2015年8月25日

夏の休暇の備忘録として。

我が家の夏のバケーションを
選ぶ基準が・・

夫:自然
長男長女:水泳プールとアイスクリーム
私:歴史!

こういう家族だと、
仏アルザス=ロレーヌは
本当に
おすすめです!

仏アルザス=ロレーヌ

ウィキより:

「アルザス=ロレーヌ(フランス語: Alsace-Lorraine、ドイツ語: Elsaß-Lothringen エルザス=ロートリンゲン、アレマン語: Elsäß-Lothringe エルゼス=ロートリンゲ)は、フランス共和国北東部のドイツ国境に近いアルザス地域圏(エルザス)とロレーヌ地域圏(ロートリンゲン)のうちモゼル県を合わせた地域」

日本や他の国でもそうですが、
国名や
地名が
色んな
言語で
残っているというのは、
激しい
戦争の
爪後を
残しています。

アラフィフの
方だと
中学校の
英語の
教科書で
「The Last Letter
(最後の授業)
仏: La Dernière Classe)」
というのを
習った人が
多いかと思います。

昭和的
義務教育では
親戚が
通っている
東京や
都市部の
有名小中学でも
私が
通っていた
田舎の
小学校
中学校も
教科書は
同じものを
使っている
ことが
多かったように
記憶しています
(メソッドや
副教材は
違うようですが)

今ウィキを
みて
気が付きましたが、
「1985年(昭和60年)からは
日本でも教科書に
採用されていない」

え~~~
しらんかった!

なので
少し若い方に
「最後の授業」の
教科書の話を
しても
通じないのが
ようやく
わかりました!

下の方に
ウィキから
あらすじと
政治的側面を
コピペして
いますので
知らない方や
忘れた方は
再度
お目を
おとおしくださいね。

つまり
アルザス=ロレーヌ地方は
ドイツ語の
方言のような
「アルザス語」で
生徒達が
フランス語の
読み書きが
できない
のはあたり前。

「言語は政治」
道具として
フランス語の先生が
アルザス人に
「フランス語」を
政治的理由で
強制する人間だった
というもの。

この小説自体も
フランス語純化
政治政策の
一環の
プロパガンダで
この背景を
日本の大学の
政治学のときに
知ったときは
ゾッとしましたね!

今は
そんな
こわごわ・・・
した
歴史は
こしとられ・・

アルザスでは
バケーション村の管理人
ホテル
カフェ
レストラン
の人は
フランス語
ドイツ語
両方できます。

私の
超超かなり!
なんちゃって
フランス語では
心元ないので
ドイツ語で
ききなおすと
若い方は
ドイツ語より
フランス語が
得意のようです。

年配の方は
ドイツ語が
得意な方が
多いようです。

欧州議会がある
ストラスブールなど
ドイツ的なよさと
フランス的なよさが
両方
平和的に
存続している
素敵な町並みや
親切で
丁寧な
フランス語
ドイツ語の
バイリンガルの
店員さんや
住民も
戦争に
つぐ
戦争

ようやく
築きあげた
という
EU議会を
設置するに
ふさわしい
地域だな
とかんじました。



ここまで丁寧に
読んでいただいて、
ありがとうございます。
「役に立った!」
たってなくても・・
ちょっとでも
「面白い!」
でしたら
プチッとてくださいね♪
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あらすじ:ウィキよりコピペ
「ある日、フランス領アルザス地方に住む学校嫌いのフランツ少年は、その日も村の小さな学校に遅刻する。彼はてっきり担任のアメル先生に叱られると思っていたが、意外なことに、先生は怒らず着席を穏やかに促した。気がつくと、今日は教室の後ろに元村長はじめ村の老人たちが正装して集まっている。教室の皆に向かい、先生は話しはじめる。
「私がここで、フランス語の授業をするのは、これが最後です。普仏戦争でフランスが負けたため、アルザスはプロイセン領になり、ドイツ語しか教えてはいけないことになりました。これが、私のフランス語の、最後の授業です」。
先生は「フランス語は世界でいちばん美しく、一番明晰な言葉です。そして、ある民族が奴隸となっても、その国語を保っている限り、牢獄の鍵を握っているようなものなのです」と語り、生徒も大人たちも、最後の授業に耳を傾ける。やがて終業を告げる教会の鐘の音が鳴った。それを聞いた先生は蒼白になり、黒板に「フランス万歳!」と大きく書いて「最後の授業」を終えた。」

政治的側面
「アルザスは以前からドイツ語圏の地域であり、そこに住む人々のほとんどがドイツ語方言のアルザス語を母語としていた。普仏戦争にも従軍したプロヴァンス(同地にはロマンス語系のプロヴァンス語がある)出身のフランス人である作者ドーデは、作中のアメル先生に「ドイツ人たちにこう言われるかもしれない。“君たちはフランス人だと言いはっていた。なのに君たちのことばを話すことも書くことも出来ないではないか”」(その後に、フランツや生徒だけの責任ではない、国語をきちんと指導しなかった我々大人の責任でもある、と反省の弁)と言わせている。
すなわち、アルザスの生徒達は(ドイツ語の一方言であるアルザス語が母語であるため)、国語であるフランス語を話すことも書くこともできず、わざわざそれを学校で習わなければならない状態であったのである。アメル先生は、アルザス語を母語とするアルザス人に対し、フランス語を「自分たちのことば」ないし「国語」として押しつける立場にあったものであり、本小説においてはこの点が隠蔽されていることとなる。」