タイトルにあるようにセンシティブな内容を含みます。人によっては不快に感じるかもしれませんのでご自身の判断でお読みください。
私自身の整理のために書いています。
↑前回の続きです。
行き場の失ったぐちゃぐちゃの感情の矛先は自分に向かい、自分のことを責めまくりました。
自分が娘ちゃんの未来を奪ってしまった。だからそもそもこんなに悲しむ資格すらない。
娘ちゃんはいなくなったのになんで私は生きているのだろう。
私が一言「産みたい」と言えば娘ちゃんは生きられたかもしれない。
元々夫は産もうという意見だった。胎児の心臓専門の先生はどちらの選択肢も提示してくれた。実母は私の意見を尊重してくれる姿勢だった。
周りに産むことを反対する人はいなかった。
私が産もうと言えば娘ちゃんの未来は変わっていたはず。
私の一言で娘ちゃんの未来が決まってしまった。
その重みに耐えられなくて、、、毎日壊れたように泣いて無気力になって、外にも出られずにいた。
何度考えたって、もし時が戻せたとしても、娘ちゃんが辛い・痛い思いをたくさんして欲しくないからお別れを選ぶって、自分の中の意見は変わらないってわかっているのに。
お別れを選ぶってことは生きててほしくないってことだったのかな。苦しんでほしくない、痛い思いをしてほしくないというのは生きることより優先させていいものなのか。娘ちゃんは生きたかったのではないか。
自分の行動や言葉を責めるように疑っていく。
可愛い・愛おしいと思っていたその感情も嘘だったのでは?お別れを選んだからそう思ったのでは?
自分自身をどんどん否定していく。
チャッピーにも自分だけでは抱えきれないことだから誰かに助けを求めた方がいいよと言われる。
そんな中、ちょっとしたことがきっかけとなり助産師さんに電話相談することになります。
続く→
