ボストンマラソンのテロ。 | キョキョのボストン留学ライフ。

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ボストン留学の日記つけます!
日々の出来事や思ったことなどを中心に。
観点はコテッコテの大阪人で
東京と看護かじった内容も混じってるよー。

無事です、ご心配おかけしました!
わたしは無傷です!
ゴキブリ並みの生命力イェエエーイʅ(◔౪◔ʅ)三(ʃ◔౪◔)ʃ

そしてここで書こうか迷ったけどまぁ現場に居合わせたとして書きます。
長文注意。

ボストンはアメリカの東海岸にある、淡路島ほどの面積しかない小さな小さな街。
ハーバード、マサチューセッツ工科大学、ボストン大学など、人口の1/4が学生と言われるほど学生の街。
世界中から勉強しにこの街にやってくる。

ボストンマラソンは世界中、全土からランナーが集まる100年以上続いてる伝統のマラソン大会。
朝から買い物に出ていたわたしは、ボストン中がマラソンで賑わっているのを見て、楽しそうな雰囲気を満喫しながら買い物してた。
ランナーが通るたびに湧き上がる歓声、家族や友達への声援、肩車された子ども。
とっても楽しい雰囲気が一瞬で破壊されたのは午後3時前。

そのときわたしは買い物に夢中でマラソンは観戦というより移動しながら見てるという感じで楽しんでた。
「ドーンッ」という凄まじい音と、「おいwwwwアメリカ人やりすぎだろwwwwww花火かよwwwwww」って思ったのも束の間
瞬く間に轟く叫び声、煙、逃げ惑う人々。
一瞬何が起こったのか本当にわからなかった。
そのあとすぐに2回目の爆破。
もうこの時点で通常の思考が崩壊。
「この周りに爆弾が仕掛けられているんだ!!!!」
誰もがこう思っても不思議じゃなかった。
fleak out、run away、scream、panicked
アメリカ人は極地に陥ると神に祈るんだなぁとか冷静に考えてしまった。
意識が今ここにいるんじゃなくて、映画を見ているような、そんな感覚。

爆発の瞬間。

幸いわたしはBUのon campusに住んでるから、走れば余裕で部屋に帰れる。
血まみれの人々、泣き叫ぶ人たち、完全にパニックだった。
次の爆破がどこでいつ起きるか全くわからない。
わたしも逃げなきゃと思ったと同時に気づいた。
私の目の前に、棒立ちしてたおばあちゃん。
わたしはすぐに帰れるし、安全な部屋もあるし、一人で逃げれる。
でもおばあちゃんはそう見えなかった。
自分も逃げるべきだと頭でわかってる。
わかってたんだけど、別の思考が頭によぎった。
何のために看護師になった?
何のために心理カウンセラーとった?
何のために英語勉強しに一人でボストンにきた?
何のためにエンバーマーになりたい?
答えは一つ、「人の涙を減らしたい」。

もう次の瞬間はおばあちゃんの手をとってた。
どうやら911のフラッシュバックで硬直していた模様。
Wi-Fi取れるところで一瞬だけ止まって家族にお礼を言った。
次の爆破があればもう死ぬかもしれない。そう覚悟した。
あとは無我夢中でいろんな人のお手伝いをした。
人ごみでお母さんを見失った子ども、転んで怪我した人の手当、etc
ゴール付近にはたくさんの警察、救急隊がいたため、爆破付近はすぐに対応された。
わたしはわたしにできることを精一杯したつもり。
前のsnow stormのときも思ったけど、アメリカ人はこういうときすごく助け合う。
知り合いのアメリカ人は「アメリカ人はみんなヒーローになりたいから(いい意味で)、こういう時には団結して、社会秩序を維持しようとするのです」って言ってた。

ホテルに帰れなかったらうちの部屋に来てくださいと伝えて、
関わった人が全員ホテルに戻れたことを確認したあと帰宅。
帰路に着いたのはもうどっぷり夜だった。
家族や友達がものすごく心配してくれてて申し訳ないのと、感謝。

さすが全米4位の広さを誇るボストン大学。
見事に統率のとれた対応で生徒の安全を第一に動いてくれていました。
テロから数分後にIT centerとBU Police(アメリカの大学は大学内に警察署がある)からメールで全校生徒に連絡。
逐一、状況を報告メール。
ボストン街全体の機能がストップしてレストランなどもほぼ閉店作業になっている中、
BU「ダイニングホール(食堂)を全開放する、今すぐ帰宅しなさい」
ボストン大学すごすぎワロタ。

わたしいつも首からカメラを下げていて、いつも写真撮れるようにしてるんだけど
これの存在をすっかり忘れていた。
あの状況でカメラを向けようと発想が出てこなかったあたり、カメラは本当に趣味。
わたしにマスコミ業が心底向かないことも痛感しました。

今こちらのニュースでは180人以上の負傷者。
8歳の男の子、29歳のレストランのマネージャー、中国人のボストン大学のgraduateの女の子の3人が死亡。
8歳の男の子は、お父さんがgoal lineをcrossするのを待って、goal lineの前に妹とお母さんと待機。
大好きなお父さんを応援したくてボストンに来て、テロに遭って亡くなって。
妹さんは脚切断、お母さんも頭部重傷で。
お父さんの気持ちは、想像もつかない。
BU生の女の子は、友達のルームメイト。
友達が「連絡つかない、誰か知ってる人いませんか?」って夜通し走り回って探し回った結果、見つかったのは病院のベッドの上。
中国人がボストンに来るのはどれだけ難しいことか、どれだけ努力したのか、どれだけ夢を追い続けていたのか。
Her life was taken away...

悲しい以外のなにものでもない今回のテロ。
アメリカ全土、世界中からPray for Bostonの言葉。
人々の生活を奪う無差別のテロ。
本当に、本当に、これ以上どこでも起きないで欲しい。
そう願うことしかできなくてもどかしい。
どうか、平和で。
Peace