退院したら自分で作って食べなきゃいけないしな・・

18日間の入院を終えて、退院の日。
赤ちゃんはまだ入院が続くので、やっぱり私だけの退院は寂しいもの。
でも長男と次男も迎えに来てくれて久しぶりに賑やかなうちに帰れて
嬉しかった。・・反面、私だけ楽になって三男は苦しい思いをしてるかな・・
などとまた後ろ向きな考えがむくむくと出てきてしまったりも。
しばらくは、落ち込む時も多かったしマタニティブルー状態でした。

それからの日々はブログに綴っている通りです。
体の回復と共に、そして三男の成長と共に、私の気持ちも楽になっていきました。