再発と誕生日 | Renge☘️下大静脈平滑筋肉腫

Renge☘️下大静脈平滑筋肉腫

2018年5月下大静脈平滑筋肉腫を地元病院で切除。6月K病院の肉腫科と医療連携。2020年3月再発。下大静脈を人工血管、肉腫と右の腎臓と副腎摘出。10月O大呼吸器外科で肺転移切除。12月睡眠時無呼吸症候群。2023年子宮内膜異形増殖症。5月右肺転移手術。2024年5月左肺転移切除

平滑筋肉腫に罹患して2回目の誕生日を迎えることが出来ました。

昨年は、心のどこかで「まだ再発はしないだろう」と思っていました。
今年は、誕生日一週間前の地元の病院の造影CTで、原発の下大静脈や腎静脈付近に再発しました。

誕生日を迎えるまでの一週間は、再発の手術についての話し合いを家族と重ね、涙、喧嘩、話し合いを繰り返し途方に暮れていました。
そんな中、周囲の方々に助言や励ましを頂き、本当に救われました。

最後は、再発の腫瘍を見つけて下さった地元の病院の主治医とお話し、自分の意思で決断できました。

初発の手術で入院した時、病室で「平滑筋肉腫の疑いがある」と告げられたあの頃、原点に戻り、初心に帰れました。

病室で主治医に「肉腫の専門医と医療連携してもらえますか?」と生死をかけた必死のお願いに「自分が納得する治療をするのが一番」と了解して下さいました。

「平滑筋肉腫」という訳の分からない自分の悪性腫瘍と向き合っていた時の、「生」「生きること」に縋り付く必死な気持ちを思い出し、
肉腫センター肉腫科のある病院で手術することに決めました。

2018年5月、初発の手術で入院中に初めて耳にし、病室で綴った「平滑筋肉腫」という言葉。
肉腫科の先生には最初から「術後二年はくれぐれも気をつけて。この病気は術後二年以内に再発しやすいから。免疫力を落とさないで」
と言われていました。

罹患してから約二年を振り返ると、ここ最近、免疫力をおとしていました。
元々、再発しやすい静脈の平滑筋肉腫の上に、暴飲暴食したり、苛々したり、睡眠不足…免疫力を自ら下げる暮らし…反省します。

反省点は次へ生かし、あとは前向きに取り組んでいくしかないですね。

今週は肉腫科のある病院で造影MRI、造影CTをして、
手術が可能かどうか?どんな手術になるのか?再発した平滑筋肉腫がどんな状態なのか?
しっかり調べて、外科の先生ともお話しして来ます。

今年の誕生日ケーキ「こぶたちゃん」
そして、再発が分かってからの約一週間は、泣いたり取り乱したりしなかった子供達が、旅立ちを控えた昨夜、お布団の中で泣いて気持ちを伝えてきました。

「大丈夫って言ったのに何で?」「手術成功しなかったら?」
「我慢して待ってるのに、ママが戻って来なかったら?」「何でママなの?」「帰って来れなかったらもう会えない」
「ママどこにも行かないで」「離れないで」
「入学式に絶対出て」「4月の誕生日は一緒にいて」
「ママがいない間、どこにも行きたくない。ママが一番いい」
「あそこも、あそこも行くって約束したのに」

私に体を寄せて腕を掴んで、沢山泣いて気持ちを訴えてました。
遠方の病院へ検査へ旅立つ直前に、子供達が思いっきり気持ちを吐き出すことが出来て良かったです。
素直に正直に、ストレートに伝えてきました。
自分なりにその気持ちを受け止めました。

しっかり検査して、手術についてのお話をちゃんと聞いて、
家族や心配し大切にしてくれる人たちが、ホッとしたり安心出来るよう明るいお土産話を持って帰って来ます。
「良かったね」と早く安心してもらいたい。


最後に、2020年3月22日、コロナウィルスの影響で中止になったピアノ発表会の日。
二人で選曲した最初で最後の兄妹連弾「糸」。

私は送迎とお月謝と傾聴係で、練習は本人達任せでした。
いつも二人で楽しそうに練習してました。
上の子は、最近、足を骨折しギブス姿ですが、緊張し不安げな妹を優しくフォローしてました。

この曲に送り出されて、検査に行ってきます。
ありがとうございます。

「糸」


縦の糸はあなた 横の糸は私

織りなす布は いつか誰かを

暖めうるかもしれない


縦の糸はあなた 横の糸は私

織りなす布は いつか誰かの

傷をかばうかもしれない


(歌・作詞・作曲:中島みゆき)