《桜井識子さんのブログです》


私は何年か前に素晴らしい体験をしました。

 

しかし、これを書いたら批判されるだろうだな、議論をふっかけてくる人もいるだろうな、と思ったので、神様に言い訳をしました。

 

「この体験は書かないことにします。批判されるのはつらいし、そういう人を刺激することは避けたいです……」と。

 

神様には「そうだな」と、理解してもらえるのかと思っていたら……

 

「お前は……批判をする人間のために書くのか?」と、若干、厳しめの感じで言われました。

 

この言葉で、ハッとしました。

 

そうだ! そういうことになる! と、言われてはじめて気づいたのです。

 

神様は続けてこう言いました。

 

「違うであろう。お前は、お前を信じてくれる人のために書くのだろう?」

 

ここで目が覚めたといいますか、ああ、そうだった、そこを忘れてはいけない! と失いそうになっていた大事なことを取り戻したのです。

 

私はただ体験したことを、批判されても文句を言われても、正直にそのまま書くべきなのだ……そう思った時に、

 

「批判する人間を味方につけようとしてはいかん」と最後に言われました。

 

このひとことは、心に、ズシーン! と響きました。

 

味方につけるべきは「神仏」……それだけで十分ではないか、と悟ったのです。

 

私のすべてを見てくれているのは、神仏だけです。

 

両親でも、人生のパートナーである元夫でも、息子でもありません。

 

神仏だけが、私の全部を、心の中までしっかりとわかってくれているのです。

 

その神仏が心強い味方なのです。

 

そこに気づいた瞬間に、迷いも、不安も、心配も、すべてが吹っ飛んで、そして吹っ切れました。

 

今でも、時々、この言葉を思い出します。

 



と言う事です。


桜井さんは、素晴らしい体験をされました。


しかしこれを書いたら批判される。


また、味方につけるなら家族よりも神様と言いますが、家族を信じるのが人情じゃないですか。


この話が今だに謎です。



話は変わりますが、以前私は豊川稲荷の稲荷塚の写真を撮りました。

するとスマホが動かなくなり、大部分の画像が消えてしまいました。

再び豊川稲荷にやってきた私は心の中で、写真を撮らせて下さい、南無荼吉尼天(なむだきにてん)と唱えながらシャッターをきりました。

今回は、無事に撮れました。






ありがとうね。