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Liber Novus 真理の書

問題がひとりで解決する事は絶対にない
誰もあなたに代わって闘ってはくれない
貴方だけの幸せの公式を見つけましょう。

今の方法で上手くいかないならせめて他のやり方を検討しましょう。
楽観主義でも、悲観主義でもなく、「現実主義者」になる為の真理の書

ご機嫌いかがですか?


お金、についての講座を開くので、現在、お金について色々考える毎日です。


お金ってものは、どうも巷では、




誤解されています。


お布施って、単語ありますよね?



お布施って単語を、聞いて何を想像します?



ん、まあ、通常は、お寺さんとかにお包みするお金って物を想像します。



仏教で、実はお布施ってものは、現代用語で一番近い言葉は親切!


だと、先日とある仏教講師の方に習いました。



そうかぁ、親切かぁ!



って、思った半面、



でもね、お寺を運営されているのは、お坊さん。


仏教の経典7000冊を学ばれて、その教えを他の人へ人生の指南書、として伝授する方々。



7000冊もの勉強をされた方の知識を頂くわけですから、感謝の気持ちをお布施として、お金をお包みするのは、実はとても、理にかなっているとも言えます。


その人がお金に別な意図を持たないかぎり。。。



ん、まあ、お金を包んだから、自分が助かるとかで無くて、相手がかけた時間、その方の技術に対してお金は払われるわけですから、その敬意を表す時、安い対価でいいと考える人には、それだけのリターンが来るでしょう。


まあ、宗教の場合、大概が自分の利益、つまり、お金を積めば、神様が助けてくれるかも、

とか、自分の名前がおおきく張り出される!


とかで、払う人も多いとおもいますが。



でもね、払う人がまず考えなければならないのは、



相手へが持っている技能、
技術、作品への敬意であり、


感謝の気持ちだと私は思います。



それを、自分が稼いだお金で表現する。



凄い感謝の気持ちですよね。



お金ってね、得るには、その人の過去の投資した時間、お金、そして、今、それを表現している物質や技術、時間に対して払われる物です。


物質とは、エネルギーも含まれます。




他人の労力を軽視する人は、殆どもれなく、お金とのご縁は、繋がりません。



何故なら、お金ってのは、自分が費やした対価が物質のツールになっているのですから、つまり、自分自身を大切にしていない事に直結します。


良くね、愛はお金では買えない!




って、言われますが、


これを理解するには、人間としての、悪人、の部分を心底理解してなければ、本当の意味で腑に落ちるのは、不可能です。


人が幸せになれるのは、他人への親切を積むのみ。




しかし、他人への親切は、自分自身の為という事が深く味わって、利己的な自分を自覚して初めて、


愛はお金では買えない、



が、心に入ります。





そもそも、私は申し訳ないですが、最低でも、月収入が100万位を最低でも数年経験してない人が、何故これらを言うのか不思議です。


そこそこの財力があるって事は、人には見えない代償もあるわけで、その代償を払ったからこそ、言える事ではないのでしょうか?


井の中の蛙が、その代償も知りえないのに、何故いえますか?



もし、今の配偶者とか、恋人と別れたら300億、plus、貴方好みのイケ面の優しい人をプレゼント!



って真面目に言われて、(よっぽどの価値がないと、あり得ない例えですが、)今の配偶者とか、恋人を選ぶ人って、どれだけいるでしょうか?



因みに、私は3億円位なら、絶対に今の彼を選びます!
(たった3億円だと、30年で計算すると、一日2万7千円位の事ですからね)




300億、plus、自分好みの人なら、流石に即答は出来ません。




愛って概念は、そんなに簡単に安易にばらまける事なんでしょうか?


愛するって、相手が愛を返してくれるから、人はそれを育てられるわけで、



アガペー的な愛だと、愛する相手が自分を捨てて、別の女と幸せになる事を捨てられた瞬間にも、思えるなら、ですが、ね。



人って、どんな関係でも、一緒にいて、色々な事を経験しながら、その人との関係を育むわけで、何があっても、壁にぶつかってもそれらをどう育むかを真剣に向き合う事も愛であり、


病める時も、健やかなる時も…って言うでしょ?




ましてや、自分自身の行いが良かれと思ってした事、それも命がけの事をしても、それが愛だと言えない結果が出る事もありえるんですよ。



世の中には、こんな話しもありました。

天災の時、自分が命をかけて、救った人が天涯孤独の身の上になった事を知り、それを悲観して、自殺した人の話しを聞いた事があります。


救った人は、命をかけて、その人を瓦礫の下から、救い出したはずなのに、



結果は、その方の自殺。


救った方も、亡くなった方にも、これが語る意味は何になるでしょう?



どちらにも、私は言葉が出ません。

誰が、何を持って、



善と悪を決めますか?

愛を持って行った事だから、良い事?


解り得ないこの難問の中で、行動するって、実はとても大変な言葉。



だからこそ、今、自分自身が出来る事を行動する事が大切になるんです。


これは、愛に繋がらないかも知れないけど、自分が出来うる事。


手前味噌ですが、私は先日、わざと相手に恨まれる事をしました。



それは、私が出来うる全てだったからです。


その人が、その人にとって、大切な人に2度と同じ事をしない事を祈りながら。。。




これが、友達として、出来うる全てだったと、私はおもってます。





私は、善行を行うって事をもっと深く味わいたい。



そこから、観える自分自身の限界を舐めつくしたいです。



ましてや、お金!





これは、人が生み出した、便利なツールです。


しかし、このお金への敬意が無い場合は、お金へのご縁は諦めてください。



これは、自分自身が費やした時間や努力を軽視し、自分の歩んだ人生の年月を大切に出来ない事と、結構直結します。




ましてや、他人の労力など、感じられるわけもなく、散りにも等しい扱いになります。


お布施……。



これは、お金って物を真剣に考えると
中々興味深い事です。


貴方は、他人の労力を過去に遡って想像出来ますか?



自分に出来ない事を習得している人の技能や作品を想像できないなら、


どこか、おかしくないですか?




まあ、ね。


この想像力の欠如から、


お布施って物が、出す側も、もらう方も、歪められるのでは?



と、思います。




ではでは!
(^-^)/


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