大阪梅田に阪急三番街という阪急電鉄系列のショッピングモールがある。
そこに昔『レストラン アジサイ』という店があった。
アジサイは、言うなればファミリーレストラン的な雰囲気で、週末や日曜日に家族で訪れるスペシャルなお食事処。
きっとうちの家族は、わたしが生まれる前からその店に通っていたに違いない。
物心ついた時から、外食といえば『アジサイ』だった。
わたしは末っ子で、上に7つ上の兄と6つ上の姉がいる。
彼らはいつも『アジサイ』で何を頼んでいたのかは覚えてないけど、わたしは決まってお子様ランチ。
だからといって、大人と子供の味付けは変わらなかった。
それが証拠に、サラダのドレッシングの味付けは、どれも同じだった。
そしてある時、父が休みの日に外食じゃなくて、おうちでゆっくりと夜ごはんを食べようということになった。
(たぶん、記憶ではわたしが4歳の時)
その夕食作りにわたしも手伝わせてもらって、初めて料理をさせてもらった。
その時、初めて作ったのが野菜サラダ。
うちは八百屋で、野菜がいつも食卓にあった。
季節ごとに、旬の野菜が食卓に並んでいた。
母からドレッシングの作り方を教わり、カットした野菜を盛り付けて、ドレッシングを回しかけた。
家族がみんな、美味しいね!と言ってくれて嬉しかった。
そのドレッシングは、『アジサイ』で食べたサラダの味そっくりで、後で知るのだけど、フレンチドレッシングのレシピだった。
その時からわたしは、料理をするのが大好きになった。
美味しいと言って、喜んでくれるのが嬉しかったからだ。
母が料理上手で、姉と一緒によく台所を手伝った。
食器洗いを教えてくれて、お箸を洗うのが楽器を弾いてるようで楽しかった。
家庭の台所には、幸せの素がわんさか詰まっている。
家族の胃袋を満足させるために、母は一つも手を抜かずに美味しい料理を作ってくれていた。
そのおかげで、姉もわたしも料理するのが好きになった。
お母さんみたいな美味しい料理をつくりたい。
そんな憧れが、わたしの中にはあったんだ。
父が病気がちで、八百屋の手伝いや看病する中、忙しいのにも関わらず、料理は手を抜かずに、ちゃんと作ってくれていた。
しかしそのうち、父の入院が長引き、母がその看病で帰りが遅くなることもが増えてきたので、わたし達姉妹がその日の夕食を作るようになった。
父の安否を伺う毎日の中でも、決まってお腹は空く。
わたしは特に、お腹が空いてたまらないと、全くと言っていいほど元気がない。
父と母がそばにいない寂しさが倍増する。
そんな時は、姉が作ってくれたごはんを食べて、元気を取り戻した。
そうだ、料理するのは生きる活力を得るためだ。
それがわたしの料理する原点なんだ。
生きている限り、食べるという行為はやめられない。
健康であるためにも、一生続くもの。
生きるために食べるし、そのために料理をする。
それが美味しいものなら、なお豊かだ。
心も身体も満たされるんだ。
元気が湧いて、生きる活力になる。
料理するのは、その助けになるためなんだ。
わたしは、人が美味しいものを食べて、会話する光景を見るのが大好きだ。
そこには、幸せのひと時が流れている。
あの、幼い頃に見た、家族の幸せのひと時のように。
その思い出を大切にして、料理を作り続けていくんだ。
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