子どもの頃、誰もが一度は「好きなだけ○○がしたい」と思ったことがあるだろう。私にとって、その「○○」はファミコンのマリオだった。幼い頃、テレビに映し出されるあのピクセルアートの世界に没頭し、マリオがジャンプする度に心躍らせていた。ステージが進むごとに難易度は上がり、何度も失敗しながらも「もう一度、もう一度」とコントローラーを握りしめていたのが懐かしい。
当時、ゲームは一日に限られた時間しか許されておらず、「好きなだけプレイする」というのはまさに夢だった。特に、親がゲーム機の電源を切る瞬間、その胸の中に渦巻く失望感は今でも忘れられない。「あと5分でクリアできたかもしれないのに」と思いながら、涙をこらえて布団に入った夜も数え切れない。
その後、時代は進み、技術も発展した。今ではスマホやパソコンで手軽にゲームができるし、限られた時間という概念も消え去った。しかし、不思議なことに、あの時の「好きなだけマリオをやりたい」という感情は、今の便利さの中では感じることが少なくなった。無限に与えられた時間が逆にゲームの特別さを薄めてしまったのかもしれない。
私の夢は単純だった。大きな目標や野心ではなく、ただ一つのことに夢中になり、時間を忘れて楽しむこと。ファミコンのマリオは、私にその楽しさを教えてくれた。制限があったからこそ、あのひと時は輝いていたのだろう。幼少期の私が夢見た「好きなだけマリオをプレイする」という願いは、もしかすると今でも心のどこかで色あせることなく輝いているのかもしれない。
現代の忙しさの中で、あの頃の純粋な喜びや夢を忘れずにいること。それが、私にとって今でも大切なことなのだ。