今回は富士宮に3日間滞在するのと、
添書登山なので時間に余裕があったので、
縁の地をまわってみました
静岡県指定天然記念物の、かしわの木。
このかしわの木は、日興上人が、謗法の山と化した身延を離山して、日蓮大聖人様の御遺命を実行すべく、お弟子さん達を伴ってひとまず河合入道の屋敷に行きました。日興上人の御一行が身延を離山した事の知らせを聞いた南條時光は、直ぐ様、南條家下屋敷に御一行を御迎えすべく取り計らいました。それで、日興上人の御一行は、本門戒壇の大御本尊様をはじめ、沢山の荷物を携えて南條時光の下屋敷に向かいました。そして、下屋敷の近くに成った時に、皆の衣類が汚れたままでは失礼だと思われ、小川で衣類を洗濯する事にしました。みんなで洗濯をしていると、その様子を見ていた老婆が、「私にも洗濯を手伝わせて下さい」と日興上人に申し出て、一緒に洗濯をしました。洗濯をして、乾く間、皆が休憩している時に、日興上人は、身延を離山する時に、細いかしわの木を切り、それを杖として用いて来ました。しかし、南條時光の下屋敷が、直ぐ近くに成ったので、その杖を、小川のほとりに突き刺して、お弟子の人達に「この、かしわの木に杖は、日蓮大聖人様の仏法が広宣流布する暁には、大木と成るであろう」と話されました。その杖は、不思議な事に、芽生えて成長して、700年後の現在、大きく成長しているのです。洗濯を手伝った老婆は、近在の人達から「洗濯婆さん」と親しみを持って呼ばれ、現在でも、渡井家は、洗濯婆さんの家と言われています。洗濯婆さんは、日興上人の折伏で入信して、日興上人も親しく足を運ばれたそうで、日興上人の時代を偲ばせてくれます。
日興上人様の御一行は、洗濯した衣コロモも乾き、南条時光邸の下屋敷に向かい、程なく到着しました。下屋敷は現在の「下の坊」です。下屋敷に到着した御一行は、身延から荷車や、背中に背負ったて運んだ荷物を下ろしました。その時、荷物をくくっていた蔓カズラをほどきました。蔓カズラはツルの事で、現在では荷物をくくるロープと同じ役目で使用していました。その蔓は荷物を運んだ後は、用を成しませんので、下屋敷の左側の小川の傍に捨てました。御本尊様や御抄、什器や仏具等の大切な品々を無事に運ぶ為に、蔓は重要な役目を果たしたのです。身延を離山して何日も過ぎていました傷だらけの蔓ですが、不思議な事に、大地に根付いて700年後の現在でも力強く行き続けているのです。妙法の品々に縁をし、その品々を護る働きをした蔓は、成仏の姿を示したのです。仏法では、有情の成仏と非情の成仏が説かれています。花や木や、石や草は非情です。それ等非情の姿を示す物にも、生命が存在する一念三千の当体であると、仏法では説かれています。その蔓は「かなと蔓カズラ」と呼ばれ、日柱上人様の碑文が、かなと蔓の傍に建てられています。
そして、妙蓮寺さんにも参詣させて頂きました。
4人で大聖人様御真筆の御本尊様にお題目三唱させて
頂きました
大石寺へ参詣された際、お時間にゆとりがあれば、
是非寄って見て下さいね













